第15話 死という名を持つ男
リルガレオの拳には、確かに白衣の男の命を刈り取るだけの手応えがあった。無数の戦いを経て得た、本人だけにしか分からない感触だ。しかし、その拳を受けた相手はまだ立っているだけでなく、薄ら笑いすら浮かべている。歴戦の猛者であるリルガレオも、これには少々混乱した。
「……加護、かよ。面倒くせぇやつだ」
リルガレオはそう吐き捨てる事で、平静を取り戻した。荒々しく猛々しい戦い方が目立つリルガレオだが、不測の事態にはきちんと対応するクレバーさも備えている。それがリルガレオの強さだ。
「ひゃふふ。ええ、ええ。実は私も加護なんてもんを持ってましてね。まぁ、六英雄様には及びもしないチンケな加護なんですけども。戦いには向いてない加護ですし、大した事は出来ないんですよねぇ。ですから、ここは何も聞かずに見なかった事にしてもらえると大助かりなのですよ」
白衣の男はしわくちゃになった衣服を整えつつそう言った。水浸しになった衣服は、整えたところでそう見栄えが変わるものでもない。
「見逃せだぁ? んなことが」
「出来ませんか? しかし、それが1番だと思いますけどねぇ? 私、強くはありませんが、相手するのはかなり面倒臭いはずですよ? なにしろ私、不死の加護を持ってるもんで」
白衣の男の加護を聞き、アルコンは何かを閃いた。
「不死とは大きくでやがった。そいつが本当かどうか試してやるぜ」
「待て、リルガレオ」
「ああん? なぜ止めやがるんだアルコン?」
腕を振り回して凄むリルガレオを、アルコンが制した。
「まぁ、ここは俺に任せておけ。おい、そこの白衣の男。名は?」
「私ですか? 私は、モルダスと申しまして。ここには最近越して来た者です。そうお尋ねになるあなたは、かの有名な聖魔法士アルコン様でございますねぇ。お会い出来て光栄です。うひっ」
モルダスと名乗った加護使いの男は、手を胸に腰を折った。どうやら本当に光栄だと思っているらしい、とアルコンは感じた。
「ふざけた名前を名乗りやがって。てめぇの名前は"死"だってか? そんなもん、偽名だろうが」
リルガレオがすかさず指摘した。確かにふざけた名前である。これを信用する方がどうかしている。
「うひっ。そんな、滅相も無い。私、本当にモルダスと申すのですよねぇ。と言っても、名を呼ばれる事など久しくありませんので、私自身も本当にそんな名前であったのか、少々不安になってしまうのですがね。それに、加護使いの名前など皆適当なものですから。アルコン様とて、"星"を意味する名を持つではないですか。アーカス様は"弓"、グラディオ様に至っては、そのまま"剣"を名乗っておいででしょう? 姓は後付けですし、アルコン様には私と同じく姓すら無い。それもそのはず、この世界の住人では無い加護使いの我々に、家族などいないのですから」
「分かった分かった。モルダス、お前の言うことは尤もだ。その名を信用するとしよう」
まだ何か言いたげなモルダスを、アルコンの手が遮った。
「そして、なるほど不死の加護使いを相手にするなど、時間の浪費も甚だしい。それは流れ落ちる滝の水を切断せんとして斬りつけるような行為だ。確かに、お前は見逃すのが一番だな」
「本気かよアルコン!」
「うひひっ。賢明なご判断でありますなぁアルコン様」
「うわ。きもいのじゃ」
モルダスは、にたりと笑んだ。それは、見れば誰もが背筋に悪寒を走らせるような笑みだった。アーカスは遠慮なくそれを口にし、アルコンの頭にしがみついた。
「まぁ落ち着け、リルガレオ。話も聞かずに殺そうとするなど、良く考えればアーカスと同じだ。この男、何をする気か知らないが、俺たちに話せば殺されてもおかしくない事を魔獣にしていると言う。しかし、それは俺たちから見た場合ということだ」
「あん?」
「分からないか? こいつにとっては、それがどうしてもやらなければならない事、やりたい事なのかも知れない。悪意は無くとも、人から見れば危惧される所業だったりする場合もあるだろう? 殺さなくとも捕らえて上に連れて行き、牢屋にぶち込んでしまえばそれで安心なんだろうが、こいつはどうもそんなに悪いやつでは無い。俺はそんな気がするのだよ」
「だから見逃すのかや、アルコン? それはちと甘くはないかや?」
「同感だぜ。見逃すにしたって、絶対に悪さは出来ねぇような保険は掛けておきてぇとこだ」
「それは俺も考えた。保険ならば、加護使いには覿面なものがある。おい、モルダス。今から俺が一つ質問をするが、それに答えれば見逃そう。それに、お前の事は誰にも話さないと約束するが、どうだ?」
「ふひっ? ありゃあ、その質問の内容は大体予想出来てしまうんですけどねぇ。永遠の牢獄に閉じ込められるよりはマシですなぁ。いいでしょう、こんな私を悪人ではないと言って下さったことですし、ここは腹を括りましょうかね」
モルダスは深々とため息した。加護使いから取れる保険など、一つしかない。モルダスにはそれが分かっていたからだ。
「話が早くて助かる。では聞こう。お前の禁忌を教えてくれ。答えれば、何も見なかった事にしてやろう」
「やっぱり、そう来ますよねぇ」
アルコンはズバリと切り込んだ。加護使いにとって、禁忌とは最大の弱点だ。魔術師から詠唱するための舌を引き抜くに等しい。どんな禁忌かにもよるが、たいがいは破らせるのにそう苦労はしないものだ。アルコンなど、殺生を禁じられているのだ。人、動物、蚊や蝿ですらアルコンには殺せない。聖魔法の加護が働いている時は、足元の蟻すらも自動的に保護してくれていたので、あまり意識はしていなかったが。これを破らせる事も、そう難しい事では無い。
「えげつないのう、アルコン……それは、心臓を差し出せと言っておるのと同じことなのじゃ……」
ちびっ子アーカスはモルダスに少し同情してしまっている。自らの禁忌も、知られてしまえば相当危険なものだからだろう。
「ちと待てよ、アルコン。そいつが嘘をつかないって保証はどこにある? 禁忌なんぞ、どうやって真偽を確かめるっつーんだよ?」
リルガレオはしっかりと問題点を把握していた。確かにそうだ。モルダスが嘘をついてしまえばそれまでだ。試しに禁忌を犯せば加護は消えるが、そんな確かめ方を受け入れる馬鹿はいない。
「大丈夫だ、リルガレオ。嘘かどうかは俺には分かる。加護使い同士でないと分からないので説明しても仕方が無いが、嘘なら奇妙な感覚がちゃんと伝わるように出来ている」
「ほー。そうなのか? 便利なもんだな、加護使いってやつは」
「え? そうなのか? ウチ、そんなん感じた事無いのじゃが」
「なんでおめぇまで驚いてんだよ、アーカス……」
リルガレオはアルコンの頭の上でびっくりしているアーカスをじっとりと睨んだ。
「アーカスは他の加護使いと禁忌を教え合った事など無いだろうから無理も無い。俺はフロウスとグラディオ、二人と禁忌の交換をしているからな。その時に分かった事なのだよ」
「えー? そうじゃったのか?」
ちびっ子アーカスはなんだか面白くなくてむくれている。禁忌を教え合う事は、これ以上ないくらいの信頼の証だ。アーカスは三人がそこまでの関係だったとは思っていなかった。
「……それは、羨ましいことですねぇ……」
モルダスはボリボリと頭をかいた。俯き寂しげな横顔は、彼が本音を漏らしたのだと教えている。
「ふひ。私の場合は、人質として禁忌を差し出すわけですな。それも無理からぬ事なので特に文句は無いですけども……自業自得ってやつですからねぇ」
「無理に教える必要は無いぞ、モルダス。不死なのであれば、禁忌をバラすよりは牢獄に入った方が安全だ。言わなくとも分かっているとは思うがな」
「いいえ、私は牢獄に入るくらいなら死んだ方がマシですからねぇ。むしろ、殺してもらえるのならその方が」
「何だと?」
「私の禁忌、"泣いてはならない"なんですよねぇ。分かります? この禁忌がどれほど辛いか。どれほど守るのが困難であるのか。不死の私にこの禁忌……全く、加護などと誰が名付けたのやら。こんなに意地の悪い組み合わせもないでしょうに」
「あっ……!」
自嘲気味に嗤うモルダスの言に、真っ先に同調したのはアーカスだった。
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