第10話 エディティス・ペイ

「実は、あれがこのエディティス・ペイにおける貧民層の子ども教育と保護なんです」


 ウィンクルムにケーキをあーんして食べさせてもらえたクーラエは、機嫌良く語り始めた。


「何? 盗みを働かせておるのか?」

「違いますよ。盗みは保護者のいない孤児たちがしますけど。やらせているわけではないです。やる子もいますし、やらない子ももちろんいます。でも、餓死するくらいなら盗んででも食べて欲しい。ここのみんなは、そう思っているんです」

「分からぬ。そんな風に考えておるのなら、始めから施してやれば良いのでは?」

「施しは、受けた瞬間にその人間の尊厳を粉砕します。それでは、下卑て自尊心に欠ける大人になってしまいます。働かず、道端でぺこぺことお恵みを求めるのに、何の恥も覚えない大人にです」

「ふぅむ……しかし、じゃからと言って、盗みを黙殺するのは」

「はい、僕もそう思います。が、乞食をするよりは余程マシなんですよ。人は働く事で存在意義を得て安心するらしいですからね。僕の師が言っていました。盗みを働く。これも働いているのだよ、と」

「なるほど! 確かに働いているよね! 悪い働き方だけど」


 ウィンクルムが感心して手を打った。


「それは屁理屈というものじゃ。働いているならば悪事でも良いとはおかしいじゃろ」

「もちろん良い事ではないです。でも、知ってますか? パン屋さんから聞いたんですけど、子どもたちって、例えばパンを盗むにも、安そうな、それでいて大きくてお腹のふくれそうな物を狙うんです。いかにも高くておいしそうなパンには手を付けない。それは何故だと思います?」

「気が小さい、のかの?」

「それもあるでしょうね。でも、僕やこの街の人々はこう考えているんです。それは"良心"があるからだ、と」

「あ、そっか。悪い事だと分かってるし、パン屋さんにも悪いなあって思ってるんだね、盗みをする子どもたち」

「そういう事です。大人たちも、そうしなければ飢えてしまう子ども達の実状は分かっています。でも、安易に施しをすれば、将来が不安です。昔は貴族階級がそうした子どもたちに毎日食べ物を与えていました。貴族の義務と呼ばれるものですね。しかし、そうして大人になった子ども達は、多くが盗賊になり、そうでなくても犯罪を繰り返すようになりました。そうした子たちが子どもを産み、またそうした子どもが増えてゆく」

「む……」


 アーカスはカップの紅茶をじっと見た。この香りを楽しむなど、そんな子ども達には思いもよらないことだろう。空腹を満たし、渇きを癒やす事で精一杯な生活をしている子ども達は、どこにでもいる。普段、それを気にした事などアーカスには無い。アルコンやフロウスとは違い、アーカスはすぐにメディオクリスに保護されていたからだ。


「僕の師がここに来るまでは、教会でもそうした子ども達を保護していたそうです。その子たちは当然のように神父となり、自分の受けた恩を人々に還元する。でも、そんなの本当にひと握りの子ども達だけなんです。見捨てられた子ども達は、恩義など誰にも感じない。それがこの問題の根本なのだ、と師は言いました。人は支え合い生きている。それを感じる事が愛なのだ。だから親に惜しみない愛を注がれた子どもは、真っ直ぐに育つのだ、と」

「そうか。見えてきたぞ、ウチにも」


 アーカスはうむと大きく頷いた。


「凄いですね、アーカスさん。そうです。だから、盗みを放置しているのです。盗みをする子たちは、大抵仲間とともにどこかの空き家などで暮らしています。盗むのは、その仲間の為でもあります。もっと小さな子どもたちの為、盗みをしていたりもする。働き方は褒められたものではないのですが、これは世のお父さんたちと同じ心理だと思われます。では、これを善とすればいい。師は、そう考えてこの街の人々に協力を求めました。盗まれたお店などの被害は、元々施しをしていた貴族階級から補填してもらい、大人たちには悪い事だと怒る演技をしてもらう。悪事に慣れさせないように、常に良心に訴える。そして、実際には捕まえたりしない。そうしてみんなで見守り、働ける年になったところで、実は守られていたんだよ、愛されていたんだよ、と教えます」

「うわあ! それ、すっごく楽しそう! その教える役、わたしやってみたーい!」


 ウィンクルムは身を乗り出して手を挙げた。クーラエに立候補して見せてもあまり意味は無いのだが。


「でしょ? でも、もっと面白いのは、子どもたちが病気になった時なんです。その時は、マールームさんの手下に頼んで、病気になった子を攫ってもらい、病院に運びます。そこで治療している間は、残った子に身代金を要求して、農家の収穫のお手伝いとかさせるんですよ。治療している子は、病院とは分からないように、人質としてそれっぽく扱います。残った子たちって必死で頑張るんですよ、これが。この経験をさせた子は、本当に優しくて正義感のある子になるんですよねー」


 クーラエはによによとにやけている。そんな子たちが、よほど可愛く映ったのだろう。


「それは効果がありそうじゃ。まるで街全体の総力をもって子どもに悪戯をしておるような。なかなかわくわくする話じゃの」


 アーカスもそんな大人たちの策略を打ち明けられた子どもの反応を想像し、くつくつと笑った。


「はい。当初はなかなか理解が得られず、効果が目に見えるようになるまでにはかなりの時間がかかったそうです。でも、その打ち明け役を毎年住人たちの持ち回りにすることで、実感の浸透を早める事に成功しました。おかげこの制度、といっても法として明文化されているわけでは無いので名前すらありませんが、今も存続出来ています。ちなみに僕も、この制度で騙されていたクチでして。ずっと見守られていたと知った時には、とにかくいろんな感情がごちゃまぜになって、わけもわからずに泣いた記憶がありますよ。はは、恥ずかしい話ですけど」

「えっ? では、おぬし」

「クーラエも?」


 ウィンクルムとアーカスは、驚いてクーラエを見た。クーラエはしまったという顔をした。


「あ、ええ、まあ。僕も孤児です。盗みもしたことありますよ。でも、もう昔の話です。い、今はやってませんよ! 本当です! 僕はね、この街やここに住む人たちが大好きなんですから! ……あ?」

「そんなの分かってるよ、クーラエ」

「そうか。そうか……。ウチも好きじゃ。この街がの、大好きになってしもうたよ……」


 慌てて弁明するクーラエを、椅子から立ったアーカスとウィンクルムがぎゅっと抱き締めた。クーラエは一瞬にして茹で蛸のごとく真っ赤になり、二人を振り払おうとして……すぐにやめた。


「苦しい……何なんですか、もう……。アルコン様も、僕を最初に見た時にこうやって抱き締めましたが……」

「アルコン? そう言えばおぬし、さっきも橋の所でアルコンの名を出しておったような。ほれ、自己紹介した時じゃ。アルコンとは、もしかして六英雄のアルコンかや?」


 今更気がついたアーカスは、クーラエをその豊満な胸から解放した。クーラエは若干残念そうだ。


「そうですよ。ほとんどの人は気づいていませんけど。堂々と名乗っているのに誰にも六英雄だとは思ってもらえないんですよね、アルコン様って。イメージ違い過ぎるんですよね、絶対に。かく言う僕もそうでしたから分かります。て、これ言っていいんでしょうか? アルコン様がここにいるのって、リルガレオ様やユールさんは秘密みたいに扱ってませんでした?」

「あ、そーかも。でも、おんなじ六英雄のアーカスになら、別に話してもいいんじゃない? 知らないけど。ん? どうしたの、アーカス?」

「ふふ。ふふふふふ」


 アーカスはふらりとテーブルから離れると、二人に背を向けて笑い出した。


「クーラエよ。おぬしは西街区の教会に住んでおると言ってたのう。では、アルコンもそこにいるのじゃな?」

「え? ええ。アルコン様は、一応大司教ですから。うちの教会、見た目はボロですけど、エディティス・ペイ西部にある救主教会12軒を統括してますので、アルコン様は立場的にあそこにいなくちゃいけないんですよね」

「そうなんだ。でも、そんな偉く見えないね。アルコンも教会も」

「はっきり言いますね、ウィンクルムさん。まぁ事実なので仕方がありませんけど。今話した孤児たちの保護を推進した僕の師が、アルコン様の前任の大司教様なんですよね。あの人、全然見た目にこだわらなかったから、ずっとあんな感じなんです」

「なるほどな。あやつが前任者であったのか……。だからアルコンはここに来たというわけか。では、ここが。このエディティス・ペイが」

「えっ? アーカスさん、僕の師を知っていたんですか?」

「アーカス? エディティス・ペイがどうしたの?」


 アーカスは振り返った。


「ここが、アルコンの故郷だったのじゃ。そして、クーラエ。おぬしの師の名は、テネリタースというのじゃろう」

「そ、そうです。て、ここがアルコン様の故郷とは聞いていませんが。何で師をご存知なんですか、アーカスさん?」

「へえ! ここがアルコンの育った街だったんだ! じゃあ、わたしのママもここにいたってことだよね!」

「そうじゃな、ウィンクルム。ここで、アルコンとフロウスは生きてきたのじゃ……」


 アーカスはウィンクルムの頭を撫でた。そして、星屑を出して命じた。


「行け、星屑よ。アルコンはあちらの方におる。教会を見つけたら、中を覗いて確認し、直ちに報告するのじゃ」


 星屑はわずかに上下に動いて見せると、アーカスの示した方へと飛び去った。


「アーカス?」


 ウィンクルムはアーカスから不穏な空気を感じ取った。


「アーカスさん。もしかして、アーカスさんがここに来た目的とは」


 クーラエも理由は分からなかったが、なんとなく不安になった。何しろ、リルガレオの話では、六英雄は獣人族が監視しているはずなのだ。そして、定められた居住地域から出る事は許さないと言っていた。一国を滅ぼせる軍事力にほいほいと動かれては困るからなのだろうとクーラエは理解している。


 そんな六英雄の一人、アーカスがここにいる。クーラエのすぐ隣に、世界中が警戒し、危険視する人物がいるのだ。アーカスの人柄に触れて安心しきっていたクーラエは、そんな自分が馬鹿過ぎると思い、苦笑した。


 アーカスは、ここにいるだけで世界中を震撼させる。例えるなら、歩く超巨大火薬庫だ。その隣でコーヒーを飲み、ケーキを食べる者が馬鹿でなくて何なのか。


「うむ。ウチはアルコンに会いに来たのじゃ。加護を取り戻したらしいアルコンに。ウチにはアルコンを見定める義務がある。六英雄の盟約に則って、な」


 そして、アーカスはアルコンを発見する。リルガレオに魔獣王ベスティアの秘密を話そうとした、アルコンを――。


 


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