第16話 モルダスは嫌われたい
アーカスもこの世界に這い出してきた時から、すでに100年を数える。幸いにして妖精族の王メディオクリスに見出されたおかげで長い生を苦痛と感じた事は無かったが、魔獣王討伐戦に向けて人の世界と人とを知ったアーカスは、死の悲しみにたくさん、たくさん直面した。何度も泣き、何度も叫んだ。今、アーカスはその記憶をモルダスの言により引きずり出されている。
「私はね、死ねないのですよ。首を落とされようが、心臓を抉り出されようが、灰になるまで焼かれようが、どうしても死ねない体なのですよねぇ。ちゃんと痛みだけはあるのがまた酷いところでね。だから、他人の痛みなんてもんが良く分かってしまうわけで。例えば死にそうになっている人がいたとして。その人を助けられずに泣いている人がいたとする。そして、その二人が私の大事な友人だったとしたら? あなた、泣かずにいられますかねぇ?」
モルダスは誰にとも無くそう語る。顔を伏せたままに語っていた。
「私はね、無理なんですよ。だから、こうしてなるべく人目につかない場所で過ごすのですよ。誰にも関わらないように。寂しいなぁとはたまに思ったりもしますがね、慣れればなんてことはありません。一人の寂しさなんて、大事な人を失った時の寂しさに比べれば、本当に大したことでは無いんですよ。うぇひ」
「そう、なのかも知れぬのう……」
アーカスは同調している。想像したのだ。自分よりも必ず先に逝くアルコンを。関わった人々が、皆いなくなった後の世界を。
「それでも、こんな私を気にかけてくれる変わり者もいましたのでね、今度はそれも無いように、思いつく限りの嫌われ者を演じるようにしたのです。表情は暗く、笑いは気持ち悪く、猫背でガリガリに痩せてて、まるで死体みたいに生気の無い男になろうと努力しまして、まあ今の私があるのですよ。うひっひひひ」
「ぬうう、そんな後ろ向きな努力をしなくちゃならねぇのかよ、おめぇの加護……俺様なら絶対にいらねぇぜ……」
リルガレオはその凄まじい禁忌に恐怖している。相手の武力に怯む事はなかなか無いリルガレオだが、こうした事案は苦手としていた。
「なるほどな。それは確かに大変だ。モルダス、お前はそうやってもう何年生きてきた?」
アルコンはじっとモルダスを見つめている。良く見れば、ちゃんとすれば見た目20代後半だろうモルダスは、まるで苦労を化粧しているようにアルコンには思えた。
「そうですな、確か、そろそろ120年ほどになりますかねぇ」
「ウチより長生きしておったのか、おぬし」
アーカスが驚いている。アーカスは妖精族以外で自分よりも長く生きている者と会うのは初めてだった。
「ごほっ、ごほごほ。ああ、ごめんなさい。こんなに話すのは随分と久しぶりなもので。喉を少し痛めたようですなぁ。ひゃふふ、お恥ずかしい」
「何も恥ずかしくはないよ、モルダス」
「ひょ?」
アルコンが急に、ぶっきらぼうにそう応えたので、ひとり言したつもりだったモルダスは面食らった。
アルコンにも、その経験はある。人と話さずにいた期間が長く、長く続いた事があったのだ。
「……ふひ。アルコン様は、お優しい方のようですなぁ」
モルダスは頭をかいた。これがこの男の癖なのだ。
「いいでしょう。恥をかいたついでですからな。私がこの魔獣たちを使い、何をしていたのか。包み隠さず話しましょうか。すでに禁忌も知られていますし、問われれば白状するしかないので。出来ればこんな加護など奪ってもらって、死ねればそれが一番なのですけど、やはり自分で死を選択する勇気は無いのですよねぇ。情けない話ですが。ふひひ」
モルダスは決意した。
「そうしてもらえると助かる。俺としても、仲間だと思っている加護使いをむざむざ失いたくは無い。理由次第では、むしろ協力したくなるのかも知れないしな」
「……うむ。ウチもアルコンに賛成じゃ。まぁ、魔獣を使ってするような事なら、どんな話でも手伝う気にはならないと思うがの」
「はっ。俺様はどっちだって構わねぇ。ただ、もしも気に食わねぇ話なら、ドラム缶に詰めて海の底に沈めてやるがな」
「ふひゃひゃひゃ。お三方とも、それぞれらしい答えですなぁ。はい、話し終えた後はお好きにどうぞ。私は全て受け入れましょう。それしか選択肢などありませんしねぇ」
アルコンがピクリと眉を動かした。
「良し、では聞こう。モルダス。お前は何をするつもりでいるのだ?」
「解析ですよ」
「解析?」
「そう、解析です。私はね、魔獣の解析をしているのです。なにしろ人と関わらず、ただ生きているだけなど暇で仕方が無いもので。私は、自分なりに魔獣についての調べを進めておりました」
モルダスは「うひひひ」と嗤った。
――ちょうどその頃、クーラエとウィンクルムは、大橋を西街区の下町に向けて走っていた。
「ちょ、ちょっとウィンクルムさん。走るのが速すぎですよ。道、分からないでしょ?」
「あっ、そっか。もー、クーラエ、もっと速く走って。速く速く」
「僕、これでも全速なんですけど。あと、僕ってかなり足が速い方なんですけど」
朝の人波とは逆方向に走るウィンクルムとクーラエは、なかなか思うように進めていない。ウィンクルムは人をかわすのがやたらとうまく、クーラエは置いてけぼりされそうになっていた。
「だったらもっと速く走れるはずでしょクーラエ。急がないと、アルコンがアーカスに殺されちゃう。早く早く。教会に早く戻らないと」
ウィンクルムはその場で足踏みしてクーラエを待っている。心は先へ先へと急ぐのに、体が全くついて来ない。ウィンクルムはかなり苛立っていた。
「なんだったんですかね、アーカスさん。急にアルコン様の名を叫んで。殺さなければとも言ってましたが、本気なんでしょうか?」
「本気に決まってるよ。そうじゃなきゃ、光の加護でいきなり消えたりしないもん。かなり急いでたみたい。アルコンたら、何をしたんだろ一体」
クーラエがウィンクルムに追いついた。ウィンクルムはすぐさま前を向き地を蹴った。
「光の加護で? 急に消えたのは、加護の力によるものなのですか?」
「そうだよ。ママから聞いてたもん、アーカスの加護。アーカスは光の加護で、一瞬で遠く離れた場所まで行けるんだって。光の速さで移動出来るから、誰も追いつけないんだって」
「光の、速さ?」
クーラエは首をひねりウィンクルムの説明を反芻している。光の速度などと言われても、ピンと来ないのだ。
「だからね、アーカスは時間すら飛び越える事が出来るのかも知れないんだって、パパが言ってた。意味分かんなかったけど」
「……それ、光の速度よりももっと理解出来ないですね……」
全力で走りながらするには難しすぎる話だ。ウィンクルムは「だよね」と答えて、走りに集中する。今は一刻も早く教会にたどり着く事だけを考えるべきなのだ。
「はっ、はっ。それにしてもウィンクルムさん。仮にアーカスさんが本当にアルコン様を殺そうとしていたとして……僕らに何が出来るんでしょう?」
相手は六英雄の一人、アーカスだ。加護使いでも騎士でも魔術師でも無い二人に、どうこう出来る者では無い。
「何も。わたしもクーラエも、多分何も出来ないよ。そんなのわたしだって分かってる」
「ですよねー」
ウィンクルムはがくりと速度を落としたクーラエに「でもね」と続けた。
「わたしがいないと、アルコンも何も出来ないの。わたしはアルコンの加護だから」
「……は?」
クーラエは目をぱちくりと瞬かせた。さっきからのウィンクルムの発言は、クーラエには分からないことばかりだ。今朝のクーラエの頭脳には、負担がかかり過ぎていた。
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