第22話 声
フィリウス・ラル・ドリチアムの涼やかな笑顔は、一分の隙も無く装着された物々しい甲冑や腰に佩かれた剣には不似合いだった。非常事態に提督室を訪ねるには相応しいのだが、そもそも、この優しげな青年が戦士であることに違和感があった。体躯こそそれなりに立派ではあるが、雰囲気は学者か画家か詩人の纏うそれだった。
「存外と短気者だったのだねフィリウスくんは。私を殺しに来たのだろう?」
そんなフィリウスに両腕を広げて迎える提督は、まるで久しぶりに訪ねてきた孫でも歓迎するかのような風情だ。フィリウスに投げかけた言葉を除けば、だが。
「いえ、そうでもありません。この日の為に、準備は二年を要してますので」
フィリウスもそれに応じた。あくまでも笑顔で、その殺意を肯定したのだ。
「二年、か。しかし、もう半年も待てば、私の孫娘との婚儀も成ったはずだろうに。そうなれば、焦らずともエディティス・ペイの次期提督の座は君のものとなっただろう」
「そうですね。昨日の会食においても、ウーヌス卿はご気分を悪くされていましたし、寿命がさほど無さそうなのは分かります。まぁ、私などはその前に吐血していますけどね……六英雄のアルコンが、私の”駒”を殴り飛ばしてくれたせいですが」
「駒?」
「ああ。これのこと、なんですけどね」
フィリウスが踵をこつんと鳴らすと、ケントゥム門に押し寄せているのとはまた違う甲殻魔獣が三体、のそりと提督室に侵入した。フィリウスはもう、提督の許しなど必要としていない。
「これは甲殻魔獣かね? これは……確か」
「提督はあまりご存知無いでしょう。なにしろ、子ども向けのアニメーションに出てくるロボットなのですから」
「そうか。これは、アイアンアーム!」
フィリウスの後ろに並ぶのは、モルダスが地下水路でリルガレオに自慢していた、アイアンアームを模した魔獣だった。
「なるほど。そういう策か」
提督はぽんと手を叩いた。フィリウスの意図が、すっかり汲み取れたのだ。
ここにこんなものまでが入り込んでいるということは、もはや提督府城の警備は壊滅している。そして、事後処理についても対策をされている。それを提督は分かっていた。しかし、サピエンティアはいつも通り飄々としている。
「お分かりいただけましたか」
アイアンアームもどきの魔獣を見れば、この老獪な提督もさすがに青くなるだろう。この枯れた柳のような提督には魔術の心得や特別な武力は無いのだから、死を覚悟するしかないはずだ。そう予想していたフィリウスは、逆に自分が内心の動揺を隠さなければならなかった。しかし、やるべき事に変更は無い。そして、手筈にも間違いは無い。フィリウスは不安を払拭すべく、軽く手を挙げ合図した。
「さようなら、提督。お世話になりました」
三体のアイアンアームがサピエンティアに襲いかかった。
「あれは……俺、か?」
アルコンは地下水路に倒れている自分を俯瞰していた。うつ伏せに倒れた自分を俯瞰するなど、通常ならば不可能だ。アルコンもすぐにそれが分かったので、これは異常事態だと判断した。が、だからといってどうすることも出来ない。アルコンは仕方がないので「ふむ」と自分を観察した。
「これは……死んだな」
が、それもそんなに時間のかかることでは無い。ひと目で分かる状態だからだ。では、ここでこうして自分を見ている自分は何なのか?
「魂かな? 俺は今、魂となって自分を見ている、としか思えんが……ははは。まぁ、空中にぷかぷか浮いてるしな。そういう事にしておこう」
アルコンは妙に納得していた。そして、笑えていた。うっかり殺された自分が可笑しかったのだ。生還率30万分の6という激戦を超えてきた自分が、こんな暗い地下水路で、誰に知られるともなく、なんの名誉も大義も無い事で、あっさり殺られたのだ。これは事故死に近いだろう。あの時に亡くなった299994人の戦士たちも、天国で呆れているに違いないと、そう思ったからだ。
「いでで、いてっ、てててて」
「む? おお、リルガレオか」
苦鳴のする方へ目をやったアルコンは、魔獣の群れに身動きを封じられたリルガレオに気がついた。星屑がいなくなり、真の闇となった地下水路だが、アルコンは見えるようになっている。
「ほう。さすがのリルガレオも、オスティウム・ウルマが六体がかりだと動けなくなるのだな。なんだ、いつもあんなに怪力自慢をしているくせに、意外と大したことないじゃないか」
アルコンはがっかりした。アルコンの感覚では、20や30は跳ね返すと見積もっていたのだ。しかし、今リルガレオを抑えているのは、モルダスから改造を施された魔獣たちなのだから、その計算は間違っているのだが、アルコンはそれを知らない。
「お、いい音がした。今、リルガレオのどこかの骨が折れたな。ふーむ、このままではリルガレオも殺られるが」
アルコンはリルガレオの上に移動して腕を組んだ。思った方へと滑るように行けるのが、不謹慎なアルコンは結構面白がっている。
「魂の俺は何が出来るのだろうな? どれ、一応リルガレオに取り付いている魔獣を、一発殴ってみることにしようか」
アルコンは「ぐおおおお」とかなり苦しんでいるリルガレオの元へのんびりと降り立つと、魔獣の一体を思い切り殴った。
「お?」
つもりだったが、アルコンの拳は虚しく魔獣をすり抜けた。魂である自分に、物理的干渉力は無いらしいとアルコンは悟った。
「ダメか。すまんな、リルガレオ。死にたくなければ、後は自分でなんとかしてくれ。と、そう言えば、俺がお前を助けてやる義理なんて無かったな。あっても無理に助けようとは思わないだろうが」
アルコンの酷い呟きは、リルガレオには幸いにして届かなかった。アルコンはやる気が無い。早々に諦めたアルコンは、あれだけ並んでいた魔獣が消えている事に気づくと、無性に地上へ出たくなった。その時。
「アルコン」
「……えっ?」
体に馴染む、聞きなれた声がアルコンに呼びかけた。それは、アルコンにとって特別な声だ。大事な人の声だった。それが誰なのかすぐに分かったアルコンは、その声の主を本能で探し、そして強く求めた。
「フロウス!」
強く儚く美しいその声は、沈黙の魔導師フロウスのものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます