第18話 必敗の運命

 アーカスはウィンクルムの目の前まで進み出ると、がしっとその細い肩を掴んだ。意外な握力の強さに、ウィンクルムが顔を顰める。


「ウィンクルム。おぬし、自分の出生について、フロウスかグラディオから何か聞かされておらぬか?」

「え? ううん。特には、何も」


 ウィンクルムは反射的に首を振っていた。アーカスがそう尋ねる様子は、まるで我が子に隠していた不治の病を知られてしまったのではないかと案ずる親のようで、あっさりと素直に答えたくなってしまう。


「そうか」


 アーカスは安堵し、手の力を緩めた。ウィンクルムはその手をちらりと見やり、すぐにアーカスの顔へと目を戻す。


「では、何かをするように言われたか? アルコンには、何の為に会いに行けと?」

「それなら言われたよ。ママからは、アルコンを助けてあげて、って。あなたが必要だからって。でも、それとは関係なく、私はアルコンに会いたいって思ってた。お嫁さんになるって決めてたもん」

「……は? おぬし、何を言うとる? アルコンの嫁? アルコンと結婚するつもりなのかや?」

「ん? どうしたんですか、アーカスさん? なんか、随分と体がかたかたしてますけど」


 横で見ていたクーラエが、ただならぬアーカスの様子を心配している。相手は、一つの街を滅ぼすなど、ロウソクの火を吹き消すに等しいくらいに規格外の破壊力を秘めた六英雄の1人だ。自分は今、いつ爆発してもおかしくない巨大な爆弾の側にいる。いざとなればウィンクルムを連れてすぐに逃げられるよう、クーラエは注意を怠らない。


「お、おいおいおい、ウィンクルムや。アルコンはあの通りのおっさんではないかや。おぬしほど若くかわいいのであれば、わざわざあんなのと結婚する必要などあるまいて。何か? それはフロウスに命令されておるのか? もしそうなら、ウチがフロウスをがつんと叱ってやってもよいぞ。子を望まぬ相手に嫁がせようなどと、許せる話ではないからの。うむうむ」


 アーカスはウィンクルムの肩をぽんぽんと叩いた。アーカスはウィンクルムに本来聞きたかった事をすでにして見失っていた。ウィンクルムがアルコンの嫁になるにしてもならないにしても緊急性の低い話なのだが、アーカスにはそんな判断力も無くなっている。


「ありがとう、アーカス。でも、違うよ。私はアルコンが好きなの。私がアルコンを好きなの。だから、お嫁さんになりたいの、って、痛たたたた! 痛いよアーカス!」


 ウィンクルムの肩にアーカスの爪が食い込んだ。


「はあああああ? なんでやねんなウィンクルムウウウウ?」


 アーカスの顔は、道端で肩がぶつかった相手に因縁をふっかけるチンピラのように歪んだ。


「わああああ! 誰ですかこれえ!?」


 クーラエが思わず叫んでいた。




 ぴちょん、と暗闇の大空洞に水音が響いた。寒々しい地下の闇が、一層温度を下げたように感じる。


「お前、加護が見えるのか?」


 アルコンはちびっ子アーカスの小さな光に照らし出される醜い男をまじまじと見つめた。ぼうと浮かび上がる皺の数々が、モルダスという醜男を更に不気味に見せている。


「へえ。私、これでもいろいろと研究しておりますのでねえ。いつからか、加護使いを見分けることが出来るようになりまして、最近では加護自体がなんとなく見られるような気がしてましたが」


 モルダスはぼりぼりと頭をかいた。


「本当かや? 信じられぬのう」


 ちびっ子アーカスは疑惑の視線を向けている。しかし、それは汚物を見る目と大差は無い。


「アルコン様の加護は、現在封印されておりますなあ。が、それを解く者が今はそばにいるようですねえ」

「!」

「!」


 そう漏らしたモルダスに、ちびアーカスとアルコンが驚愕している。リルガレオは「へー」と鼻をほじった。


「者? 人か? 物ではなく?」


 アルコンが問いかけた。アルコンはウィンクルムに渡されたペンダントが封印を解く鍵だと思っていたからだ。あの後、ペンダントは消失し、また加護が使えなくなっている。だからアルコンはペンダントがまたウィンクルムの元にあるのだと考えていた。だからウィンクルムの元に急いだ。


「人ですねえ。それも少女でありますなあ。どうやら封印が解かれるのは、その少女の意志に

依るようで……こんなこともあるんですねえ。これは面白い。ふひっひひひ」

「なんだと? それが本当であれば、全く面白くなどないが……何を根拠にそう思うんだ、モルダス?」


 不謹慎に嗤うモルダスに、アルコンは不快感を顕にしている。


「ふひひ。根拠など、そう感じるからとしかお答えしようがないですけども。しかし、とんでもない力によって創造された封印でありますねえ。加護の有り様を捻じ曲げるなど、およそ人間業とは思えませんなあ。これを行った術者は、何故にこのような封印を施したんでしょうかねえ。興味深いことですな」


 アルコンはモルダスの答えに「ふむ」とだけ呟くと腕を組んだ。納得したのだ。モルダスが見えている証明としては、これだけで十分だった。


「さて。興味深いと言えば、お前もだが。モルダス、お前、なぜ嘘をついている?」

「おや?」


 出し抜けに言われ、モルダスは面食らった。


「お? なんだ、気づいてたのかよアルコン。まあなあ、最近越して来たとか言ったくせしてキャラバンに頼んで魔獣集めしてるとか、矛盾してる点がありすぎだぜ。禁忌については本当の事を言うしか無かったんだろうがな」


 リルガレオは当然とばかりにふんぞり返る。


「なんじゃと? 嘘をついておるのかや?」


 ちびアーカスは分かっていない。


「うひゃひゃ。バレておりましたか」

「ぐあっ!」


 モルダスが嗤うと同時に、アルコンの後頭部を鈍い衝撃が襲った。地下水路の水面を、アルコンが水切り石のように吹き飛んでゆく。そのままかなり遠くの壁に激突したアルコンは、うつ伏せに倒れぴくりとも動かない。


「てめえ! ぐっ!」


 すぐにモルダスへの反撃に出ようとしたリルガレオだったが、背後から何者かにがっちりと羽交い締めにされた。


「きゃうっ!」


 ちびアーカスも蝿のように叩き落とされ水に沈んだ。そして光は失われた。


「なんのつもりだ、てめえ?」


 リルガレオはちらと後ろに目をやると、自分を拘束しているものの正体を悟った。オスティウム・ウルマだ。無数に並んでいた攻殻魔獣の1体が、リルガレオを背後から抑えている。


「いいですよねえ、六英雄様は。世界最強とは、敗北から最も遠い場所にその身を置ける者ですから」

「ああん?」


 質問の答えとも思えない答えに、リルガレオは眉根を寄せた。こういう輩が最もリルガレオを苛つかせる。


「この世には、世界最強とそれ以外の者の2種類しかおりませんよねえ。最強の人以外は、いずれ必ず敗北を喫する運命にあるわけで」

「何が言いたいんだ、てめ?」


 リルガレオの額にピキピキと血管が浮き出した。その様は地割れを思わせる。


「敗者は、負ける度に、それでも粉々になった勇気を拾い集め、また挑む。それが己の限界だと知りつつも、敗けるわけにはいかないからです。勝てなくとも、挑み続ける限りは真の敗北に至らない。そう信じて」

「だからなんだっつーんだよ? いいじゃねぇか、そんなん本人の勝手だろうがよ」


 獣人王と呼ばれるリルガレオとて、何度も無力を味わっている。そんなことはとっくに乗り越えてきた壁だ。


「しかし、それは嘘です。だってそうでしょう? 勝てない相手には、絶対に勝てません。自分の限界を遥か超えた力を持つ相手になど、どんなに努力を積もうが敵わないのですよねえ。必ず敗けると分かっていたら、何万回挑もうとも、最後は必ず敗けるのですよ。では、挑み続けると言うことは、ただ必然の敗北までの途中であるということでしょう。こんなの現実逃避では? 無意味過ぎて嗤えますよ、全く。ふひひひひひひ」


 モルダスは湿気でぬめぬめと艶めく地下水路天井を仰ぎ、げらげらと嗤った。下卑た嗤いは、どこまでも続く深い深い地下水路の中を嬉しそうに駆け巡った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る