第17話 アイアンアーム
ウィンクルムとクーラエは、人で溢れる大橋を渡り、広大な西街区を抜け、教会のある下町と呼ばれる区域に入った。ウィンクルムはまるで猫のようにするすると人波をかわして進み、時折遅れたクーラエを待つ。
下町に入るとすぐにそれと分かる。町の雰囲気が明らかに荒むからだ。まるでここに住む誰もが「ここは自分の居場所ではない」と思っているかのように。まるで雨宿りに入った廃屋にでもいるかのように、この町には愛着心というものが欠けている。だから、この町には名前すら無く、ただ下町と呼ばれる。
「アルコンー!」
教会に着いたウィンクルムは、開けっ放しの錆びた門をくぐるとすぐにアルコンの名を叫んだ。当然、返事は無い。ウィンクルムはすでにこの小さな教会から漂う異様な圧迫感に気づいていた。
「はー、はー。そ、そんなに大声で呼ぶと近所迷惑になりますよ、ウィンクルムさん」
息も絶え絶えなクーラエは、門に踏み入るなり足をもつれさせて転がった。それでもご近所への配慮を忘れないのがクーラエだ。
「アルコン! どこ?」
「おや? ウィンクルムじゃないかえ? なぜお前がここに?」
「アーカス!」
「あ。本当にいた。て、テーブルと椅子があ! なんでそんな穴だらけになってるんですかあ!」
礼拝堂を横切り、食堂の扉を開け放ったウィンクルムはのんびりとコーヒーを飲むアーカスと対面した。少し遅れ、クーラエもアーカスを見止めた。
「……そうか。そりゃあそうじゃ。フロウスの娘じゃもの。アルコンと関わり無いはずが無いわのう」
「うん。わたしは、アルコンに会うためにここまで来たの。着いたのは昨日だけど、まさかアーカスにまで会えるとは思ってなかった」
「昨日? それでは、アルコンが加護を取り戻したのは」
「そう、わたし。わたしがやったの」
「そうか。なるほどな!」
「!」
「ウィンクルムさん! なんて事をするんですか、アーカスさん!」
アーカスの放つ星屑の一つが、ウィンクルムの外套の袖に穴を開けた。穴からは焦げた匂いが漂った。クーラエはすぐさま前に出てウィンクルムを庇った。
「何って? それはウチの言うことじゃ。のう、ウィンクルム。おぬし、なぜアルコンの加護を戻したのじゃ? どうやったのかは知らぬが、それによって何が起こるのか、分かっていてやったのかや?」
アーカスはゆらりと立ち上がり、ウィンクルムとクーラエを見下した。アーカスの周りには、色とりどりの星屑が舞い始めている。教会の壁が、窓がカタカタと震え出した。
「知らない。わたしは、ママの言う通りにしただけだよ。そろそろ必要になるからって、だから」
「フロウスが? アルコンの力が必要と?」
ウィンクルムはこくりと頷いた。肯定したウィンクルムを見つめるアーカスの瞳が、透き通った光りを放った。
「馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な! そんな馬鹿な事があろうか!」
「きゃああああっ!」
「うわ、わわわわわあ!」
アーカスの長い黒髪が逆立ち、食堂を星屑の暴風が吹き荒れた。テーブルは宙を舞い、椅子が転がりカップが割れる。アーカスは怒りを吐き出していた。
「ウィンクルム! おぬし、自分が何をやらされたのか、分かっておらぬのだな! 信じられぬ! これが、これがあの優しかったフロウスのやることか! いや、やれることなのか!? 信じぬ! ウチはそんな事、信じぬぞ! フロウスは、誰かに騙されておるのじゃ! ……はっ!」
そこで、アーカスは気がついた。なぜ、アルコンがリルガレオに魔獣王の秘密を語ろうとしていたのかを。なぜ、ウィンクルムを殺して欲しいと言ったのかを。
「アルコンッ……!」
ぎりりとアーカスの歯が軋んだ。
大空洞内下水道には、リルガレオとモルダスの笑い声が響いていた。明るく楽しそうな笑い声だ。二人は腹の底から笑っていた。
「がはははは! そうかそうか、おめぇもあの鋼鉄巨人アイアンアームを観てんのか!」
「ひゃふふふ。はい。カッコイイですよねぇ、あのロボット。わたし、ひと目で虜になってしまいまして。ひゃふーふふふ」
リルガレオに肩をバンバンと叩かれるモルダスは多分骨折しているが、それでも楽しそうだった。
鋼鉄巨人アイアンアームとは、5年ほど前から放送されている子供向けのロボットアニメだ。上流層家庭ではテレビの普及が進んでいるが、一般人ではなかなか観られるものではない。それでも貧富関係無く大人からも子供からも人気を博しているのは、人形や絵本などにもなっているからだ。
「言われてみりゃあ、オスティウム・ウルマってアイアンアームに似てんよな。暗くて良く分からなかったが、こりゃあ確かにアイアンアームだぜ」
「ひふふ。ええ、実はアイアンアームのモデルはオスティウム・ウルマだと言われてましてねぇ。なにしろ私、こんな地下にこもっているものですから、アイアンアームの実物というか放送を観たのも最近で。この前、ようやくアイアンアームの手作りモデルが完成したところだったのですよ。研究の片手間に、ちょっと趣味で作ってみたものなんですけども、我ながらなかなかの仕上がりになりました。ふひひ」
モルダスがここに保管していたのは、モルダス自らが作ったオスティウム・ウルマたちだった。たまたま街に出た時に見かけたアイアンアームのポスターから、暇に任せて立体化を思い立ったという。
「しかし……これらは、どう見ても本物のオスティウム・ウルマを加工したとしか思えない。こんなにたくさんのオスティウム・ウルマの外殻を、いったいどうやって集めたのだモルダス?」
アルコンはモルダスがアイアンアームだと説明したものたちの1体をしげしげと眺めた。嫌な事を思い出すのか、その表情は渋い。
「うひ。私も長く生きておりますのでねえ。とあるキャラバン隊につてがありまして。こちらに立ち寄るついでがあれば、オスティウム・ウルマの残骸を運んでもらえるよう頼んであるのですよ」
「ほう。結構な荷物になるだろうに。金がかかるんじゃないのか?」
「まあ、かかりますねえ。面倒なお願いをしておりますので、お代は弾んでおります」
「金持ちなのか?」
「はあ、まあ。この身なりですのでね、普通に働いたりはいたしませんが。私、賭博が得意でして」
「カジノか? そう言えば、カジノに年一度くらい、"死神"と異名をとる凄腕のギャンブラーが現れると聞いたが。まさかお前が」
「ふひ。たいそうな異名をいただいたもので。お恥ずかしい。うひえ」
「うーむ……」
照れ臭そうに頭をかくモルダスに、アルコンは複雑な気持ちだ。こんな地下で暮らす不審な男にすら、自分の生活力は完敗していたからだ。アルコンは自分がお金を稼ぐ力に乏しいことを知っている。そして結構気にしている。
「おい、アルコン。もうこんな男は放っておいても良いのじゃろ? ウチ、早う地上に出たいのじゃ」
ちびっ子アーカスがアルコンの髪を引っ張った。発する光が弱くなってきているところを見ると、この星屑が消滅するまでもう時間は無さそうだ。
「はっ。そんで、地上に出たらどうする気だよ、このちびっ子は」
リルガレオはじろりとアーカスを睨んだ。
「そりゃあ勿論、すぐに本体と合流して、おぬしらを殺戮する予定じゃ」
「……そんな事を言われて、じゃあ地上に急ごうぜとか言うと思うのか、俺らが? 正直過ぎるだろお前……」
ふふんと胸を張るアーカスに、リルガレオは頭を振って呆れている。
「殺戮? そりゃあまたどうしたことなんです? アーカス様と言えば六英雄の1人ですから強いのは承知しているつもりですけどねえ……アルコン様なら、むざむざ殺られはしないでしょうに」
「こやつ、今は加護を失くしておるのじゃ。ただの人間のアルコンなど、ウチでなくともひと捻りじゃろ」
「おい、このちび。頭と同じで口も軽過ぎるみてぇだな」
「いたーっ!」
さらりと話すアーカスを、リルガレオが人差し指で虫のように弾き飛ばした。
「加護を? おかしいですねえ」
モルダスが首を捻った。
「おかしいか?」
アルコンは無機質に問い返した。
「ええ、おかしいですとも。なぜなら私、アルコン様の加護がそこにちゃんとあるのが見えているのですからねえ」
モルダスは「ふひひ」と嗤った。
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