第12話 ちびっ子アーカス
ぴちょん、ぴちょんと水の撥ねる音がする。それは大空洞内で反響し、木霊し、音源の特定を困難としていた。昏く深い闇の底、それは一定のリズムで響く。まるで悪魔がワルツを踊る為にあるかのような、そんな音色が大空洞を支配していた。
「う……」
アルコンは目を開けた。が、何も見えない為、本当に目が開いているのか疑った。
「おう、やっと気がついたかよ」
そばでリルガレオの気配がする。深い溜息でアルコンはそれを感じた。リルガレオは夜目が利く。仄かな明かりさえあれば、大抵の闇など問題とはしなかった。ここには光が一つだけあった。
「いつつ……。俺も、なんとか生きているみたいだな。俺はどれくらい寝てた、リルガレオ?」
足首ほども水深のある水の中に倒れていたアルコンは、首を振りながら起き上がった。
「はっ。俺様がてめぇを守ってやったからなんだぜアルコン。ま、ほんの10分程度だ。とは言え、この状況下じゃ致命的……でも無かったが。がはははは」
エディティス・ペイの下水道として利用されている大空洞は、地下数百メートルにまで達すると言われている。そこに、アルコンとリルガレオは地上からパイプを通りダイブして来たのだ。パイプは大空洞天井から突き出した所で終わり、後は落下するに任せる仕組みとなっている。落ちれば普通は死ぬ高さだ。
「お? こんな所に人骨が。こいつもあのトイレから落ちたのか。ドジなやつだな」
アルコンは手元に触れた異物を持ち、それが人の骨だと断定した。頭蓋骨なのだから、誰でも分かる。
「下らねえ死に方してやがるなあ。便を出すつもりが命まで出したのか。しまりのねぇケツの穴だぜ。がははははは」
「そう言うな、リルガレオ。度々ある事故だ。どれ、一応大司教らしく、軽く弔っておいてやるとしよう。これも何かの縁ってやつだ」
アルコンは胸で十字を切ると、組んだ手を額に当てた。そうしていると、ちゃんと大司教らしく見えてくる。なかなかに有り難みのある所作だった。その後、手探りで掴んだ頭蓋骨をその辺に放り投げさえしなければ。
「つーか、んな事してる場合かよアルコン」
「ああ、そうだった。星屑は? どこに消えた?」
「いるぜ。おかげで俺にはここの様子が見えてんだけどな。おめぇは何にも見えてねぇだろ?」
「上か?」
目の前に出されたリルガレオの指が上を示した。アルコンは素直に上を向くと、暗闇に目を凝らした。微かに、ちかちかと瞬く光が見える。ような気がする。アルコンにはそれくらいが精一杯だ。
「分からねぇか? ここに落ちてからずっとだ。あの星屑、上から俺達を見張ってやがるが……攻撃する気は無いらしい」
「かなり高い所にいるらしいな。パイプの出口か? 俺には夜空の小さな星ほどにも見えない。お前は本当に目がいいな」
「ま、人並み外れた身体能力を誇るのが俺ら獣人だからな。それより、便所から落ちて来た割には汚れなかったな、俺たち。臭くも無い」
「パイプには水系統の浄化魔術式が刻まれているからな。下水が汚いのはパイプ内だけだ。海を糞塗れにするわけにはいかないだろ? ちゃんと考慮してあるのだよ」
「へぇ、知らなかったぜ。特に興味ねぇからな。それより、これからどうするよ?」
「ふむ。これだけ寝ていても他の星屑がやって来ないということは、俺達を見失ったのかも知れないな。大空洞と地表の間は、分厚い岩盤で形成されている。おまけにパイプの魔術式が作用して、離れた星屑の意思疎通を阻害していると思われる。とりあえず、時間だけは稼げたな」
「けっ。この俺達が便所に飛び込むなんて恥知らずな事までしてんだぜ。それくらいの結果が出なきゃやってらんねぇ。でもよ、本当にとりあえずだな。こっからどうやってウィンクルムを探すんだ? 加護を取り戻さねぇ限り、ジリ貧なのに変わりはねぇだろ」
「そこは俺に任せておけ。俺はクーラエに街を案内して来いと命じたのだ。真面目なクーラエの事だから、今頃はきっと都心門あたりにいるはずだ」
「ああ? それが分かってたとして、どっちに行きゃあいいんだよ? 俺様でさえ、ここじゃ東西南北の方向感覚が狂ってんだぜ?」
地下において、人の方向感覚は狂いやすい。地上に比べ、寄る辺が少なくなるからだ。普通に地下に降りてもそうなるところ、二人は暗闇のパイプの中、ぐるぐると回りながら何百メートルも落下している。さすがのリルガレオでも、方向感覚を維持出来なくなるのは当然だった。
「ほう。地下では獣人の方向感覚も狂うのか。それは新しい発見だ」
「面白がってる場合かよ。落ちたとこから方角を推測し、俺をコンパス代わりにして門を目指そうとしてたんなら、これでおじゃんって事なんだぜ?」
「ははは。確かにお前の方向感覚があればなお良かったが、無いなら無いで問題無い。俺に任せておけと言っただろう」
アルコンはにやりと笑んだ。そして。
「おい、そこの星屑よ。降りて来て力を貸せ。お前もどうせ帰れなくなって困っているのだろう? 俺に協力すれば、主の元に帰れると保障する。ここは一つ、一時休戦といこうじゃないか」
真っ暗闇の大空洞内の天辺に向けて、アルコンは大声で呼びかけた。
「なにい? 俺に任せろとか言っといて、敵である星屑に頼るのかよ! そんな条件、呑むわけが」
これにはリルガレオもがっかりした。が。
「よし、良い子だ」
「呑むのかよ! てめぇもプライドとかねぇやつか!」
星屑はアルコンの手の平に舞い降りた。
「こいつも打つ手が無くて困っていたのだよリルガレオ。俺たちを殺す事も出来ただろうが、そうすると帰る手立ても失うのだ。あまり長時間アーカスから分離していると、消滅してしまうのだからな、星屑は。かなり心細くなっていたに違いない」
「……なんだそりゃ……? それじゃあまるで」
「人だよ」
「あ?」
「星屑とは人なのだ。これはアーカス。小さくなってはいるが、アーカスそのものなのだ、リルガレオ」
「はあ? んなアホ……なっ!?」
突如、星屑がアルコンの手の平で光を強く放ち出し、姿を変えた。それは。
「みなまで言うでないアルコン。本当の事じゃとて、言うて良い事と悪い事があるのじゃぞ」
小さな小さなアーカスだ。手の平サイズのニ頭身アーカスが、アルコンの手の平の上でもじもじと恥じらっていた。
「やべぇ……なんだコレ可愛い……」
リルガレオの心臓は、ちびっ子アーカスに撃ち抜かれた。
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