第9話 友達
ウィンクルムは素早く人並みに紛れ込むと、手頃な背中に隠れて思いっきり叫んだ。
「憲兵だーっ! 憲兵隊のブラディジィオが来たぞーっ!」
何しろウィンクルムの声は大きい上によく通る。子どもを取り囲んでいた観衆は、皆ぎょっとして声の方向に目をやった。
「なんだって? ちっくしょう! 死にたくねぇ! パンを盗んだくらいで死罪になんかなりたくねぇよぉ!」
盗みを働いた子どもは、なんとか星屑たちの拘束を解こうと空中でもがいた。ブラディジィオの名を聞き、かなり焦っている。それも当然のことだった。
西街区の憲兵隊長ブラディジィオとは、情け容赦無く犯罪者を連行することで有名だった。最新の短銃を備えた治安維持の新組織である憲兵隊は、今や近衛騎士団に取って代わるという憶測が実しやかに囁かれるくらいに台頭し始めている。手柄を挙げることに躍起な憲兵に見つかれば、この子どもの末路は容易に予測出来てしまう。人々は落胆した。だが。
「マールームだー! こっちからは、血溜まりのマールームが来るぞー!」
今度は逆方向に散ったクーラエが、喉も裂けよと叫んでいた。それを聞いた群衆は、今度は顔を青くした。
「マールームさん! や、やった! マールームさんなら!」
一転、子どもは表情を明るくした。泣きべそをかいたり笑ってみたりと忙しない。
マールームとは、エディティス・ペイの裏組織の全てを牛耳るボスである。血溜まりというのは元々闇稼業に生きる者たちがマールームを指して使っていた隠語なのだが、今やすっかり一般人までが知るところとなっていた。マールームは融通の利かない憲兵隊を嫌悪しており、遭遇すれば必ず血飛沫が吹き荒れる。絶体絶命のこの状況下、子どもにとってはこれ以上無い朗報だ。
しかし、これはクーラエの描いた茶番である。ブラディジィオもマールームも来ていない。クーラエの狙い。それは。
「な、なんじゃとー。ブラディジィオにマールームが来ておるのかー。うわー、ウチはどうしたらいいのじゃー。この小童を放せば憲兵に敵し、捕えたままならマールームから睨まれるー。これはマズいことになったのじゃー」
他所者であるアーカスはブラディジィオもマールームも知らない。しかし、知っているふりをした。そして恐れるふりもした。が、全く心が込もらないので棒読みだ。クーラエはその演技力の方が恐かった。これでこの子どもが信じるだろうか、と。
「そうじゃ。ウチは逃げる。逃げればどちらからも恨まれぬ。ウチって頭いいのじゃー」
「いてっ」
星屑の拘束を解かれた子どもは尻から地面に落っこちた。アーカスはそのまま都心方面へと走り去る。逃走者としてはあるまじき、スキップという走り方で。
「な、なんだあいつ? とにかくツイてる!」
子どもも不自然さを感じながら走り出す。群衆もパン屋の親父も子どもの背に「あ、に、逃がすな」「追え」と声をかけているが、誰一人追おうとはしない。クーラエとウィンクルムは、近くにいた人々から「グッジョブ!」「良くやった」と背中を叩かれ褒められている。
「いや、ホントに困った。一時はどうなる事かと思ったが、あの嘘は救主教のクーラエか。はははは、大した機転だ助かった」
「どういたしまして。我が師の教えをふいにするような真似は、僕だって見過ごせませんからね」
パン屋の親父は心の底から喜んでいる。パンを盗んだ子どもを逃がされて喜ぶパン屋が、ウィンクルムにはまるで理解出来なかった。
「ねぇ、クーラエ。師って、クーラエの師匠? 教えって?」
「はい。説明しますけど、まずはアーカスさんに追い付きましょう。橋の先にあるカフェテラスで落ち合う手筈ですからね。後はさっき話していた予定通り、服屋さんに行きましょう。アーカスさん、凄く楽しみにしてますよ」
「あ、そうだね。じゃあ、お茶しながら聞こうかな」
クーラエはさり気なくウィンクルムの手を取って歩き出した。今ならそんなの気にしないだろうという判断だ。普通のふりをしているが、心の中ではガッツポーズのクーラエだった。
「つーか、今の美女……もしかして、六英雄のアーカスだったんじゃねぇのか……? て、まさかな」
そんな二人を見送りながら、パン屋の親父が呟いた。
「待ちかねたぞ二人とも」
「すいません、遅くなって」
「お待たせー、アーカス」
ほどなく三人は合流した。アーカスはカフェのテラス席で、優雅に紅茶を飲んでいた。カフェにテラス席は10ほどあり、半分ほど埋まっている。新聞を読む紳士や犬を連れた淑女などがいて、そこにはゆったりとした時間が流れていた。
ここは都心への入り口、西ケントウム門前だ。ケントウム門は東西南北に設置された巨大な門で、門と言うよりはちょっとした城のようになっている。橋から続く大通りを跨ぐ城。それがケントウム門だ。
その城の前には、しっかりとした店構えの店舗が多く立ち並ぶ。下町の下級階層向けにアレンジした「お値打ちな高級品」をコンセプトにしたお店たちだ。宝飾品などはイミテーションだが、その分デザインに意匠を凝らして高級感を出している。食事やスイーツも同じラインを狙っている為、下町の若者には人気がある区画だった。
「さて。早速じゃが、さっきの話じゃ。何だったのじゃ、あれは? 何故に盗っ人を見逃さねばならぬのじゃ?」
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「あ、僕は水で」
話し出したところへ、すぐさま店員の若い女性が注文を取りに来た。清楚なワンピースに真っ白なエプロンが、クーラエにとって眩し過ぎた。こんな洒落たお店に来たことの無いクーラエだが、それでも一番安い物を頼む胆力は賞賛に値する。
「水? ここもウチが持つのじゃから、遠慮などするでない。コーヒーくらい頼んでおけ。考えてもみよ、クーラエとやら。ウチが悠々と茶を楽しんでいる横で、地味ーな少年少女が水を飲んでおる絵面を。いかにもお金持ちなウチが、いかにもケチ臭く見えるであろ? もしかしたら、主従と思われるかも知れぬ。その際は、従者に冷たい姫みたいではないか。ウチはそんなの耐えられぬ。じゃから、遠慮はともかくウチの為にも何かもっと良い物を注文して欲しいのじゃ」
「なるほど……それなら甘えるしかありませんね。僕はお金無いですし」
「やったー! じゃあね、じゃあ、わたしはこのパウンドケーキのセットにするー!」
クーラエは納得した。そこまでは考えていなかった。しかし、それでもまずは遠慮するのが礼儀だ、これで良かったとも思った。ウィンクルムは店先のボードに可愛らしいイラストで掲示されていたパウンドケーキセットを、うきうきとして注文した。アーカスは「うむ。好きなものを好きなだけ頼むといい」と嬉しそうに微笑んだ。
「それに、さっきの礼でもあるからの。それで無くとも、ウチはもう、ウィンクルムとクーラエは友達だと思うておる。友達には、やっぱり喜んでもらいたい。そう思うのは当然じゃろう? のう、クーラエ」
「友達? ウィンクルムさんはそう呼ばれても相応の地位にありますが……僕はご覧の通り、貧乏教会の一修道士。それは畏れ多いです」
オーダーを承った店員が下がると、クーラエは手をぶんぶんと振って狼狽えた。六英雄で妖精王の姫であるアーカスに友達と呼ばれる資格など自分に無い。クーラエはそう思った。
しかし、アーカスの出自はアルコンらと同じく詳細不明だ。妖精王メディオクリスがたまたま見出し、養女とした。それがアーカスの姫たる所以である。
「なんと寂しい事を言うのじゃおぬしは。ウチが身分や地位や力で友達を選ぶと思うてか? 友達になるのに、そんな物は必要なかろ? 妖精の国からほとんど出ることの無いウチには、対等に話せる友が数えるほどしかおらぬのじゃ。だから、異国に来た時くらいそんな事は忘れたい。のう、クーラエ。ウィンクルム。ウチの年が離れているのでなかなか難しいとは思うのじゃが、どうか気安く接してはくれまいか? ウチは、友達が欲しいのじゃ……」
ウィンクルムとクーラエは、顔を見合わせた。気高く強いアーカスにも、こんな悩みがあったのだ。
「わたし分かる気がするよ。わたしも、お城にいるとみんなが恭しく接してくるから、実はちょっと不思議だった。生まれた時からそうだったから当たり前なのかなって思ってたけど、ここに来る旅の中で、そうじゃないって知ったんだ。格好もこんなだし、外の人たちはみんな気安くて。でも、それがなんだか嬉しかったな」
「ウィンクルムさん……」
クーラエにとって、二人の悩みは次元が違うものだ。選ばれた者のみが持つ贅沢とも取れる悩みであり、人によっては悩みにすらならない事だろう。だが、友達になりたい、友達が欲しいという気持ちは共通している。クーラエはそこに強く共感した。クーラエもまた、修道士として遊興を遠ざけるあまりに、友達が作れないという悩みがある。
「分かりました、アーカスさん。こんな僕でよければ、是非お友達にしてください」
「わたしも! アーカスと友達になれたら嬉しいな!」
クーラエとウィンクルムは、アーカスに手を差し出した。
「有難う。ほんに有り難いことじゃ。よろしく頼むぞ、二人とも」
アーカスは二人の手を取りにっこりと笑った。それは、どんなに荒れ果てた心をも、瞬時に花畑としてしまうような笑顔だった。
「お待たせしましたー」
「お、ほれ、注文の品が来たぞ、二人とも。ささ、冷めないうちに。あ、そうじゃ。そこな女給。ウチもそのケーキを頼む」
「そんなすぐに冷めませんよ、アーカスさん」
「わー! ケーキおいしそー! いただきまーす!」
テーブルの上は、三人の注文で華やかになっていた。それはまるで、三人の心のうちを表しているようだ。
「ところで、さっきの盗っ人じゃ。話が逸れてしもうたが」
「あ。すいません、忘れてましたね」
「あははは。わたしもすっかり忘れてた。思い出すと気になるね。どういうことだったのか教えて、クーラエ」
「はい。うわ、このコーヒーおいしい。なんでこんなに違うのでしょうね、僕らの住む下町の店とは」
「そうなの? このケーキもおいしいよ。一口食べる、クーラエ? はい、あーん」
「ふええええ! いいいい、いいんですか、ウィンクルムさん?」
「いいよー。わたしが買ったわけじゃないし。おいしいものって、人に教えたくなるもんね」
「なんじゃクーラエ。食べたいのなら追加してやるぞ」
「いえいえいえいえ! そんな一口だけで十分です! 本気で全力で結構ですから、アーカスさん!」
クーラエは力の限り遠慮した。ケーキを丸ごと一つもらうより、ウィンクルムにあーんして食べさせてもらう方が何百倍も嬉しいからだ。
「そんなに拒否せんでもいいではないか。ウチ、ちょっと悲しい」
「すいません、アーカスさん。しかし、ここはどうしても譲れないところなのです」
「なんだ、ケーキいらなかったのクーラエ? じゃあ食べちゃお」
「え? あ……、ああああああああああ!!!!!」
ウィンクルムはクーラエがケーキを好まないと勘違いして自分で食べた。クーラエはこの世の終わりを見たかのごとく絶叫した。
「アーカスさん、やはりケーキもう一つお願いします! ウィンクルムさんに! 是非! 今すぐ!」
「な、なんじゃ? それは構わぬが、ちと必死過ぎるじゃろ、クーラエ? それに、ウィンクルムが食べるのかや? ウチ、意味が良く分からないのじゃ」
「意味なんてどうだっていいでしょう! 店員さん、すいませーん! ケーキもう一丁!」
「もう一丁だって。クーラエったら、ケーキそんな風に頼んじゃうんだ。あははははは」
それにしてもこの三人、話がちっとも進まない。概して友達と話す時はこういうものなのだろう。三人はもうすでにちゃんと友達になっていた。
アーカスは、この二人には何でも飾らず話せてしまうことに驚いていた。友達になれると直感したのか、それとも異国に出て心が開放的になっているせいなのか。アーカスは、その両方だろうと思った。
「ふふ。ふふふふふ。楽しいのう。これじゃ。これなんじゃ。ウチが欲しかったのは、こんな何でもない時、なのじゃ……」
アーカスは過ぎ去りし日々を想った。六英雄と過ごした日々だ。もう二度と戻らない時に想いを馳せるアーカスは、今この瞬間がどれほど大切なものであるかを知っている。
この後、その大切な想い出のひと欠片を、自身の手で血塗られたものに変えなければならなくなるとは思わずに――。
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