第8話 悪の成す正義、正義の成す悪
アルコンとリルガレオがアーカスから逃走する少し前。クーラエとウィンクルム、そしてアーカスは、都心を目指して歩いていた。
「それにしても賑やかな所じゃの、このエディティス・ペイという街は。ウチはずっと山の中にあるエルフの集落で暮らしてきたので、こんなに人がいる所に来るのは初めてなのじゃ。ああ、討伐戦の時はもっとたくさんの人がいたが、やつらは軍人だったからの。むさ苦しいだけで全く楽しくはなかったわ。しかし、ここは楽しいの。いろんな屋台があって、いろんな人がいて。街並みもこの橋から見ている分にはカラフルで面白い。やはりたまには外界に出てみるものじゃのう。あんなカビ臭い所に篭っていては、心にまでカビが生えそうになってくる。父上め、ウチが出ると面倒事を全てやらねばならなくなるので、なかなか離してくれぬのじゃ。はー、まっこと、姫とは面倒なものなのじゃ。早く自由になりたいのう」
前にはアーカスが、バナナチョコクレープを頬張りながら、にこにこ笑顔でスキップしている。見る者によっては妖艶にさえ映るアーカスの容貌とはちぐはぐな、まるきり無邪気な子どもそのものの行動に、道行く人々は皆目を奪われていた。
「あはは。かわいいねー、アーカスって。ね、クーラエ」
「え、ええ。て、笑ってるわりには言ってることが思い切り愚痴だし、僕がかわいいなんて言うと怒られそうなんですけど。それより、アーカスさんて目立ち過ぎですよね。僕らもかなり見られてます。お、落ち着かない」
ウィンクルムは気にならないようだが、クーラエはかなり恥ずかしそうだ。教会では人前に出て話すことがあるクーラエでも、この注目のされ方には辟易した。
しかし、そんなクーラエの思いに応えてか、注目はすぐ他に移る事になる。喧騒を切り裂く警笛が、橋上に鳴り響いたからだ。
「なんじゃ?」
「なんだろ?」
アーカスとウィンクルムが振り返る。
「ああ、あれか」
クーラエは特に驚くでも無く呟いた。
「パン泥棒だ! そいつはパン泥棒だぞー!」
後ろから、一人のみすぼらしい子どもが、長いバケットパンを抱えて走ってくる。口にはパンを詰め込めるだけ詰め込んでいるその子どもを、パン屋の主人と思しき親父が、警笛を吹きつつ追いかけていた。子どもは人波を器用に避けて、泳ぐように駆けている。対する親父は出っ張った腹がつかえてなかなか先に進めない。泥棒を働いた子どもに逃げられるのは明白だ。
その割に、パン屋の親父には必死さが見止められない。声こそ大きく「逃がすな」だの「捕まえてくれ」だの叫んでいるが、僅かに下がった目尻は、笑っているようにさえ見えた。
「泥棒だよ、クーラエ! ようっし、捕まえてあげる!」
子どもはウィンクルムたちの方へ向かってくる。ウィンクルムは捕らえる気も満々と腕をまくった。
「待って、ウィンクルムさん。その必要は無いんです」
「え?」
それをクーラエがそっと止める。ウィンクルムは「見逃してあげて下さい」と頼むクーラエに、きょとんとするだけだった。こんなのはクーラエらしくないとウィンクルムは思った。見ず知らずの自分の為に、躊躇わず魔獣に立ち向かったクーラエだ。泥棒ごときを恐れるとも思えない。
「……うん。クーラエがそう言うのなら、いいけど」
ウィンクルムは納得いかないながらも、クーラエを信頼して放置することにした。
「ほほう。盗っ人か。しかも、あれはまだ年端もいかぬ童ではないか。いかんのう。あんな幼子のうちから甘やかしてはろくな大人になるまいぞ。どれ、ウチがちと、現実の厳しさを教えてやろうぞ」
が、アーカスはクーラエがどんな人物であるかをまだ知らない。姫として衆生を導くのが使命であるアーカスは、自らの正義に則り進み出た。途端、アーカスの周囲に星屑たちが瞬いた。
「え? ア、アーカスさん!」
アーカスが何をしようとしているのかクーラエには分からない。クーラエはクーラエで、アーカスの力を知らないからだ。それでも止めようと、クーラエは手を伸ばした。
「止めるな、小僧。あれを見逃しては秩序が乱れる。そうであろう?」
「いたっ!」
クーラエの手は星屑に弾かれた。星屑は強大なエネルギーの塊だ。こうした手加減は難しい。少し集中力を乱せば、先に爆発したホットドッグのようになる。
「あの小童を捕らえよ、星屑たち」
アーカスが手を振り払うと、五つの星屑たちが先を争うように子ども目掛けて飛んでゆく。
「うわああああ! ちっくしょう! 何だこりゃ? 放せ、放せえ!」
子どもの両手両足、そして首をリング状になった星屑たちが拘束した。星屑たちはそのまま宙へと浮かび上がる。子どもは衆目の中、晒される格好となっていた。子どもが抱えていたパンは、他の星屑たちが落下前にキャッチした。アーカスのフォローは万全だ。
「ほれ、そこなハゲ。盗っ人は捕えたぞ」
アーカスは得意気だ。
「あ。なんて、こった」
しかし、喜ぶと思っていたパン屋の親父は、頭を抱えて困っている。道行く人々も、皆「あちゃー」と頭に手をやった。
「あ、あれ? どうした、ハゲ? こやつはおぬしの店のパンを盗んだ泥棒なのであろ? 捕まえたのだぞ? その反応はなんなのじゃ?」
ハゲハゲと連呼するアーカスに悪気は無い。名を知らぬ者を、見た目の特徴で呼んでいるに過ぎない。アーカスは「あーあ」と盛大に嘆息する周囲の落胆した空気におろおろと狼狽えた。
「な、なんで? アーカスが何かいけないことしたの? ねぇ、クーラエ?」
ウィンクルムもアーカス同様まるで状況が分からない。ウィンクルムはクーラエの修道着の袖をくいくいと引っ張った。
「いえ。いけない事はしていません。していませんが……やってはいけない事、でした。まぁ、ここでしか通用しない事なので、他所の人には分からなくても仕方が無いんです。仕方が無いんですけれど……困った事になりました……」
「??? どういう事、それ?」
ウィンクルムはしきりに首を捻っている。
「な、なんじゃなんじゃ。それはどういう事なのじゃ?」
二人の会話を聞いていたアーカスも、全く理解出来ずに困り果てている。目には涙が滲んでいた。
「えっと。説明は後にして。とりあえず、ですね」
「ふんふん? なんじゃ、どうしたらいいのじゃ? 早う言え、ウチはこんなの耐えられぬ」
すすっとアーカスの側に滑り込み、こそっと耳打ちするクーラエ。アーカスに頼れる者は、クーラエしかいなかった。
「あの子を解放してあげて下さい。出来るだけ自然に、しまった逃げられた感を出して、です。間違ってもわざと逃したと悟らせないようにお願いします」
「それ無理じゃろ! ウチ、圧倒的に捕まえてしもうとるのに!」
確かに無理難題だった。六英雄をして無理だと言わしめるクーラエのオーダーは、魔獣王戦を超えている。
「そこをなんとかお願いします。あの子の将来がかかっているのです。あの子を本物の盗賊にするも、立派な大人にするのも、全てアーカスさんの技量にかかっています」
「プレッシャーまでかけるでない! 泣くぞ! ウチ、もう泣くからな!」
「それは後にして下さい。僕も協力しますから」
「おぬし、見かけによらず厳しいのう……」
クーラエは人を助ける事に対して妥協が無い。頑として言い放つクーラエに、さすがのアーカスも打ち負けていた。
「なになに? どうしたらいいの、クーラエ? わたしも出来る事があるなら協力するよ」
「ありがとうございます、ウィンクルムさん。それでは」
クーラエはアーカスとウィンクルムにひそひそと手筈を話す。その間、パン屋も周囲の人々も「この盗っ人め」「ざまあみろ」「衛兵を呼んだぞ」「これでお前は牢屋行きだ」などと、子どもに散々な罵声を浴びせていた。しかし、これはポーズだ。そう言いながら、人々はクーラエたちをちらちらと見て、様子を窺っている。ぼそっと「早くなんとかしろよ」という声も聞こえてきた。
ほどなくしてクーラエが「では行きます! ファイトー!」と叫ぶと、アーカスとウィンクルムが「おー!」と応えて重ねていた手を天にかざした。
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