第11話 逃亡者
そして現在。アルコンとリルガレオは、西街区の下町で、細い路地裏を縫うように疾駆していた。と言っても、走っているのはリルガレオだけだ。自転車に乗ったアルコンは、リルガレオの腰に括り付けたロープで引いてもらっている。加護無しのアルコンでは、リルガレオの走力について行けないのだ。
ちなみに自転車は高級品であり、紳士が街乗りに使う最近のトレンドアイテムである。凄く高価なのだが、誰かが盗んだ物なのだろう。高い割には簡単に盗めるので、路地裏には稀に置いてあったりする。
凄まじい速度で、アルコンの前髪も法衣もばたばたとはためいている。アルコンは風の強さに目を細めた。
「おい、どうすんだよ。どうすんだよ、アルコン? アーカスから逃げられるのかよ? どうやって逃げるんだよ?」
「狼狽えるなリルガレオ。まずはお前の手下を呼べ」
「あん? おれの部下どもで何とか出来んのかよ?」
「ああ、出来るとも。むしろ、お前の部下にしか出来ないことだ。それはな、時間稼ぎだよ。肉の壁になってもらおうと思うのだ。獣人は頑丈だからな」
「ふざけんなよテメェ! ロープ切るぞ!」
「あ、それはホントごめんやめて。今の俺、お前だけが頼りなのだよ」
「だったらもっと真面目に考えやがれ! 俺あ、アーカスがあんな事出来るなんて知らなかったんだぜ! 二つ名から弓使いだとばかり思ってたが、何なんだよあいつ? どんな体してやがんだよ?」
路地から路地へ、リルガレオとそれに引かれるアルコンは、溢れかえったゴミ箱や積み上げられた木箱などを蹴散らして爆走している。轢かれそうになる酔っ払いや犬や猫が、必死で避ける。二人の通った後には、ゴミや洗濯物がもうもうと巻き上げられていた。
「アーカスか? あいつは光そのものだ。身体の全てが光粒子という物質で形成されている。知っていたか、リルガレオ? 光にも質量があるという事を」
「はあ? 何言ってるのか分からねぇ」
「まぁ、それが普通だ」
「とにかく理屈は必要ねぇ。あいつから逃げ切る方法はあるのか、それだけ言え。ぶちのめせるのなら、その方がもちろんいいんだけどよ」
「そんな方法は無いな。ぶちのめすのはもちろん、逃げ切ることも不可能だ」
アルコンは即答した。
「無えのかよ! んじゃ、このままやられるのを引き伸ばすしか無えのか、俺たちは? 冗談じゃねぇぞ。俺には、一族をまとめる義務があんだよ。まだ死ぬわけにはいかねぇんだ」
リルガレオは速度を上げた。
「うむ。俺にも死ぬわけにはいかない理由がある。まあ落ち着け、リルガレオ。まだ希望は残っている」
「希望? それは?」
「ウィンクルムだ。街の見物に出掛けているウィンクルムを探すのだ」
「あのお嬢ちゃんを? なぜだ?」
「俺の加護が使えなくなったのは、おそらくウィンクルムの仕業だろう。ウィンクルムを探し出し、再び聖魔法の加護を取り戻す。それしか無いが、どうだリルガレオ? 素晴らしい希望だろう?」
「ははっ。敵になると腹立つ加護だが、味方となりゃあ別だわな。ムカつくけどよ、そりゃあ確かになかなかの希望だぜ!」
リルガレオは角を急旋回して大橋方面へと加速した。アルコンは自転車を地面ギリギリまで寝かし、タイヤを鳴らしてのコーナリングでついて行く。それでも曲がり切れず、更に車体を倒すので、アルコンは膝を地面に擦っている。路面には赤い線が描かれた。
「リルガレオ。出来るだけ庇(ひさし)の出た路地を選んで走れ。星屑は上から俺達を探しているはずだからな」
「そうだろうともよ。せっかく飛べるなら、空から見るのが1番だろ。んなこたあ分かってんだよアルコン。でもよ!」
リルガレオは横っ飛びして壁を蹴った。そのまま一気に逆方向へと走り出す。
「ぬうう!」
アルコンの駆る自転車は、そんな急旋回など不可能だ。アルコンは咄嗟にウィリーし、タイヤが地面から離れた所で車体を捻った。結果、自転車は曲芸のような動きで見事着地、ロス無くリルガレオを追走する。
「なんで行く手にいやがったんだよ、あの星屑! 橋と逆方向に行くしか無くなっちまったじゃねぇか!」
アルコンに言われるまでも無く、リルガレオは空から死角となる道を選んで走ったつもりだ。それでも、星屑が先にいた。
「そうか、ゴミだ。これだけ派手に走っては、大量のゴミや埃が舞い上がる。星屑め、それを目印に先回りしたのだ」
逆戻りしてみて分かる、自分たちの爆走ぶり。前しか見ていなかった二人にとって、これは盲点だった。
「くそ、後ろからぴったりついて来やがるぞ! ぐはは、理由が分かったところで、もうそんな事ぁどうでもいいな」
「違いない。良し、この先を曲がったら、最初にあるドアに飛び込めリルガレオ。星屑が狙いを定め始めたようだ。すぐに攻撃してくるぞ」
「攻撃が始まったら?」
「相手は光だ。避けられん」
「そりゃそうだ。うし!」
気合一閃、リルガレオは硬い石壁で出来た建物の角に手を伸ばし、爪を突き立て握り締めた。そこを支点に鋭くターンを決めると、手近なドアを蹴り破って飛び込んだ。
「トイレを探せ!」
「おう!」
アルコンが叫び、リルガレオが応える。リルガレオはアルコンの指示に疑問を持つのをやめている。
「あれだ!」
「よし飛び込め!」
薄暗い室内。家人が「なんだあ!」と喫驚しているのに目もくれず、二人はトイレの蓋を引っぺがして飛び込んだ。迷わない。躊躇わない。自転車は室内に放り投げ、人ひとり通るのがやっとという便器へと体を突っ込む。
二人は、もはや今を生き延びることしか考えていなかった。恥も外聞も文字通りに糞喰らえだ。各家庭のトイレは、全て下水道に繋がっている。エディティス・ペイの地下に迷路のように張り巡らされた下水道にだ。光から逃れるには、深い深い闇の底へ潜るしか無い。アルコンはそう判断した。
直後、星屑が室内に侵入した。星屑は一瞬だけ止まったが、すぐにトイレへと飛び便器の中へと落ちて行く。ただし、その前に2つに割れた片方だけだ。もう片方は、アルコンの教会のある方面へと消えてゆく。
「うおおおお!」
「ぬうううう!」
アルコンとリルガレオは、排泄物のこびりついた狭い狭いパイプを滑り落ちて行く。その先には南街区の港湾へと流れ込む川がある。エディティス・ペイから排出される、全ての闇が流れ込む川、アルタ・サイシェ。
時に人間の深層心理に喩えられる、昏き川が待っている――。
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