第25話 心の可視
リルガレオが自由を取り戻した同じ時、地上のケントゥム門前に群がる魔獣に突っ込もうとするウィンクルムを、クーラエがいまだ必死に抑えていた。
「手を離して、クーラエ。わたし、行かなくちゃ。アルコンの所へ行かなくちゃ」
「む、無理です。行けませんよ。離せば死ぬと分かっている手を離せるわけがないでしょう」
クーラエも一応は男の子だ。少女であるウィンクルムの力では、クーラエの手は振りほどけない。
「アルコン……。ウィンクルムや、行ってどうすると言うのじゃ……アルコンは、もう……」
クーラエの背中では、今にも空間に広がり溶けてしまいそうなほどにぼんやりとした輪郭しか残していないアーカスがいる。
「アーカスさん、喋っちゃダメです! 本当にもう消えちゃいますよ! ああ、もう! あっちもこっちも、どうしたらいいんですかコレッ!」
ケントゥム門壁上からは、到着した憲兵隊の援軍からの銃撃が始まった。しかし、銃弾は硬い魔獣の攻殻に、甲高い音と共に弾かれている。騎士の甲冑をやすやすと貫く脅威の新兵器も、攻殻魔獣には無力を晒した。
「くっ。ライフルも通用しない、か。残る手は……ある。……が……」
ケントゥム門最上階指揮所では、戦況を分析したブラディジィオが堅苦しい憲兵隊制服の詰め襟を外し、嘆息している。このままでは、彼の持つ権限で動かせる最大火力を行使せざるを得ない。だが、それは最悪の選択だ。
「港に停泊している憲兵隊軍艦エスメラルダの主砲、410mm砲弾での艦砲射撃なら、ライフルの7mm弾とは比べ物にならない破壊力がある。この攻殻魔獣どもも一掃出来るはずだが……」
ブラディジィオは地図を広げた指揮机を叩いた。
「同時に、このケントゥム門も吹き飛んでしまう!」
ブラディジィオは、職務に誠実な男だ。長い歴史の中、淀んで停滞してしまった騎士の支配に新風を吹き込まんとして憲兵隊を立ち上げたのは、偏にこのエディティス・ペイをより良くし、護る為だ。それが、都市を守る為とはいえ、永きに渡って人々を支えてきた要衝を自らの手で破壊するなど耐えられない。今、ブラディジィオは激しい葛藤とも戦っていた。
「今の砲手の腕では、魔獣だけを撃つのは不可能。5発……いや、6か、7は撃ち込む事になるはずだ……被害はケントゥム門だけには留まるまい。最悪、岩盤が陥没し、この一帯は地下水路に沈むだろう……。しかし、そこまでしてここを食い止めたところで、他のケントゥム門の魔獣もいる。そちらは艦砲射撃も届かない。ここだけをどうにかしようとも、無意味、だ」
魔獣王大征伐戦において各国の持ち出してきた最新兵器は、全ての士官や兵に衝撃を与えた。大征伐戦後、諸国は軍事技術の開発に躍起となり、ここエディティス・ペイにおいてもめざましい進歩を遂げる。その一つがエディティス・ペイ初の鋼鉄製の軍艦、エスメラルダだった。ただ、最新兵器はあっても、それを扱う人間の教育は遅れている。実戦の機会がないからだ。
「やはり、人だ。わけの分からない力を持つ、リルガレオのような亜人や、六英雄のような魔法士がいれば……いや、いるはずだ。なのに、なぜ? くそっ、どうして提督は近衛騎士団を動かさないのか。このままではっ……む? あれは……なんだ?」
絶望的な気分で眼下を覗いたブラディジィオは、攻殻魔獣の後ろから湧き起こる奇妙な力を感知した。ブラディジィオは目を凝らす。すると、それは徐々に渦を巻き始めた。ブラディジィオはそれを、竜巻の卵のようだと思った。だが、渦巻くのは風では無い。光だ。光が渦を巻いていた。
「うわ、わわわわ。ウ、ウィンクルム、さん?」
渦の中心には、髪を風に逆立たせたウィンクルムが立っている。危機を察知したクーラエの本能は、ウィンクルムの手を速やかに手放していた。ウィンクルムの"圧"に気圧されたクーラエは、情けなくも尻もちをついたまま、ただその異変を見続ける。
きっかけは、どうしても魔獣の群れに飛び込もうとするウィンクルムに手を焼くクーラエを、アーカスが少し助けようとした時だった。アーカスはアルコンの死のビジョンを星屑の力によって見せれば、ウィンクルムも大人しくなるだろうと考えた。アーカスは消えゆく我が身も顧みず、二人を助けようとした。その為にアルコンの死に様をウィンクルムに見せた。それだけだ。だが。
「これは、なんとしたことじゃ……信じられぬ。ウチの星屑たちが……、ウィンクルムに、取り込まれて、ゆく……!」
それを見たウィンクルムは、何かが外れた。瞳は紅く染まり、髪も端から赤みを帯びてゆく。
「アアアア、アーカスさん。これはどういうことなんですかあ? ウィンクルムさんに、何が起こってるんですかあっ?」
「分からぬ。消えゆくウチには、もう考える力も、少ない、からの。じゃが」
「じゃ、じゃが?」
「あの瞳は、魔獣王。ベスティアと、同じ、色、じゃ」
「ベ、ベスティアの、瞳?」
クーラエがアーカスの言にぞっと背筋を凍らせたその時、
「誰だ! アルコンを! 誰がアルコンに、こんなことをしたんだあーっ!」
ウィンクルムが吼えた。
「うわああああああ!」
「むう、ううう! いかん!」
ウィンクルムから、怒涛の暴風が吐き出された。
「ギャブオオオ!」
「ガアアアアア!」
背後から爆風に当てられた魔獣たちが吹き飛ばされ、ケントゥム門に次々と激突した。
「なんだ!」
「伏せろ! 防壁に隠れろっ!」
門上の憲兵隊士たちは、素早く壁に身を隠した。
「星屑たちよ!」
「うおおおお!」
アーカスは残った力を振り絞り、光の障壁を展開した。クーラエやユールもそれの中になんとか入り込むことが出来た。
「ふーっ、ふーっ……」
すぐに訪れた静寂の中、聞こえるのはウィンクルムの荒い息遣いだけだった。ウィンクルムの周りでは、まだ無数の星屑たちが渦巻き周回している。真っ赤に輝く星屑たちは、攻撃態勢にあることを示している。それを見たアーカスは、理解した。
「あれは、ウチの怒り、か。生きる希望を失ったウチは、ここにいて……希望を奪われ怒り狂うウチが、あっちに、いる」
大多数の星屑、つまりアーカスを形成する光の大部分は気力を無くし、消えかけた。だが、そうではない部分もアーカスに少なからず存在した。そして、アーカスの力であれば、たった一つの星屑ですら、あの攻殻魔獣たちを屠るには十分だ。絶望よりも怒りが勝ったアーカスの部分は、ウィンクルムに同調し、今、力を貸している。それが今起こっている現象だ。
「あれは、やはりベスティア、なのじゃ。フロウス……のう、フロウス。おぬしは、一体、ウィンクルムを、どうするつもり、なの、じゃ……」
クーラエの背から落ち横たわるアーカスは、掠れる視界で答える者のない問いかけを呟いた。
「なんだあれは? 少女、か?」
指揮所からブラディジィオもウィンクルムの力に驚愕している。特に攻撃したようにも見えないが、攻殻魔獣たちは乾いた木の葉のように転がった。その結果しか分からないのだ。
「許さない。何もかも、誰も彼も許さない。アルコンを奪った者も、そうさせた世界も、何一つ許さない。何もかも壊す。誰も彼も殺す。アルコンがいなくちゃ、この世界の何もかも誰も彼もが意味が無い。だからコワス、コロス、ナニモカモゼロニシテヤル」
そう言いながら、ウィンクルムの表情はどんどん暗く、無色透明なものへと変わっていった。星屑たちを従え、1歩、また1歩とケントゥム門前の魔獣たちへゆっくりと歩を進めるウィンクルムは、貧弱な獲物を前にした圧倒的な捕食者を彷彿とさせる。そこには快活な少女ウィンクルムの面影など微塵もない。
「ウィンクルム……」
ウィンクルムの呪いの言葉が、アーカスの胸を切り刻んだ。同じだからだ。アーカスも、どこかで同じことを思っていた。そのどこかがウィンクルムに従う星屑たちだ。自分の醜い気持ちが見えてしまったアーカスは、目をぎゅっと閉じた。
「まあ落ち着けや、お嬢ちゃん」
「えっ?」
その時、ウィンクルムの頭上から、呑気な声が降ってきた。ウィンクルムが見上げると、太陽を背負った巨漢がいる。巨漢はそのままウィンクルムのかなり後方へと地面を鳴らして着地した。丁度、ウィンクルムとクーラエたちの中間あたりだ。
「あ……リ、リルガレオ様!」
ウィンクルムに背を向けて着地姿勢から立ち上がった巨漢は、リルガレオだった。クーラエに名を呼ばれたリルガレオがにやりと笑う。
「お? つーか、これ本当にあのお嬢ちゃんか? おお? こっちはアーカスか。なんだ消えそうじゃねぇか。こいつはラッキーだったな。これなら殺される心配は無さそうだぜ」
リルガレオは不謹慎な事を言い振り返る。そして、担いでいた物体をウィンクルムへと放り投げた。物体は地面に落ちるとごろごろと転がり、ウィンクルムの足元で止まった。それを見下ろしたウィンクルムの瞳孔が激しく収縮した。
「これ……、アルコンッ!」
それはアルコンの死体だった。
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