第21話 死すら愛しく

 厚さ5センチの鋼板を紫檀という硬質な木材に張り付けた、全高10メートル、幅40メートルという巨大かつ堅牢な門扉でさえもが、モルダス率いる攻殻魔獣の群れによる激しい激突によってへこみ、軋み、変形を始めていた。


 が、モルダスの姿はない。


「信じられん。このままでは、いつかはこの門ですら破られる」


 門上の弓射台で、一人の弓兵が呟いた。この弓兵がこう言うのも自然なことだ。過去、このケントゥム門は、たった500の守備隊で6万の軍勢を退けたという実績がある。エディティス・ペイという城塞都市が、どんな大国を相手にしても陥落した事の無い理由がここにある。


「迎撃に出た騎士隊は全滅したか……すまない……すまない……」


 ケントゥム門の高楼、最上階にある指揮所から、ガラス越しに地上を見下ろしてそう呟きうなだれたのは、西街区方面憲兵隊の若き隊長、ブラディジィオだ。憲兵隊の地位向上の為、普段は騎士団との摩擦の絶えない男だが、元々出身は近衛騎士団だ。滅多に表には出さないが、騎士への敬意は人一倍持っている。


 ウィンクルムとアーカスを背負ったクーラエ、それにユールは、無数の魔獣が押し寄せる門扉の騒乱を後ろから見ていることしか出来ない。あの向こうにアルコンがいると分かっていても、そこに行くことは不可能だと誰もが思う状況だ。しかし、ウィンクルムは。


「さあ、行こう」

「えっ? 行くってウィンクルムさん、まさか」


 門へと歩き出すウィンクルムを、クーラエが呼び止めた。それが聞こえないかのように止まらないウィンクルムに危うさを覚えたクーラエは、反射的に腕を伸ばした。


「腕を放して」

「で、出来ませんよ。放したらウィンクルムさんは、あの魔獣の群れに突っ込んで行くんでしょ?」

「そうだよ。だって、あの門の向こうにアルコンがいるんだから。分かってるならすぐ放して」

「分かってるから放せないんです。そんなの、死ぬだけじゃないですか!」

「死なないよ。わたしは死なない。あの魔獣の群れをすり抜けて、あのお城のような門を乗り越える。わたしがしたいのは、たったそれだけのことだから」

「あの魔獣たちのどこにすり抜ける隙間があるって言うんですか? それに、門を乗り越えるなんて無理です。壁に掴まるところなんて無いし、全体的にオーバーハングしている上、ネズミ返しのような構造も入ってる。そんなに簡単に通れるような門だったら、このエディティス・ペイはとっくに侵略されてます!」

「そんなの知らないよ。でも、わたしは行く。絶対に行くし行けるんだよ。だって、わたしがこうしたいと思ったことが出来なかったことなんて、たったの一度だってないんだから」

「なっ……」


 クーラエは絶句した。ダメだ。ウィンクルムはもうアルコンのことしか考えられないのだ。論理立てた説得など、今のウィンクルムには意味が無い。クーラエはそう思った。



 ――その同じ頃、エディティス・ペイの中心に聳える提督府城にも、魔獣の群れが押し寄せているという報告が入っていた。


「ほう。オスティウム・ウルマが? 東西南北、全ケントゥム門に攻め寄せて来ている、と」


 陽の燦々と降り注ぐ提督執務室の大窓からエディティス・ペイを一望する、白髪頭の初老の男は、後ろ手に振り返ることもなく、直立したままの事務官の報告を繰り返した。


「はっ。事態は急を要するかと」


 事務官はのんびりと都市を眺めるその男に内心苛立ちを覚えていた。このたった一言の間に、一騎士隊くらい全滅していてもおかしくないと、そう思っているからだ。


「リルガレオは? 獣人の王は動いたかね?」

「いえ。リルガレオの確認報告はありません」


 事務官からの報告に「そうか」とだけ答えた男は、眼下を見たまま黙りこんだ。事務官はその背に懐疑的な視線を投げる。しばらくして、男が口を開いた。


「では、放っておこう」

「……は?」


 事務官は耳を疑った。ケントゥム門が破られれば、市街戦に移行せねばならない。相手は高い防御力を誇る攻殻魔獣なのだから、市街での高火力兵器使用もやむを得ない。そうなれば、街への被害は甚大なものとなる。


「聞こえなかったかな? 私は、放っておこうと言ったのだよ。防衛は通常配置、各々持ち場にて迎撃に当たれ。以上だ」

「……は、はっ……」


 事務官は明らかに不服な様子だったが、有無を言わさぬその命令口調に従わざるを得なかった。事務官は床を踏み鳴らし、挨拶もせず提督執務室を退室した。


「ま、そうだろうな」


 やっと振り返った男は、苦笑いを浮かべた。自らの指示が納得いくもので無いことは、分かりすぎるほどに分かっていた。


 この男こそが、交易都市エディティス・ペイの最高責任者だ。階級は提督。基本的に、エディティス・ペイは軍の支配下にある。


 このサピエンティア・ド・ウーヌスが、エディティス・ペイ提督に就任してすでに25年が経過している。その任期から、サピエンティアはこの都市について知らぬことなど無いと自負していた。


「こんな時、真っ先に動きそうなリルガレオの所在が不明、か。そうだろうな。リルガレオを封じたからこそ、敵は攻撃を開始したのだ」


 サピエンティアは、ゆっくりと自身のデスクに腰掛けた。そして、パイプを取り出して火をつけた。大きく吐き出された紫煙が、執務室内をゆらゆらと立ち昇った。


「だが、本当にそうであれば、このエディティス・ペイも舐められたものだな。ふふ。千にも満たない魔獣の襲撃など、ボヤみたいなものだ。敵は、この都市の本当の力を思い知ることになるだろう」


 サピエンティアは、灰皿にパイプを強く打ち付けた。それを合図としたかのように、執務室のドアがノックされた。上品で控え目ながらも、良く響くノックの音だ。


「入りたまえ」


 サピエンティア提督は、それが誰なのかすでに知っている。


「失礼いたします」


 すい、と猫のように滑らかに入室したのは、美しくも凛々しい騎士だった。背負われた純白の長いマントは、近衛騎士団の一隊長であることを示している。


「やあ、フィリウスくん。きっと来るだろうと思っていたよ。体はもう大丈夫なのかな?」


 提督が親しげにその騎士の名を呼んだ。フィリウス・ラル・ドリチアム。西方門衛隊隊長、アルペジオ・ラル・ドリチアムの息子にして、騎士ユールの親友である。




「あ。ウィンクルムさん、あれ!」

「あれ? あ!」


 クーラエの手を振りほどこうとしていたウィンクルムは、指差された空に浮かぶ光に気づいた。星屑だ。アルコンとリルガレオがトイレに飛び込んだ時、2つに分かれ地上に留まった方の星屑が、魔獣たちの上で砂埃に紛れて彷徨っている。


「あれ、アーカスさんの星屑ですよね。もしかして、何か知っているのでは?」

「きっとそうだよ。おーい、星屑ちゃん!」


 ウィンクルムは得意の大声で星屑を呼ぶ。クーラエは魔獣たちの注意まで引くのではないかとひやひやした。それはともかく、星屑にはウィンクルムの声が間違いなく届いた。目的を得た星屑は、一直線にウィンクルムへと飛んできた。そして、クーラエに背負われたアーカスへと溶け込んだ。瞬間、アーカスがびくんと痙攣した。星屑の見てきた情景が、アーカスに流れ込んだからだ。それはアーカスにとって、あまりにも衝撃的な映像だった。


「あ、あ……」

「え?」

「アーカス? アーカス!」


 直後、アーカスの体が透けだした。空気に溶け出しているかのように、あたりが朧げな明かりに包まれる。光粒子の集合体であるアーカスの体をアーカスの姿として形作っているのは、アーカスの精神力のみに依るものだ。アーカスがアーカスとして生きてゆく意義を見失った時、アーカスはただのエネルギーとして大気に混ざり、消えてゆくしかない。


 弱点である禁忌を失い無敵へと近づくも、同時にそれのせいで消滅しなければならなくなったアーカス。


 その姿は、加護という力の皮肉さを浮き彫りにしていた。


 しかし、これでいいとアーカスは思う。

 どの道、アルコンを殺せばこうなることは分かっていた。アルコンと自分は、ある意味運命共同体なのだ。アーカスにとって、それは何よりも嬉しい事だった。


 アーカスは、こんなにもアルコンを愛している自分が誇らしかった。


 

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