第7話 禁忌

「アルコン。おぬしは我ら六英雄が交した、最も重大な盟約を破った。すなわち、魔獣王に関わる全ての事柄じゃ。どんな些細な情報であれ、他には一切漏らさぬとおぬしも誓ったはずであるな? 漏らさばどうなるのかも、承知しておるはずよのう?」


 アーカスの周囲には、大小色彩様々な星屑が、付き従うように舞っている。その鋭角な動きは、気が立っているのか刺々しく感じる。リルガレオはその神秘的なアーカスの佇まいに、自らの命の危険も忘れて見惚れていた。そして、声に出していた。


「こいつぁ、なんて美しいんだ……」


 言ってから後悔した。アルコンが「はあ?」という顔でリルガレオを見たからだ。


「リルガレオ。お前、アーカスみたいな女が好みだったのか? そういうのには興味が無いやつだと思っていたが」

「バ! バッカ! ちげーよ! そういうのじゃねぇ! 俺ぁ、ただ!」

「ただ? ただ、何だと言うんだ? そこは素直に認めておけよ、リルガレオ。お前、あんまりにも女っ気がないから、実はホモなんじゃないかという噂もあるって知ってたか? チャンスじゃないか、おかしな噂を否定するには。その方が俺としても安心だ」

「安心て何がだよ! 俺が万が一ホモでも、おめぇにだけは惚れねぇよ! 俺はただ、美しいと思っただけだ! 星屑を従えているアーカスがな! 女とか男とかじゃねぇんだよ! 美しいものを美しいと言って何が悪いってぇんだよ!」

「良くやった、リルガレオ」

「ああ?」


 アルコンになぜか褒められたリルガレオは、その太い眉をくしゃくしゃになるほど顰めていた。ここで褒められても喜べないどころか、アルコンの手下になってしまったようで、リルガレオにとっては不快でしかないからだ。


「美しい? ウチが?」


 アーカスの様子もおかしかった。肩を戦慄かせ、顔を伏せているアーカスに、リルガレオは恐怖というより奇怪さを感じた。


「合図したら壁を突き破って思いっきり外へ逃げろリルガレオ」

「あ? お、おう?」


 アルコンは口角を吊り上げている。その邪悪な笑みは、しかし幾筋も汗の伝う額や頬のせいで、焦燥感をより強く表していた。そして、アーカスは。


「だだだだだ、誰が美しいのじゃ愚か者め! そそそそそ、そんな事を言われたとて、喜んだり恥ずかしがったりするようなウチではないのじゃ! ウチ、もうそんな年じゃないんじゃもーん!」


 全身をくねらせ、真っ赤に染まった顔を手で覆うと、そのままその場にしゃがみ込んでしまった。首をいやいやと激しく振るので、深緑の髪が左右にさらさらと広がり流れる。星屑たちはそれに追い払われるように離れて行った。


「今だ!」

「なるほどな!」


 リルガレオが教会の薄い板壁を蹴り破って外へと躍り出た。アルコンもそれに続いて飛び出した。


 アーカスは極度の照れ屋であることを、アルコンは良く知っている。美しく神秘的な容姿を持つアーカスにとって、こうした褒め言葉などもらい慣れていそうなものなのだが、実は逆だ。美し過ぎる者の前に、人は言葉を失うものだ。半獣半人のリルガレオだからこそ、の発言が、アーカスの意表を突く形となり、一瞬の隙を作り出せたのだ。


「いやいやいやいや、ウチなんかそんな美しくなどないのじゃ! なんじゃうるさいのう、星屑たちよ! ウチは今、体の内から抱き締められたような羞恥に苦しんでおるのじゃぞ! ……何? 逃げた? アルコンたちが?」


 誰もいなくなった教会の食堂で、たっぷり2分は悶え続けていたアーカスは、星屑からの報告ではっと顔を上げた。


「しまった! おのれ、アルコン! 下衆な手を! 散れ、星屑たち! アルコンたちを探すのじゃ!」


 立ち上がったアーカスは、再び凛としたスタイルを取り戻して星屑たちにそう命じた。色とりどりの星屑たちは、心なしやれやれといった風情で散開し、それぞれ思い思いの方向へと散って行く。


「ふう……」


 星屑たちが去った後、アーカスは倒れた椅子を元に戻し、腰掛けた。そして食堂を見渡すと、アルコンのコーヒーカップを手に取った。


「……ほんに、何と馬鹿な事をしでかしたのじゃアルコンよ……ほんに、馬鹿な……」


 アーカスは、コーヒーカップを額に押し当てた。まだ残る微かな温もり。それがアルコンの温もりのようで、アーカスは少しだけ、寂しそうに微笑んだ。


「加護の無いおぬしを殺すことなど、蟻を踏み殺すよりも簡単じゃ。ウチは星屑の光弓手、アーカス。命ある、物質化した光……」


 アーカスは穴の開いたテーブルに伏せて、呟いた。


「ああ、ウチは。ウチは……この想いを伝える事も出来ないまま……その相手を殺すのじゃ……これが運命だと言うのであれば、ウチは一体、何の為に15年も我慢してきたのじゃろう……」


 アーカスには、伝えたい想いがある。しかし、それは絶対に叶わない夢だった。


「15年。そう、たったの15年じゃ。ウチらからすれば、わずかな時であるはずじゃ。なのに。なのに、恋とは、なんと時を永くするものなのか。なんと時を短くするものなのか……のう、アルコン。おぬしは、きっと知っておる。なのに、おぬしは、おぬしは……何故なんじゃ、アルコン。フロウスは、最早グラディオのものじゃのに……」


 アーカスは、アルコンを愛している。討伐戦の時から、アーカスはアルコンに恋していた。


「禁忌、か。加護には、何故こんな制約があるのじゃろう? 魔獣王ベスティアも、そこまでは知らなんだが」


 加護と同時に必ず持つ、禁忌。それは加護を持つ者、最大にして唯一の弱点にすらなり得た。従って、加護を持つ者が禁忌を他人に教えることは無い。強大な加護を持つ者ほど、守るのが困難であり厳しい禁忌を持っていた。それはアーカスも例外ではない。アーカスの禁忌とは。


『愛している事を伝えてはならない』


 アーカスとは、孤独の十字架に磔された妖精なのだ。


「終わらせるのじゃ。こんな想いをするのは、もうたくさん、じゃ。すまぬ、アルコン。本当は、盟約を破ったことなどウチにとっては小事なのじゃろう。本音を言えば、ウチはこの恋を終わらせたい。だって、おぬしがウチに振り向く事など無いのじゃから。おぬしの心には、いつもいつまでもフロウスがいるのじゃから……」


 アーカスは立ち上がる。


「ウチはアルコンを殺す! 今すぐじゃ! 寿命を待つのは、もうやめじゃあ!」


 アーカスは、涙を振り払った。

 

  

 



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