第20話 ケントゥム門

「な……んじゃ、と……?」

「ど、どうしたの、アーカス?」

「アーカスさん?」


 アーカスはふらふらと教会の礼拝堂へ向かった。さっきまでウィンクルムに散々アルコンの悪癖や欠点を説き続けていたアーカスが急に黙った事に、ウィンクルムとクーラエは戸惑っている。アーカスの瞳の輝きは失われ、焦点すら合っていないようだ。足取りは夢遊病にでも冒されているようで、ひどく頼りないものだった。


「そんな馬鹿な……そんな……」

「わっ。アーカス?」

「だ、大丈夫ですか、アーカスさん! ……えっ?」


 ふわりと仰向けに倒れるところを、クーラエが滑り込んで抱き止めた。軽い。まるで羽毛のように軽いアーカスに、クーラエは驚きを隠せない。


「どうしたのアーカス? なんで? なんで泣いているの?」


 クーラエの片膝に支えられ、力なく天を仰ぐアーカスの瞳からは、大粒の涙がぽろぽろぽろぽろと零れていた。零れた涙はそのまま星屑となって宙を舞う。先程までの覇気も威厳も一切失ってしまったアーカスを、ウィンクルムは跪いて覗き込む。


「アルコンが……アルコンが……」

「危ないの? 怪我してるの? どこ? アルコンは今、どこにいるのっ?」


 尋常ではないアーカスの様子から不安に駆られたウィンクルムは、勢い込んで問いかける。だが、アーカスの喉には何かが詰まっているかのように、言いかけては息が止まり、口を開けども言葉は出ない。それでも、ウィンクルムとクーラエは辛抱強く言葉を待った。そして。


「……死んだ」


 刹那、三人の時が止まった。


 そして、それだけ溢したアーカスは、堰を切ったように大声で、子どものように泣きじゃくり始めた。


「……死んだ? 誰、が?」

「ウィンクルムさん?」


 誰にとも無く問いかけたウィンクルムは、胸を握り締めてアルコンとの繋がりを探っている。心でアルコンに呼びかける。なぜだか感じていたアルコンの命は、もう分からなくなっていた。


 クーラエにはそんな事など分からない。クーラエにとっては、アーカスからの情報が全てだ。だから、クーラエには実感が無かった。アーカスの言葉など、まるで信じられないものだった。


「アルコン様が、亡くなった? あは、はは。そういう冗談はやめてくださいよ、アーカスさん。そんな悪趣味なこと言われると、僕は友達やめちゃいますよ? だいたい、アーカスさんはアルコン様を殺すって言ってたじゃないですか。なのに、なんでそんなに哀しんだりしてるんです? わけが分かりませんよ……わけが! 分かりませんよっ!」


 最後、クーラエは自分が怒鳴ってしまっていることにはっとした。どうして自分はアーカスに怒鳴りつけているのか? 分からない。クーラエは自分のしていることに理由がつけられない。


「どこ? ねぇ、アーカス。アルコンはどこ? どこにいるのっ!?」

「ウィンクルムさん! 落ち着いて下さいウィンクルムさん!」


 アーカスの頭を両手ではさみ、声を荒げて乱暴に揺さぶるウィンクルム。クーラエも大声を上げていた。ここに冷静な者はいないのだ。


「……地下。……地下の、水路、じゃ」


 アーカスは搾り出すように答えた。ちびアーカスが最後の力を振り絞り、アーカス本体へと通信していたのだ。ちびアーカスにも理性は一欠片しか残っていなかったのか「地下水路、アルコン死す」とだけしか送れなかった。


「地下水路。クーラエ、分かる?」

「え? ええ。と言っても、このエディティス・ペイの地下全体を網羅する水路なので、それだけでは探しようが無いですけど」


 ウィンクルムとクーラエは、同時にアーカスに目をやり、更なる情報を促した。


「……あっちじゃ」


 それはアーカスに伝わった。アーカスが弱々しく指差す方向は、今自分たちが戻ってきた大橋だ。


「急ごう!」

「はい!」


 ウィンクルムが立ち上がり、クーラエがアーカスを背負った。


 教会を出て、いろいろな物に蹴躓く下町の雑多な通りを抜けて、朝通った大橋へ向かう三人。無我夢中で駆け抜ける中、それでもアルコンの死に半信半疑なクーラエには幾ばくかの理性があり、すれ違う人々の会話が聞き取れた。


「中央街区方面はヤバいらしいな」

「実際に見たやつがいるらしいしな。とにかく下町の方へ逃げときゃ心配無いだろとりあえず」


 そう言えば見かけるのは反対に向かう人ばかりだ。中央へ向かう者は誰もいない。クーラエは普段とは違う、あまりにも異質な大橋の人波に不安を募らせた。


 見れば、橋に並んでいた屋台も出店もみな急いで店を畳もうとしている。ここいらではあまり見かけない貴婦人が、子どもの手を引いて足早に消えてゆく。


「急げ!」

「いる人間だけでも現場に向かうしかない!」


 ウィンクルムたちは、馬を駆る騎士たちに追い抜かれた。泥のついた甲冑に、見覚えのある紋章。クーラエは、それが昨日オスティウム・ウルマと激しい戦闘を繰り広げたドリチアム門衛隊の騎士だと気づいた。


「クーラエ! クーラエじゃないか?」


 と、クーラエは後ろから呼び止められた。


「あ、ユールさん」


 ユールだ。アルコンに助力を乞いに教会を訪れた騎士ユールが、跨る馬をいななかせながら止めていた。


「どこに行くつもりだ君たちは? この先は危険だ。早く引き返したまえ」

「そ、そう言うユールさんこそ、どこに向かっているのです? 昨日、あんなにぼろぼろになったのに。今もふらふらじゃあないですか」


 確かにクーラエの言うとおり、ユールは馬を駆っていると言うよりは、しがみついていると表現するべき姿だった。甲冑の隙間からは、血の滲んだ包帯がいたるところから覗いている。戦えるような状態でないのは、誰から見ても明らかだ。


「私のことはどうでもいい。いいか、この先には、昨日の攻殻魔獣オスティウム・ウルマが百近くはいるという情報が入ったのだ。ここまで言えば分かるだろう?」

「ええっ? ひ、百!」


 クーラエは魔獣の数もさることながら、そこにそんな体で臨もうというユールに対して驚いた。この人は、一体自分の命をどう考えているのか? 無駄死にするのは明白なのに、なぜそんな死地へと、そんな迷いの無い瞳で向かえるのか? 


「はっ。じゃあ、もしかしてアルコンは!」


 ウィンクルムが自らの想像にぞっとしている。アルコンがあの攻殻魔獣をそんなに大量に見かけたなら? 加護のあるなしに関わらず、突っ込んで行ってしまうのでは? その結果が、今なのでは?


「アルコンッ!」

「あっ! ウィンクルムさん!」

「こ、こら! 人の話を聞いてたのか!」


 駆け出したウィンクルムをクーラエが追い、さらにその2人、いや背負われたアーカスを含めて3人をユールが追う。


「待たないか!」

「待たないよ!」


 ユールの呼びかけなど、ウィンクルムにとっては蝿の羽音だ。しかし、ウィンクルムはすぐに停止を余儀なくされた。


「あっ!」

「うわ、わあっ……」

「むうっ……まさか、本当に……!」


 なぜなら、橋の終わり辺りに差し掛かったところで、件の攻殻魔獣の群れと遭遇したからだ。


「うおおおおお!」

「退くな! 守れえ!」

「騎士団は前へ! 憲兵隊、射撃による援護を頼む!」


 そこは、すでに血風吹き荒ぶ戦場だった。都心への入り口である西ケントゥム門は堅く閉ざされ、朝の開放的な雰囲気など微塵も残ってはいない。そこは弓兵騎馬兵重機甲兵など、あらゆる兵種を蓄えては適時出撃させられる、防衛の要としての機能を顕にしていた。


 これは、門にして城。エディティス・ペイの喉首を守護する、鉄壁の要塞なのだ。


「だ、だめだ。騎士隊の剣は通じない。かと言って、銃士隊のライフルも効いてはいない……! これでは、このままではっ!」


 先行したユールの同輩騎士も、成す術なく馬でたたらを踏んでいる。昨日の戦いを経験した騎士たちだ。助力の為に後ろから斬りかかろうとも、その無意味さは痛感している。


「アルコン……は、その、先じゃ……なのに……」

「え? アーカスさん? アルコン様は、ケントゥム門の向こうにいるのですか?」

「アーカス? それ、ホント?」


 クーラエの背でアーカスが呟いた。それを聞いたウィンクルムは、きっと門を見据えた。


 門の向こう側。中央街区から続々と詰めかけ始めた軍隊の踏む堅固巨大な一枚岩。誰にも気付かれずに、ひっそりとした煙を立ち昇らせる穴がある。


 アルコンは、その下にいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る