第23話 裸のフロウス
フロウスはアルコンと同じ目線に立っていた。いや、浮いていた。あの日、別れた時のままの、若く美しいフロウスだ。艶めく黒髪、暗く澄んだ瞳もそのままの、アルコンが良く知るフロウスがそこにいた。ただ。
「……なんだ」
アルコンはあからさまに落胆していた。
「なんだ、って。久しぶりの再会だっていうのに、冷たいのねお兄……アルコン」
フロウスはアルコンの反応が不満だ。頬をぷくりと膨らまし、少し拗ねた。そのせいか、昔の通りにうっかりお兄ちゃんと呼びかけて、言い直している。
「気を遣うな、フロウス。俺の事はお兄ちゃんと呼べばいい。ま、久しぶりの再会なのは確かだが、今、ここで会えてもなあ。ちょっと感動とかは出来ないだろ」
二人の足下では、リルガレオが暑苦しく呻いている。ただでさえ光も無くじめじめと湿った地下水路だ。再会の場所としては、誰にとっても最低ランクのはずである。フロウスは「そう?」と小首を傾げている。
「あと、お前はフロウスの幻影だろ。本物じゃあない。本物であれば、もっとオバサンになってるはずだしな」
アルコンの落胆した理由としては、こちらの方が大きかった。再会の場所や状況への文句は、それを悟られない為のこじつけに過ぎない。アルコンがフロウスを忘れた日は無いのだから。フロウスがどんなに変わり果てようとも、アルコンはいつだって会いたいと思っている。
「オ、オバサン! フロウ、オバサンじゃないもん!」
フロウスの幻影は、オバサン呼ばわりされるのが聞き捨てならない。そのせいで、見透かせるはずだったアルコンの本心を捨て置いてしまっていた。
「馬鹿を言うなフロウス。お前は現在、俺と同じく36歳、しかも子持ちだ。これがオバサンでなくてなんなのだ」
「うぐぅ。そ、そうだけど! そうだけどお!」
フロウスの幻影は反論出来ずにじたばたともがいた。きーっと歯をむいたフロウスは、まるきり少女だ。これではウィンクルムの方がまだ大人に見える。
「あと、服。幻影だからいいだろうとでも思っているのかお前は。人前に裸で現れるなんて破廉恥な。この変態め」
「やーっ! それは言わないでえ! いいんだもん! 今のフロウは、アルコンにしか見えないもん!」
幻影はぱぱっと両手で体を隠した。幻影なので輪郭などは微妙にぼやけている。だからそこまで破廉恥では無いのだが、ついフロウスをからかいたくなるという習性がアルコンにはある。
「もういい! フロウ、もう帰るー! うわーん!」
「あー、待て待て。悪かったよフロウス。何か用事があって出て来たのだろう? 実は俺も結構困っているのでな。助けてくれるのなら助けてくれ」
「あ。そうだった。もー、アルコンが余計な事ばかり言うから、大事なことを忘れるところだったじゃない」
フロウスは走り出したところで思い直し、ぴたりと止まって振り返った。長い黒髪がふわりと広がり、さらさらと流れた。
「……今のフロウは、アルコンの加護だよ。このフロウと話が出来てるってことは、アルコンは……死んでるはず、なんだよね?」
本来の目的を思い出したフロウスの幻影は、搾り出すように話し出した。
「ああ」と頷いたアルコンは、フロウスの幻影には自分しか見えていないようだと思った。そんな事は見れば分かりそうなものだからだ。確認する必要性を感じない。
「フロウ、アルコンに万が一の事があった時の為に準備しといたの。ごめんね、アルコン。フロウがここでアルコンの前に姿を現しているってことは、ウィンクルムから封印のペンダントも受け取ってるはずだよね? ごめんね、ごめん……」
「謝るな。俺はお前のする事であれば、全てを赦して受け容れる。いつも、いつだってそう言ってきただろう」
ぐすぐすと泣き出したフロウスに、アルコンは自分が当然とする事を言い聞かせた。フロウスは、いつもこれでたいてい泣き止む。
「でも、でも……フロウ、アルコンを利用して……ごめんなさい、フロウ、アルコンに死なれると困るから。絶対に死なれたくないの、ウィンクルムの為なんだもん。フロウ、フロウは、自分勝手で卑怯なんだよ! あああ、ああーん!」
しかし、このフロウスの幻影は、それでは泣き止まなかった。どころか、さらに大声で泣き始めた。耐えられなくなったアルコンは、フロウスの幻影を抱き締めた。
「あっ……」
「うるさいぞフロウス。そしてくどい。俺を利用したいなら、どんな風にも使えばいい。それで今の俺が生きていい理由になるのなら、俺はその方が嬉しいのだ。だからもう泣くな、フロウス。俺は、お前の泣き顔など見たくない。もう、二度と」
アルコンは分かっていた。昨日、加護の力を取り戻した時。あのペンダントには、フロウスの思念が込められていたからだ。その思念は、加護の封印について説明すると同時に、嘘偽りの無いフロウスの現状をも語った。残酷なほど正直に、フロウスがいかにウィンクルムを愛しているか。
そして、アルコンよりも、ウィンクルムの方が大事であるという事も――。
それは仕方の無い事だった。フロウスには嘘が吐けない。どんなに誰かを傷つけようとも、フロウスは本当の事しか話せない。それがフロウスにとっての禁忌だからだ。フロウスの加護が力と同時に与える制約だからだ。
フロウスの禁忌。それは「嘘を吐いてはならない」なのだから。
アルコンの脳裏には、かつてのグラディオの姿が蘇っていた。
『アルコン。もはや、あなたに生きる理由は無い。そして戦う意味も無い。そんなあなたが、その強大な力を持つ危険さを、考えた事があるのか?』
もちろんだった。だから、こうなる日が来るのを恐れていた。言われるまでもない、と。若き日のアルコンはそっぽを向いた。
『フロウスは、これから僕が守っていく。これは、あなたの生きる理由……つまりは存在意義を奪うに等しい。では、あなたの加護は? これからは、何の為に使うんだ? 誰に必要とされるのか? 求められたとして、途轍もない代償を払う、その呪われた聖者の力を……あなたは、また使えるのか?』
知らない。少なくとも、俺にはもう必要ない。そう思うも、アルコンは答えなかった。
『考えてくれ、アルコン。察してくれ、アルコン。フロウスは、本当の事しか話せない。だから、説明出来ないんだ。優しい嘘であなたを騙したくてもそれが出来ないフロウスは、今、沈黙する他にない。だけど信じていて欲しい。いつかきっと、またあなたの力が必要になる。だから、だから……』
また泣き出したか。こいつは本当に良く泣くやつだ。世界中の悲しみを、一人で背負っているような顔をする。アルコンはいつもそう思う。アルコンはグラディオのそういう所が大嫌いで――同時に、大好きでもあった。
『生きてくれ。苦しくとも悲しくとも、そして、寂しくとも……』
グラディオのガントレット越しにアルコンの肩へと伝わる体温は、今までに感じた誰のものよりも熱かった。
「アルコン?」
「あ? ああ」
気づけば胸の中からフロウスに見上げられていたアルコンは、現実に戻った。フロウスはもう落ち着いている。フロウスを泣き止ませる最後の手段は、今も有効のようだった。
直後、猛然と水音を立てて、何者かがアルコンたちのいる方へと迫っていた。アルコンはフロウスを胸から離すと、闇に目を凝らした。
「リルガレオ様!」
「リルガレオ様、大丈夫かよ?」
「うお? おお、おめぇらか」
それは獣人だった。リルガレオ配下の、フードで顔を隠した獣人が2人、激しく息を切らしている。タフさが売りの獣人がこれほど肩で息をしているところを見ると、リルガレオを探してかなり走り回ったに違いない。
「何を遊んでいるんだよ、リルガレオ様。外は魔獣の群れが湧いて出てきて大変なんだぜ」
「ケントゥム門ですら、もう破られそうになってますぜ。このまんまじゃ、エディティス・ペイは壊滅だって話だぞ」
「遊んでるわけじゃねーよ。と、なにぃ? ちっ、そりゃあここにいた魔獣だな。分厚い鉄板で出来てる門でもやべーのか。やけに強えな。いで、てててっ」
「あと、そこに例の、ほれ、昨日のお嬢ちゃん。なんつったっけ?」
「えーと。あ、なんとかクルム。あの、無茶な女の子も来てるんだがよ。修道士のクーラエと一緒にな。で、今度は魔獣が群がってる門を乗り越えようとしてるらしいぜ。何を考えてんよか知らねぇがよ、ありゃあ、今度こそ死ぬなあ」
「だな。頭おかしいんじゃねぇか、あの嬢ちゃん。げらげらげら」
「おい。おめぇら、報告はいいんだけどよ。その前に、俺を助けようとか思わねぇ?」
リルガレオと獣人たちのやり取りを、フロウスは顔を青くして聞いている。
「いけない……いけないよ、アルコン!」
「ああ。だが落ち着けフロウス。幸い、俺の弟子であるクーラエがついている。あいつがいれば、ウィンクルムも無茶なことは出来ないから安全なはず」
「違うの! そうじゃない!」
「何?」
激しく頭を振るフロウスに、アルコンは固まった。そして、次に絶句した。
「アルコンが死んでいる今、ウィンクルムの力は抑えられない! このままじゃ、このエディティス・ペイが消滅する!」
フロウスは嘘が吐けない。だが、ウィンクルムに消滅させられるエディティス・ペイなど、アルコンにはどうしても想像が出来なかった。
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