第14話 白衣の男
ずらり整然と並ぶ甲殻魔獣オスティウム・ウルマたちを見れば、これが何者かの手によるものだと思わずにはいられない。魔獣の行動は無秩序無軌道ゆえに他の種族と共存出来ないのだ。彼らがこれほど規律ある行動を取れるのであれば、争いを回避する術を模索する勢力も出てきたかも知れない。魔獣王討伐戦に参加した者であれば、これは誰もが残念さと憤りを覚える光景に違いない。
「あり得ねぇ。誰が何の為にこんな悪趣味な事をしやがったんだ」
リルガレオも、当然そう思っている。
「腹が立つ景色じゃのう。こんな事が出来る者がいるのであれば、是非とも名乗り出て欲しいものじゃ」
ちびっ子アーカスはアルコンの頭の上で地団駄を踏んだ。アルコンは頭上に顔を顰める理由をもう一つ得て、更に腹を立てていた。
「そうだな。しかし、こいつは名乗り出ていない。であれば、その力を使い、魔獣を利用しようとしている、と考えるのが普通だろう」
「それも、ろくでも無い事に使う気なのは間違いねぇな」
リルガレオはぎり、と歯を鳴らした。鋭い犬歯が口元から覗き、ぎらりと光る。
「それにしても、これはどういう状態なのじゃ、アルコン? 眠っているにしても、まるで反応が無いのじゃが。死んでいるようにも見えぬ」
ちびっ子アーカスはアルコンの頭を離れ、オスティウム・ウルマの無骨な顔あたりをちょんちょんとつついた。星屑の淡い光に照らされたオスティウム・ウルマは、不気味な沈黙を守っている。
「ふむ。そもそも、魔獣に生きているだの死んでいるだのという概念は当てはまらないのだが。俺の加護は魔獣を生物として扱っているが……活動を休止している状態、とでも言おうか。見るのは稀な姿だな」
「ふぅん。何かの拍子に動き出すかも知れねぇわけか。そのきっかけを作れるのは、こいつをここに運び込んだやつだけか」
「どうだかな。予め、行動開始の合図が決まっている可能性もある。なんにしろ、これだけの数のオスティウム・ウルマが城塞都市内で一斉に暴れ出せば、エディティス・ペイは壊滅的なダメージを受けるだろう。それに、こいつらが集められている場所が、ここだけだとも限らない。俺がエディティス・ペイに対してこいつらを使い、テロだか制圧だかを行うのであれば、他の東、北、南の大橋のたもとにも用意する」
「だな。戦力が分散されれば、間違いなくエディティス・ペイは守りきれん。最後の砦となるのは提督府城になるんだろうが、ここはそもそも城塞都市だ。侵入を許した時点で、防衛力はガタ落ちだぜ」
アルコンとリルガレオは、この恐るべき身中の虫に悲惨なビジョンを描くしか無かった。リルガレオら獣人族の戦士も常駐はしているが、甲殻魔獣との相性はあまり良く無い。なにより、オスティウム・ウルマだけで終わるはずが無い。これだけでは破壊工作しか出来ないからだ。それは手段であり、目的では無いだろう。アルコンとリルガレオは、まだ他にも用意していると考えた。
「ふぅむ? しかし、それはウチがいなかったらの話じゃろ? いいではないか、その魔獣らがいつ動き出そうとも。今、ここにはウチがいるのじゃ。何の心配もいるまいよ?」
そんな二人に、ちびっ子アーカスが胸を叩いて見せた。
「ん? ああ、いるな。確かにアーカスがいるのだが……」
アルコンは苦笑い。
「はぁ。おめぇ、自分の立場が分かってんのか? アーカスも世界中から目ぇつけられてる六英雄の一人だろうが。他国で加護の力を振るえば、かなり面倒くせぇ事になるんだぜ? 俺たちを殺すくれぇなら大丈夫だろうけどよ。派手に暴れりゃ、最悪グラディオに監禁されるハメになるかもな」
リルガレオはやれやれと肩を竦めた。グラディオは六英雄が妙な事をしないよう、保障する立場にある。六英雄が全世界を敵にする事態を回避し、今まで平穏な生活が送れたのは、偏にこのグラディオの英断によるものだった。
「何いいいい! グラディオに!? それは嫌なのじゃダメなのじゃ絶対にお断りしたいのじゃあ! 良し、ウチはこれを見なかった事にするのじゃ。さっさとおぬしらを片付けて、後はよきにはからえなのじゃ。ささ、早う地上へ出るのじゃ二人とも。そしてウチに殺されるのじゃ」
星屑として切り離されたアーカスには、本体ほどの見栄が無い。その為、本音がだだ漏れする。もしアーカス本体であれば、必ず「そんなものは関係無いのじゃ」と虚勢を張る。
「まぁそうだな。エディティス・ペイの危機など、妖精国の姫アーカスには関係無いし関わるべきではない話だ。俺もそれがいいと思うよアーカス。ああ、殺されてはやらないが」
「え? アルコン?」
アルコンはちびっ子アーカスの頭をちょいちょいと撫でて頷いた。
「アーカスは姫様だもんなあ。エディティス・ペイと妖精国は別に敵対してるわけじゃねぇが、同盟関係にあるってわけでもねぇ。勝手な事すると、すーぐ国際問題になっちまう。迂闊に動いちゃマズイわな」
リルガレオも同調した。
アルコンとリルガレオにとって、オスティウム・ウルマの存在による懸念と自らの命を狙うアーカスの脅威は完全に別問題だった。
そんな二人に、ちびっ子アーカスは呆れ顔だ。自分は今、二人の命を奪おうとしている。街の事もそうだが、その相手を心配している場合では無いはずだし、そんな余裕も無いはずなのに。
「ああ、そうじゃ。そうじゃった」
ちびっ子アーカスはふっと笑うと、得心した。だからこやつらはあの地獄の戦場に飛び込んで来たのじゃ、と。見知らぬ大勢の他人の為に、ボロボロになるまで戦ったのじゃ、と。
「そうじゃ。ウチも……そう、じゃった。なのに……」
アーカスは湿気でぬめぬめと光る大空洞の天井を見上げた。光の加護を持つ自分が、今やあの天井のようだ。輝きは滲むほどでしかなく、誰を照らしているわけでもない。命を燃やし尽くすかと思われたあの戦い以降、自分は果たして誰かの役に立てたのか。力になってあげられたのか。自答したアーカスは、無性に情けない気持ちに苛まれた。
「今はとりあえず放っておこう。地上に出た後、憲兵にでも教えてやればいい」
「そうすっか。憲兵どもなら、大喜びで犯人捜しをおっ始めるだろうしな。やつらの捜査力はちっと狂気じみてっから、すぐに真相を突き止めるだろ」
「関係無い住人も何人か拷問されて死人も出るだろうがな。さぁ、行くぞアーカス。先を照らしてくれ……アーカス?」
オスティウム・ウルマたちのいる場を後にしようとしたアルコンは、ちびっ子アーカスが頭に戻って来ないので振り返った。
「……すまぬ、アルコン。ウチは余計なものを照らしてしまったみたいじゃ。見なかった事にしたかったのじゃが……」
「余計なもの?」
ちびっ子アーカスの放つ光が、オスティウム・ウルマの群れの奥にまで届いている。そこには、一つの影が揺れていた。魔獣の後ろに、誰かが潜んでいたのだ。
「……ちっ……」
影はオスティウム・ウルマの背からぬるりと出ると、気怠そうに舌打ちした。
「誰だ、てめぇ?」
リルガレオが殺気を放つ。
「名乗るわけないんだよねぇ。しっかし、まさか獣人王がこんな所にいるなんて、ツイて無いにも程があるってもんだよ。はー……仕方がないねぇ……」
影の男はゆらりゆらりと体を揺らし、静かな水音を立てて近づいて来る。
「俺様を知ってんなら分かってるよな? 質問には素直に答えた方が身の為だってことをよ」
「分かる。分かるとも。でもねぇ、答えても同じなんだよねぇ」
「ああん?」
男はガリガリと頭を掻いた。ぼさぼさの長髪に白衣を纏うその男は、暗がりにも真っ青な顔色をしていた。切れ長の目には光が無く、およそ生気を感じない。まるで動く死体のようだ。
「そうか。正直に答えたところで、殺されてもおかしくないような事をしているわけだ。なら聞く必要も無いな。リルガレオ」
「おう」
アルコンが言い終わる前に、リルガレオの背後には水柱が上がっていた。リルガレオのロケットスタートによるものだ。それを見る間も無く、リルガレオは白衣の男の目前で拳を引いて、撃ちだすモーションに入っている。
「おほっ、これが獣人王の」
スピードか、と言いたかったのだろう白衣の男は、もうリルガレオの拳を顔面に受けている。男はそのまま風車のごとく縦に回転、苔むした壁に激突し、ぐしゃりと鈍い音を立てた後、ばしゃりと地面に倒れ伏した。
「なんだか知らねぇが、殺しときゃもう何も出来ねぇだろ。下らねえ時間を食っちまったな。さ、先を急ごうぜ」
リルガレオはふんと鼻を鳴らして踵を返す。だが。
「おほっ。ほほっ。いた、たたた。ひゃはは。さすがはリルガレオ。速いし強い。これはちょっと大変かも知れませんねぇ」
男は、何事も無かったかのように立ち上がっていた。
「……何ぃ……?」
リルガレオは額に青筋を浮かべてゆっくりと振り返った。
「アルコン、これは」
ちびっ子アーカスがアルコンの元へと戻り、髪を引っ張る。
「ああ。こいつは」
アルコンの表情が引き締まる。
「加護だ。この男も、何かの加護を持っている」
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