第3話 クーラエの初デート
連れ立って出かけたウィンクルムとクーラエは、朝日に照らされた街の全景を眺めていた。ここは下町と都心部を繋ぐ唯一の橋、オキデンス・マグナ・ポンティウムだ。市民にはオキポンなどと呼ばれ親しまれている絶景ポイントでもある。
それにしても、とクーラエは思った。せっかくウィンクルムと二人きりでのお出かけだというのに、自分はいつもの修道着姿で、ウィンクルムは昨日と同じ色あせた外套を羽織っている。まぁ、ウィンクルムは何を着ていても可愛いのでいいとして、問題は自分だ。こんな日が訪れると分かっていれば、修道着以外の服も用意しておいたはずなのに。
そこまで考えて、クーラエは首を振った。いいのだ。自分はまだまだ修業中の身であり、見栄えなど気にする立場じゃない。気にしたところで、お洒落な服など買うお金がそもそも無い。あっても多分買わないだろう。そんなものを買うくらいなら、錆び付いてぎしぎしと鳴る、あの近所迷惑な門扉を修理した方が有意義だ、とクーラエは思うのだ。
そしてクーラエは意識を今いる場所へと戻す。朝7時前だというのに、この橋には人や荷馬車が溢れている。かなり気をつけて歩かなければ、すれ違う人としょっちゅう肩をぶつけることになるだろう。ぼうっとしていたら、すぐに荷馬車に轢かれるのは確実だ。大声でなければ会話すらままならないくらいに騒がしいこの橋は、生活のエネルギーに満ちている。
通行人は、都心とアルコンたちの住む西街区を仕事で往復する人々がほとんどだが、ちらほらと子どもたちの姿も見える。荷馬車10台は並んで通行出来るほどの幅広な橋の、人の背丈よりもなお高い石柱で出来た欄干に沿って、通行人の胃袋を狙ったたくさんの屋台が並んでいるからだ。子どもたちは、肉や魚や野菜やスープ、スタンドカフェなどの芳ばしい匂いに誘われて現れる。
そんな子どもたちの衣服は、みな擦り切れてぼろぼろだ。
まるで、幼い頃のアルコンとフロウスのように。
「うっわぁー! すっごい景色! 家の屋根があんなにちっちゃい! あ、あそこがアルコンの教会かな? たっくさんの家の屋根が、きらきら光ってて眩しいね! それに、あんな高い城壁のもっと向こうの山まで見えるよ! ねぇねぇ、クーラエ。この橋の下ってどうなってるの? 朝日が届かないくらい深い谷があるのかな? 全然下まで見えないよ」
「あ、危ないですよウィンクルムさん。落ちたら痛いじゃ済みません。そうです、下は都心の下水などが流れ込む川になっているんです。それが僕らの住む西街区の地下トンネルを通って南街区の下水で合流し、海にまで続いています。ちなみにこの橋の下の谷は、最初は侵略者を落とす為に掘られたものらしいです。いざとなればこの橋を敵ごと落とせるようになっているみたいで……だから僕、実はこの橋が苦手、なんですよね。今にも落ちそうな気がして」
「そうなの? 結構物騒な橋なんだね。でも、こんなに人がたくさんいるし大丈夫だよクーラエ。わたしたち、敵でもないし。あはははは」
「で、ですよね。あ、あはははは」
て、違うだろ! と、クーラエは自身に心の中で突っ込んだ。
これでは観光ガイドではないか。そうじゃない。いや、説明に間違いは無いのだが、ここは有名なデートスポットでもあるのだ。だから初めに連れてきたというのに、もっと何か気の利いた、ムードを盛り上げる会話が出来ないのか。出来るはずがない。そもそも、同じ年頃の女子とまともに会話した記憶すらほとんど無いのだ。それでもなんとかしたいのに。クーラエは自分の不甲斐なさに落胆した。
「あれ? なんだか向こうが騒がしいよ、クーラエ? なんか殺伐とした感じ。お祭りってわけじゃなさそうだけど」
「あー、あれですか。いいんですよ、毎朝のことですから。気になるなら見てみます? 応援するのは楽しいかもしれませんし」
「応援? うん、なんだか分かんないけど、行ってみようよクーラエ」
「あ。はは、はい」
ぎゅっとクーラエの手を握り、ウィンクルムは駆け出した。クーラエの心臓も口から出て、そのまま駆け出して行きそうになっていた。
「おうらぁっ!」
「なんのっ! まぁだ、まだぁっ!」
そんな怒声を中心とした人だかりが出来ている。輪になって「やれー!」「負けるなよー!」などと野次を飛ばしている人々は、腕を振り上げてかなり興奮しているようだ。
「あーん、見えないー。ちょっと通してー」
ウィンクルムは人垣の外からぴょんぴょんと跳ねて見ようとしたが、その低い背ではちょっと跳んだくらいでは大人の頭を越せない。次に人の間にぐいぐいと入り込もうとしたが、あえなく弾かれて尻もちをついた。
「いたーい。もー」
外套の裾がめくれ、ウィンクルムのすらりとした脚が露わになった。それを見てしまったクーラエは、赤面して目を閉じた。
朝、アルコンのベッドの上にいた下着姿のウィンクルムが、油断するとクーラエの脳裏に浮かぶ。それが許せないクーラエは「ダメだダメだ」と自分の頭をぽかぽか叩いた。
「何してるの、クーラエ? そんなことしても背は伸びないよ?」
「ひゅっ? あああ、そそそ、そうですよねぇにゅふあはははは」
上目遣いに小首を傾げるウィンクルムは、クーラエにとって精神攻撃でしかない。クーラエが普段絶対に出す事の無いような声で笑うのがその証拠だった。
「え、えっと。周りは大人ばかりですからね。僕らじゃなかなか割り込むのは難しいです」
「えー? 見たいのにー。なんだか凄く楽しそうなんだもん」
「ですよね。では、ここは僕に任せてください。ウィンクルムさんに、特等席をご用意しますよ」
「えっ? ホント?」
クーラエは張り切った。ここが自分の見せ所である。ぱあっと笑顔になるウィンクルムが、クーラエの胸を幸せで満たしていた。
「すいませーん、クーラエです。救主教の修道士、クーラエですー。道を開けてくださーい」
クーラエは人だかりの後ろから、手を口に当てて大声で叫んだ。たったそれだけのことだった。
「お? クーラエ?」
「よぉ、クーラエ」
「おーい、クーラエが来てるぞー。場所を空けろ空けろー」
「よし、これで立会人もいるからな。存分にやれよー、お前らー」
クーラエがいると知るや、人垣は海が割れるかのように道を作った。道の先には、2人の荒くれた男たちが拳を構えて向き合っている。どこかの人足だろう。筋骨隆々とした二人の男は、どちらも炭鉱夫でも漁師でも通用するほど精悍だ。
「え? なんで? え?」
「えへへ。これが僕の力なんです。さ、行きましょうウィンクルムさん」
クーラエは手を差し伸べてウィンクルムを立たせると、殺気立つ男たちの元へと歩き出した。
「つーかなんだよクーラエ。珍しく女の子なんか連れてやがるな」
「彼女かー、クーラエ? ひゅーひゅー」
「ちちち、違いますよ! そうならいいな、とは思ってますけど」
最後の方は、誰にも聞こえないように小さな声で呟いた。
クーラエは人だかりの真ん中、二人の男たちの向き合う中央で立ち止まると、周りを見渡してこう尋ねた。
「はい。ではみなさん。今、何発目ですかー?」
「五発目ー」
「五発だぞー」
すぐに答えが返って来る。みな、慣れているのだ。
「ありがとうございます。では、六発目からですね。はい、じゃーんけーん、ぽん」
クーラエの掛け声に合わせ、二人の男がじゃんけんをした。ウィンクルムは、それをクーラエの横でぽかんと見ている。
「ちっ、負けたか」
「ふはははは。次は俺からだな。そうらよっ!」
「がはっ」
「おっ。くそ、耐えやがった」
「はっ、そんなへなちょこなパンチが効くもんかよ。次は俺の番だな、っと!」
「ぐあっ」
男たちは、交代で拳を叩きつけ合っている。どちらのパンチも顔面にクリーンヒットしていた。並みの男であれば、これ一発で沈んでいるに違いない拳だ。それを、この男たちは、もう六発も応酬していることになる。
「いいぞー」
「次も頑張れー」
男たちが攻撃に耐える度、観客もヒートアップしてゆく。
「はーい、黒い方の男に賭けるやつはいないかー? 今なら金髪の方がオッズ高いよー」
「お、俺は黒い方に五百頼む」
「俺は金髪の方に二千出すぜ。こっちも勝負しないとな」
ついには賭けまで始まった。知らない者には怪しいことこの上ないギャンブルなのだが、声掛けをしている男も、この手の事があると毎度出てくる顔馴染みだ。さっとお金を徴収し、手帳にメモして写しまでをも手際よく渡すこの男は、観客としっかり信頼関係を築いていた。
「痛そう……。ね、クーラエ。どうしてこの人たちって相手の攻撃をよけないの?」
何が起きているのかようやく理解したウィンクルムが、クーラエの服の袖をくいくいと引っ張った。要は喧嘩だ。この二人の間に、何か気に入らないことがあったのは想像出来た。それにしても、こんな喧嘩のルールがあるとは。いろいろと旅してここまでたどり着いたウィンクルムも、これは初めて見ることだった。
「なぜって? 愚問ですよ、ウィンクルムさん」
「ぐ、愚問?」
少し様子がおかしいクーラエに、ウィンクルムは不安になった。そして、その不安はすぐに的中した。
「なぜなら、これこそが男だからです!」
「痛いよクーラエ! なんだか全部が痛々しい!」
クーラエもこの街で育った男である。熱い血は、クーラエにも脈々と流れていた。
そう。これが初デートであることなど、きれいさっぱり忘れてしまうほどに、クーラエの血は滾っていた。
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