第26話 英雄フィリウス

 ウィンクルムはアルコンの横にぺたんと腰を下ろした。と言うよりは、腰が抜けたかのようだった。門に叩きつけられていた魔獣たちは、うめき声を上げながらふらふらと体を起こし始めている。魔獣たちのごつごつとした岩のような顔は、一様にウィンクルムの方へ向いている。


「あ、はは。もう、アルコンってば。どっから来るの? 空から降ってくるなんて、ホント非常識だよ」


 ウィンクルムは顔をくしゃくしゃにしてアルコンへと手を伸ばした。ぎゅ、と法衣の裾を握ると、ぐいぐいと引っ張り抱き寄せる。そして、ウィンクルムはアルコンの顔をのぞき込んだ。


「あーあ、顔、半分なくなってるよ? どうしたの、これ? ねぇ、アルコン? ねぇ。ねえってば」


 ウィンクルムはアルコンの胸に顔を埋めた。


「あれ? 心臓の音、しないよ? 体も冷たいし、早く温めないと、風邪ひいちゃうね。て、アルコンは病気なんてしないよね。聖魔法士なんだもんね」


 ウィンクルムはアルコンの乱れた髪を整える。母親が子にするように、優しく何度もアルコンの頭を撫でた。


「ウィンクルム……」

「ウィンクルム、さん……」


 アーカスとクーラエは、ただ普通に話しているだけのウィンクルムに、さきの荒ぶるウィンクルムよりも恐怖を覚えた。こっちの方が、遥かに理解出来ないからだ。


「ほー。あんなに顔がぐちゃぐちゃになっちまったアルコンでも平気ってか。何度も見てきた場面だが、こいつはなかなか珍しいな」


 リルガレオは感心していた。率いた部下を死なせた事が、リルガレオには何度もある。そして、原形を留めていない部下を家族に送り届けるのも、長たる務めだ。そこで、何度も愛の深さをその目で見てきた。ただの肉の塊と化した愛する者への反応を、だ。


 魔獣たちはウィンクルムを取り囲み、その様子をじっと窺っている。それは異様な光景だった。


「アルコン、ウィンクルムが迎えに来たよ。さあ、帰ろう。だから、目、開けてよ。そろそろ目を覚してよ。わたし、アルコンをおんぶするのなんて無理だよ。起きて。ね、起きてよ」


 ウィンクルムはアルコンの頬をぺちぺちと叩いた。何度も叩いた。それが、ぱちゃぱちゃと水を打つ音へと変わる。


「ウィンクルムさん……アルコン様……」


 クーラエは泣いた。アルコンの頬は、もうウィンクルムの涙でいっぱいに濡れていた。ウィンクルムは、自分の涙とアルコンの頬を一緒に叩いていた。だが、アルコンは目覚めない。


「無理、じゃ。いくら、聖魔法士といえど……死んでは、二度と、生き返らぬ……」


 アーカスのぼやけた瞳からも、星の雫が流れていた。


「生き、返る? 死んでる? アルコン、死んでるの?」


 びく、とウィンクルムの肩が震えた。


「あー、死んでるぜ。そりゃあもう、アルコンはな、間違いなく盛大に死んでるぜ、お嬢ちゃん」


 リルガレオがにやにやと笑いながら答えた。


「そっか……ソッカ……ソウ、カ……」


 ざわざわとウィンクルムの髪が再び逆立つ。髪色はさらに朱を濃くしていた。


「でもよお、お嬢ちゃん。死んでるなら、生き返れって願ってみてもいいんだぜ? 願うだけならタダだしよ、誰にも迷惑はかからねえ。だろ?」

「え?」

「え、じゃねえよ。おめえ、そのままどうするつもりだよ? アルコンが死んだから暴れますってか? やめろや、そんなん。みんなが迷惑すんだろが。言っとくけどな、おめえがここで殺したり壊したりすんのを、俺様が黙って見過ごすと思うのか? ふざけんじゃねえよ。そんなことしやがったら、俺はおめえを全力でブチ殺す。だがな、俺様も出来れば女の子なんか殴りたくはねえんだよ。どうしても暴れるってんなら相手するしかねえんだが、その前になんかしろ。じゃねえと俺が許さねえ。とにかく頑張れ」


 リルガレオは一気にそう捲し立てると、腕を組んでぷいっと横を向いてしまった。そこでリルガレオは自分も魔獣たちに取り囲まれていると気付いた。


「そっか……そうだよね! うん、ありがとうオジサン! わたし、もう少し頑張ってみる!」


 ウィンクルムが涙の笑顔を咲かせた。


「うっ」


 それを横目で見たリルガレオが意味なく照れた。ウィンクルムの瞳は水色に、髪も黄金に戻っていた。


「が、頑張るって」

「何を、どう、頑張るの、じゃ」


 クーラエとアーカスは、正気に戻ったウィンクルムにほっとしたり呆れたりだ。


「がはははは。俺様が知るかよ、そんなん。とにかく祈れ。全力でなあ!」

「うん! 分かった!」


 リルガレオに背中をばんと押されたウィンクルムが、力いっぱい頷いた。


「アルコーン! お願い! 生き返って! わたしを! 一人にしないで! アルコン! アルコン! アルコーン!!」


 そして手を組むと、アルコンの前に跪いて思い切り叫んだ。目を固く閉じ、組まれた手は額に食い込まんばかりだ。ウィンクルムはアルコンの名を何度も叫ぶ。その度、魔獣たちはじりじりと後退した。


「そんな、こと、で……、なっ!」


 アーカスがウィンクルムの姿に目を見開いた。


「そんな馬鹿な! あれは! 赤手甲!」


 ウィンクルムの手には、アルコンの加護である聖魔法の象徴、赤手甲が現出していたからだ。


「おほっ! マジかよ!」


 リルガレオががははと笑う。


「な、なんで? あれは、アルコン様にしか使えないはずなのでは」


 クーラエは混乱している。


「生きてる! 赤手甲は、まだ生きてた! じゃあ、アルコンも! アルコンだって! アルコーン!」


 赤手甲が現れた事に力を得たウィンクルムが、さらに叫ぶ。それに呼応するように、赤手甲が光を放った。


「ぐ、う、うる、さい。ウィンクルム。耳元で、そんな、でかい声を出すんじゃない」


 そして、アルコンが目を開いた。潰れた顔は元通りに治り、肌には生気が漲り出した。


「アルコン!」

「ぐえ」


 ウィンクルムに力の限り抱き締められたアルコンは、轢かれた蛙のような声を出した。赤手甲の力がウィンクルムに付与されているのだから、再び死んでもおかしくない抱擁だった。


「アルコン! まさか、まさかこんな!」


 アーカスがぱあっと光り輝いた。朧げになっていた姿は、再び美しく整った。

 

「アルコン! アルコン! 良かったよお、良かったよおおお! うええええ」

「いででででで! おい、ウィンクルム! 力、力! 力を抜け! 死ぬ! せ、赤手甲! 主の元へ戻れえ!」

「あー、やー、やーだー」


 アルコンの呼び掛けに応じた赤手甲がウィンクルムから離れた。正統な主へとその加護を供給し始めた赤手甲の力のおかげで、アルコンは腰にへばりついたウィンクルムを引き剥がす事に成功した。


「くそ、まだ頭ががんがんする。お、いたのかリルガレオ。これはどういう状況だ? 今、何が起こっているのだ?」


 アルコンは再び腰に巻き付いたウィンクルムもそのままに、頭を振りながら立ち上がった。そして周りを見渡しリルガレオを確認すると、そう尋ねた。


「ちっ、殺された時の事を、忘れちまってやがるのか。フロウスの言ってた通りだぜ」


 リルガレオは面倒くさそうに舌打ちした。


「フロウス? フロウスがどうした? 会ったのか?」

「あー、まあ、な。つーかおめえも会ってんだがな。とにかく、少し長え話になるからよ、その前に」


 リルガレオは肩をこきこきと鳴らし、魔獣たちを睥睨した。


「そうか。では、先に片付けから始めるか」


 アルコンが赤手甲をがしゃりと鳴らす。


「やっちゃえ、アルコン!」


 ウィンクルムがアルコンの背中に飛びついた。


「グオオオオオオ!」


 それを合図としたかのように、攻殻魔獣たちが一斉にアルコンとリルガレオに襲い掛かった。




 アルコンが蘇ったのと同じ頃、北ケントゥム門では、フィリウスの率いるアイアンアームに似た兵が、攻殻魔獣を駆逐し終えていた。フィリウスは北の門衛長に、自分の持つ新しい武力を見せつけ悦にいっている。


「す、凄いですなフィリウス様。なんなのですか、あのアイアンアームたちは?」

「ははは、そうだろう? あれは私の隊が開発したものでね。名前はまだ無いんだけど……そうだな、鉄機兵とでも呼ぼうか」


 フィリウスはケントゥム門を開け放ち、悠々と戦場跡に進み出た。門衛長はその後ろをきょろきょろとしながらついてゆく。安全が約束されていない場所に行くのは抵抗があるのだ。


「鉄機兵……ですか。機械仕掛けなのですなな、あれは? いや、それにしても圧倒的な強さでしたな。銃弾も効かないあの攻殻魔獣の群れを、たったの1体で、しかも無傷とは」


 ドリチアムと同じ地位にある北の門衛長は、素直に褒め称えている。早々に攻殻魔獣の撃退を諦めた門衛長は、門を固く閉ざし、打開策どころか、ここをどう逃げおおせて失脚を免れるかしか考えていなかった。そんな所へのフィリウスの救援だ。賛辞を贈るに惜しみは無い。


 フィリウスは近衛騎士団の一隊長であり、身分的には門衛長よりも下なのだが、それに関係無くへり下る者は多い。次期提督の呼び声が高い事を、皆知っているからだ。


「いえいえ。あれでもまだ未完成ですからね。まだまだですよ。あとの2体は他の門に回していますが、この分だとそちらももう片付いた頃でしょう」


 砕け散り、哀れな残骸を晒すのみとなった攻殻魔獣の山の頂きに立ったフィリウスは、勝利の雄叫びを上げた。


「見たか、魔獣どもよ! これが新しい時代の力! 我が鋼鉄の機兵の前には、いかなる脅威も存在しない! これが、このフィリウスの持つ力なのだ!」


 直後、わっと歓声が湧き上がった。門上の兵、傷を負い、橋の欄干陰に隠れていた騎士、逃げ遅れて屋台などの商店に避難していた市民などが、腕を突き上げてフィリウスの名を連呼した。


 これがフィリウスの狙いだった。モルダスの研究を利用し、思いのままに使役出来る魔獣兵を作らせ、同時に攻め寄せる魔獣も用意させたのがフィリウスだ。これは次期提督の座をより強固なものとする為の自作自演の戦だ。現提督も敵の別働隊に見せかけて始末した。これで、門に攻め寄せた攻殻魔獣たちは陽動だった、と参謀たちは結論付けることだろう。もはや道を阻む者は無い。阻む理由を持つ者もこの戦功で黙らせる。全ては予定通りだ。だが。


「ふっ。この攻殻魔獣の"核"となった者たちには申し訳無かったが……これで私が提督となるのだから、本望だろう。ふふ。ふふふ」


 まだ誰も知らない。この攻殻魔獣と同じ数だけ、謎の死を遂げた者がいることを。500人の"子どもたち"は、フィリウスの城で、もう目覚めることの無い眠りについている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る