第5話 つるんつるんのすべっすべ
「それにしても汚い格好をしておるのう、フロウス。おぬしらしくもないではないか。昔はいつもふりふりした可愛い服ばかり着ておったというのに。それではせっかくのおぬしの良さが台無しじゃ。そうじゃ、ウチが何か買ってやるとしようかの。その代わり、ウチの好みでウチがおぬしに着てもらいたい服を選ぶがのう。うふふふふふ」
「ひゃっ。あ、あのあの」
「あー、気持ちよいのう。昔とちっとも変わらぬわ。おぬしのほっぺときたら、どうしてそういつもつるんつるんのすべっすべなんじゃ? 赤ちゃんでもこうはいかぬぞ。はー、まっこと、これは罪じゃのう。有罪じゃ有罪じゃ。おぬしのほっぺは有罪じゃぞフロウスよ。ウチがこの通り逮捕してやらねばのう。のうのうのう」
格好が汚いと言いつつも、アーカスはもう我慢出来ないとばかりにウィンクルムを抱き締めて頬を犬のようにすり寄せた。思いがけないアーカスの行動に、ウィンクルムはただ戸惑うばかりだ。
「つるつるの、すべすべ……。う、羨ましい……僕も是非確かめてみたいっ……」
クーラエは美少女と美女の抱擁に眼福を感じつつも、それに勝る嫉妬が口をついていた。クーラエは正直だ。
「ああ、会えて本当に嬉しいのじゃフロウスよ。人間にとって15年と言えば相当に老化も進むはずじゃから、きっとおぬしももうそこらを歩いておるおばさんと同じになっておると思っておった。顔には小皺、二の腕はたるんたるん、お腹はでっぷりしてお尻など樽のようになっておるとばかりな。ウチはそんなおぬしなど見たくは無いので会いたくてもずっと我慢しておったのじゃが、それは杞憂だったのじゃ。ほんに、流石は沈黙の魔導師フロウスじゃの。また何か新しく凄い魔術を編み出して、老化を食い止めることに成功したということじゃな。はー、こんなに嬉しいことがあるものか。今日という日は真に善き日となったものじゃ」
「あ、えーっと……そ、そうなんだ……」
恍惚とした表情を浮かべてフロウスへの心情をつらつらと訴えるアーカスに、ウィンクルムは「人違いなんです」とは言い出しにくくなっていた。
そして、ウィンクルムにはこれが誰なのかもう分かっていた。会った事は無かったが、母であるフロウスからは、アーカスのいろいろな話を聞いている。
「時にフロウス。おぬしはなぜにここにおるのじゃ? グラディオと共に、帝国領で静かに暮らしておると”星屑”どもから聞き及んでいたのじゃが。そうかそうか、さてはとうとうグラディオに愛想を尽かしたな。思った通りじゃ、そりゃあそうじゃ、そうなるのが当然じゃ。だからウチが言ったであろう。グラディオと結婚するなどやめておけ、と。あれはなよなよとしていて優柔不断、実生活においては頼りにならぬ。確かに剣に於いては比類無き達人ではあるし、あんな化物と互角に戦える者などアルコンだけじゃが。ふはははは。そうそう、グラディオはいかんからといってアルコンを選ぶことも出来ぬわな。アルコンなど、グラディオよりも生活力が無さそうじゃ。グラディオならば退屈するだけで済むかも知れぬが、アルコンでは毎日がサバイバルで心の休まる暇も無い結婚生活となるじゃろう。どちらかを選べと迫られれば、ウチでもグラディオにするわいな。どちらも選ばぬという選択肢があるのなら、迷わずそれにするところじゃが」
「あ、え? パパ? アルコン? 選ぶ?」
それにしても良く喋る。アーカスは基本的にお喋りでは無いのだが、フロウスに久しぶりに会えた嬉しさでハイテンションに入っている。残念ながら勘違いなのだが、アーカスがどれだけ喜んでいるかが窺える。
「あの。すいません、感動している最中に水を差して申し訳ないのですが……その子、フロウスさんではありませんよ。そのフロウスさんの娘さんで、ウィンクルムさんと言うのです」
しかし、間違いを正さずにはいられないクーラエは、そんなアーカスの心持ちなど斟酌しない。クーラエはアーカスの夢を打ち砕かんと容赦なく現実を突きつけた。
「さぁ、今から一緒に都心へ行くとしようではないか。そんな服など、フロウスには。フロウスには! 似合わぬからな。ウチが可愛い服を見繕って着せてやる。なに、金などいくらでも持っておる。もちろん糸目などもついておらぬからして、安心してウチに任せてくれれば良い。のう、フロウスよ。のう、フロウス! じゃよな?」
クーラエの言ったことなど無視しようとしたアーカスだったが、落ち着いてハグを解き、良く良く観察してみると、瞳と髪の色が間違いなく記憶と食い違う。フロウスだと信じ込みたいアーカスだったが、徐々に「あれ? もしかしてマジで?」という空気を醸し出し始めていた。
「あ、あはは。ごめんね、わたし、ママじゃないの。ウィンクルムって言うんだよ」
「ななななな、なんじゃとうおうおうーー!!!! フフフフ、フロウスの、むむむむむ、娘えええええーー!!!!」
浮遊していたホットドッグが全て同時に爆発した。アーカスの絶叫が、朝の大橋に響き渡る。あまりの金切り声に道行く荷馬車の馬は何頭か暴れだし、都心に薪売りに向かっていたおじいさんは「はう」と呻いて胸を押さえた。屋台から餌をもらっていた鳩たちは一斉に飛び立ち、イーゼルを構えていた画家は筆を滑らせ、三ヶ月かけた傑作をゴミにした。驚いて転倒する者、それに蹴躓いてバランスを崩す者、それをかわし切れずにさらに他の人間にぶつかる者などが続出し、大橋上は奇襲を受けた軍勢もかくやという大混乱に陥った。沸き起こる怒号と悲鳴。朝の日常は、一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
それでも、クーラエとウィンクルム、アーカスの周りは台風の目のように穏やかだ。クーラエとウィンクルムは周りの様子に「あわわわわ」と震えているが、アーカスはそんな事態など全く目に入っていないようだ。少しは責任を感じて欲しいところだが、
「なんじゃなんじゃ、うるさいのう。ウチはショックを受けているのじゃ。もちっと静かに出来ぬのかの」
アーカスは基本的に自己中なので、それを期待する方が間違っている。
アーカスは生粋の姫なのだ。一家紋の、一国の、などというケチくさいものではなく、一種族の姫である。人間ならば人間族の王、つまりは覇王の姫ということなのだ。なにしろ父親はかの妖精王、メディオクリスなのだから。
ただ、アーカスは姫と呼ばれることを毛嫌いする。そんな歳で無いことを、本人が誰より分かっているからだ。エルフ族中ではそう呼ばれて当然とした年齢であっても、人間との関係を密にし過ぎたアーカスは、それを受け入れられなくなっている。人間であれば、アーカスはとっくに死んでいていい歳だった。それが姫など片腹痛い。アーカスはそう思ってしまっている。
アーカスは、今年106歳になる。メディオクリスに至っては、もう200年は生きていた。エルフを始めとする妖精族は、神に最も近い種族だと言われているのだ。
「ふっ。ははは。はははははは」
アーカスはしばらく放心していたが、うむと頷くと高らかに笑いだした。クーラエとウィンクルムは先の読めないアーカスの言動に驚かされてばかりだ。
「そうかそうか。あの大戦の時の赤子だものな。娘がこれくらいになっていて当然か。いや、失礼したのじゃ。ウチとしたことが、ちと取り乱してしまったわ。すまぬの、二人とも」
「あ、いえいえ」
「気にしてないよー」
その近寄りがたい神秘的な容貌からは想像出来ないほど気さくに笑い、素直に謝罪するアーカスに、ウィンクルムとクーラエはアルコンと通じるものを感じていた。
「では、おぬしとは初めましてなのじゃな。ならば名乗らねばなるまいの。ウチはアーカス。アーカス・ドゥオ・ミーリアじゃ。知っておるかは分からぬが、アルコンと同じ六英雄の一人であり、フロウスとは親友じゃ。ウチが思っておるだけかもだがの。はははははは」
「うん、初めまして。わたし、ウィンクルム・マギア・ドゥクス。アーカスのことはママから良く聞かされてたから知ってるよ」
「は、初めまして。僕はアルコン様の下で救主教の修道士をしております、クーラエと申します」
「ほう、フロウスから? なんと?」
「ママの1番大事なお友だちなんだよって。良く勘違いするしおっちょこちょいなんだけど、凄く真っ直ぐで信頼してる人なのよ、って」
「真、か? フロウスが、真にそう言っておったのか?」
「うん」と頷くウィンクルムを、アーカスはまた抱き締めた。今度はぎゅっと強く抱き締めた。ウィンクルムの胸に顔を埋めるように抱き締めたので、背の高いアーカスはお尻を突き出すような形になった。
アーカスは震えていた。「うー」という唸り声を、ウィンクルムの日に焼けた外套で押し殺そうとしていた。アーカスは泣いている。嬉しくて泣いている。そう分かったクーラエには、その不格好な抱擁が今までに見たどんな抱擁よりも美しく思えていた。
そして、クーラエは思う。
自分にも、こんな風に想ってくれる人が出来るのか、現れるのだろうか、と。
クーラエに、友達らしい友達はいなかった。
ウィンクルムは、アーカスの小さな丸い頭を、そっと何度も撫でていた。優しく、優しく撫でていた。
アーカスとフロウス。二人が友達となるまでには、凄まじい葛藤があった。アルコンを巡り、二人は最後まで戦い抜いた。それをも乗り越えたからこその二人の関係が現在にある。
六英雄たちの時間は、少しずつ、少しずつ動き始める。それが何を意味しているのかも分からぬままに――。
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