第6話 星屑とチーズ
リルガレオは「ち」と舌打ちすると、椅子にどかりと腰掛けた。食堂の空気が一瞬で弛緩し、再び朝の柔らかな陽射しが満ちる。
「なんだリルガレオ? 俺を殴るんじゃないのか?」
アルコンはゆったりとコーヒーに手を伸ばした。
「けっ、ニヤニヤしやがって。やらねぇよ。今のおめぇを俺が害する事はねぇ。俺にも、自尊心ってもんがあるからな。それを分かってて話すのが腹立つんだよなぁ、おめぇは」
「そうなのか? それだけ俺がお前を信頼しているという証なのだが、嬉しくはないのかね?」
「おめぇに信頼されて、何で俺が喜ばなくちゃならねぇんだ。それより早く続きを話せよ。本題は他にあんだろ?」
「良く分かったな」
「俺に無力を知らせて何の意味があるってんだよ。だから何なんだって話だぜ」
「それもそうか。では、本題に入ろう。今から話す事は、六英雄だけが知る秘密だ。お前がそれをバラす事があれば、誰かが……そうだな、おそらくアーカスあたりが真っ先にお前を殺しに来るだろう。そのつもりで聞いて欲しい」
「星屑の光弓手、アーカスか。へっ。そうなりゃ、返り討ちにしてやるぜ」
「無理だ。あいつの加護は光。アーカスの先制攻撃をかわす事など、六英雄でも不可能だ」
ずず、とアルコンのコーヒーを啜る音だけが食堂を支配した。リルガレオは黙り込んでいる。リルガレオはアーカスとの戦闘を脳内でシミュレーションしていた。そして出た答えは、良くて相討ち。リルガレオにとってアーカスは、最初から死ぬつもりで戦うしかない相手だ。勝てるとすれば満月の夜だけだが、それも確証の持てない話だった。
「まぁ、お前が他で話さなければいいだけのことだ。少し長い話になるが、聞いてくれ」
「……つまらねぇ話なら聞かねぇぞ」
「いやいや、きっと面白いはずだ。昨日も聞きたがっていたじゃないかお前」
「何? まさか?」
「そうだ。魔獣王討伐戦。その真実を、俺は今からお前に話す」
リルガレオは決意を秘めたアルコンの表情に、思わず座り直していた。そしてすぐに疑問を持った。昨日、アルコンは死んでも話そうとしなかった事だからだ。事情が変わったのはウィンクルムのせいだろうとは察しがついたが、随分な変わり身だ。こういう時はろくな事が無いと直感したリルガレオは、話を鵜呑みにしないよう心の中で自分に言い聞かせた。
「ふぅん。嫌な予感しかしねぇが、興味はある。ま、聞いてやってもいいぜアルコンよ。聞くだけならな」
そして、一応布石を打った。そんな話をするからには、自分に何かさせるつもりなのは間違いないと判断したのだ。
「ああ。それでいい。十分だよ、リルガレオ」
アルコンは腹黒く笑った。混沌の坩堝である貧民街で、子どもの頃から人並外れた力を持って生きてきたアルコンには、人を都合良く使う手管と、人に利用されない技術が身についている。アルコンとは、敵にしても味方にしても安心出来ない男なのだ。
「では、どこから話そうか。そうだな。まずは我々"加護を持つ者"について説明しよう。で、なければ」
「うん?」
「ウィンクルムが魔獣王であるという事と、それをお前に殺して欲しいと頼む事が、繋がらなくなるからな」
リルガレオは後悔した。ああ、やっぱり聞くんじゃなかった、と。
「加護を持つ者とは、今の世界で生を受けた者ではない。その前の世界。おそらくは、今から千年ほど前に滅んだ世界の末裔たちだ」
しかし、アルコンはそんなリルガレオの気持ちなど見透かした上で語り始めた。リルガレオを逃がすわけにはいかないからだ。
「は? はあっ? な、何を言い出してんだよ、おめぇ?」
「前の世界を管理していた存在……そうだな、仮に『マザー』と呼ぼう。マザーによって我々前世界人に付与された力。それが加護だ。マザーは滅びゆく人類を憂い、やり直す機会を作った。絶滅必至だった人類は千年の時をかけ、ようやく今の状態にまで持ち直した。しかし、それにはひとつ、決定的な欠陥、いや、代償と言うべきリスクが伴った。それが"魔獣"の出現であり、"魔獣王"の存在理由だ」
「ちちち、ちょい待ち。待て待て待てアルコン。俺ぁ、もう話についていけてねぇ。ちっと咀嚼する時間をくれ」
話を鵜呑みにしないも何も、リルガレオには話のスケールが壮大過ぎて想定外にもほどがある。信じるも信じないも、理解すら追い付かないのでは話にならない。世界中を旅し、大抵の事には驚かないリルガレオですら、アルコンの話には序盤ですでに困り果てていた。
「どうした、リルガレオ? 何が分からないのだ?」
「悪ぃが何もかも分からねぇ。だいたい何なんだよ、前の世界ってのは?」
「ああ、千年ほど前に栄華を築いた世界だな。すまんが、俺にも具体的にはどんなものだったのか説明出来ない。それはおそらく我々六英雄も等しく失っている、5歳以前にしか記憶が無いものだからだろう。何かの手違いかも知れん。目覚めるまでの年月は各時違うが、そこは共通しているからな」
「目覚める?」
「ああ。俺とフロウスはすぐ近くで同時に目覚めた。最初に見た物は、ガラスで出来ているような、棺桶みたいな箱だった。俺たちはそこで目覚め、地上へと這い出て来たのだ」
「じゃあ、地下にいたってのか? 地面の下にその棺桶みてぇのがあって、そこで眠り続けてた?」
「そうだ。そこは真っ白な、妙な物質で作られた所だった。そこから長い長い廊下を、俺とフロウスは延々と歩いた。そして出口へと至り、外へ出ると同時にそこは全て崩れ落ちた。その後の魔獣王戦でこの世界の成り立ちを理解した我々六英雄は、それぞれ自分の出てきた所を調査してみたのだが、もう何も遺されてはいなかった。だから、それが何だったのかは断言出来ない。しかし、おそらくは我々を保存しておくための設備、だったのだと思われる。マザーの存在も、魔獣王戦によって判明した」
リルガレオはただ黙って聞いていた。『六英雄』。魔獣王戦以後に名を上げた六人が、その前に何をしていたのか? なぜあれほどの力を持ちながら、それまで無名同然だったのか? 巷間で度々話題に上っていたが、誰も納得のいく答えを持たなかった疑問。それがアルコン自身の口から徐々に解明されてゆく。
「我々六英雄は、自分たちのルーツを探していた。どこから来たのか? なぜ、何の為にこんな力を持ったのか? そして、何を成さねばならないのか? それらの答えは、全て魔獣王が持っていた。はは。まぁ、戦うまではそんな事、まるで想像していなかったがな」
「魔獣王を倒す為、だと信じて戦ったわけか?」
「そうだ。だから参戦した。それまで、我々はなるべく力を抑え、目立たないように生きてきた。全力で振るえば、一国くらいやすやすと滅ぼせるような力だ。下手をすれば、全世界を敵に回すことになる。六英雄は俺とフロウス以外、皆離ればなれに暮らしていたが、その考えは同じでな。あの戦で初めて顔を合わせることになったのだが……いやはや、最初は酷かったよ。全員が自分こそが最強と信じて疑っていなかったのだからな。進軍中、小競り合いは数え切れないほどしたものだ。特にハスタ。あいつは負けん気が強くて大変だったよ」
アルコンは遠い目をして懐かしんだ。うっすらと笑んでいるのは、それでも楽しかったからなのだろう。リルガレオはなんとなく分かる気がして、そんなアルコンを見つめていた。
「おっと、少し話が逸れてしまったな。まだ説明不足だとは思うが、核心に入ろうか。では、魔獣王とは何だったのか? 我々とやつの関係は? 次はそこを話そうか。……!」
そこまで言って、アルコンはぴたりと押し黙った。視線はリルガレオの後ろ、食堂の天井からぶら下がる、風力作動のシーリングファンへ注がれている。
「どうした?」
リルガレオは振り返った。そして。
「うお! こいつ、まさか!」
目を見開き、叫んでいた。
「ああ、そうだ。これはマズい事になったぞ、リルガレオ」
アルコンは視線を外さず、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
天井には、小さな蒼い光の粒が、ふわふわと浮いていた。それはまるで、アルコンたちを監視しているようだった。事実、監視しているのだ。なぜならその光とは。
「これは、アーカスの"星屑"だ! 話を聞かれた! すぐに逃げろ、リルガレオ!」
アルコンは咄嗟に飛び退いた。
「何ぃ? うおおおおおお!」
直後、テーブルも椅子も、穴だらけになっていた。穴からは焦げついた臭いと細い煙が、ぶすぶすと立ち昇った。反射的に床を蹴ったリルガレオの座っていた所も、アルコンのいた場所同様、チーズのように穴ぼこを晒している。
「これはいかん。初撃は奇跡的にかわせたが……」
アルコンの額に汗が伝った。
「ち、ちょい待て。これ、本気でやってんのか? アーカスめ、本気で俺たちを殺す気なのか!?」
リルガレオは泣きそうだ。分かりやすいのが、この男の美点である。
「アーカス! 降参するから攻撃はやめてくれ! まずは話を聞いてくれ!」
アルコンは両手を上げて意思を示した。
「う、うお、お。来た。来た、来た来た来たあーっ!」
ぽつ、ぽつ、と食堂内に光の粒が増えてゆく。朝陽に溶け込んでいたかのようなその光たちは、やがて朧げな人の形をとってゆく。
「やあ、アーカス。15年ぶりじゃあないか。会えて嬉しいよ。久しぶりだな、アーカス」
アルコンはそれに向かって微笑んだ。口元が少し引き攣るのを、必死に隠しつつの微笑みだ。
「ウチにとってはさほど久しくもないのじゃが。ふん、それが喜んでおる顔か? 相変わらず適当な口しか利かぬ男よな、アルコン」
光が収束した所には、星屑の光弓手、六英雄のアーカスが、凛として立っていた。
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