第終話 幸せの時間
それからしばしの時が流れ、雲は茜色に染まっていた。ウィンクルムは、教会の窓からその美しい空を眺めている。
ここ下町の家々の煙突からも、炊爨の煙が立ち昇り始めていた。あちらこちらから「ただいま」「おかえり」という声も聞こえてくる。ウィンクルムは、この時間が大好きだった。待っている人の元、帰って来る人がいる。それは凄く幸せなことだとウィンクルムは思うのだった。
「う、ん……」
「あ。クーラエ? 目が覚めた?」
ウィンクルムは、クーラエの寝かされているベッドの脇の小さな木椅子に腰掛けていた。外套を脱ぎ去った、シャツ一枚という姿でだ。下は動きやすそうな短めのパンツで、足は丸出しとなっている。さしもの交易都市エディティス・ペイにおいてもなかなか見ない、大胆な服装である。
ここは教会の屋根裏、クーラエの個室だ。天井からぶら下がるオイルランプの暖かな光が照らす、ベッドと本棚しかないこの無愛想な部屋は、まさしくクーラエそのものだ。
「え? あ、僕、確か魔獣に……、って、あれ? 腕、なんともない」
むくりと起き上がったクーラエは、自分の手を見て目をこすった。寝ぼけているのかと思ったらしい。しばらく手を握ったり開いたりしつつ、何度も首をひねっていた。
「うん、あなたの腕、すっかり元通りになってるでしょ? えへへー。それね、アルコンが治してくれたんだよ」
ウィンクルムは、なぜだか誇らしげに胸を張り、鼻息荒く説明した。
「は? アルコン様が? 、って! ききききき、きみは!?」
ぼんやりと流し見したクーラエは、きらきらと笑顔を輝かせるウィンクルムに気づくと奇声を発してベッド上を後ずさった。が、すぐに壁にぶつかり頭をごんと強打した。
「い、いたたた」
「大丈夫? きみ、せっかく怪我を治してもらったんだから、もっと注意しなくっちゃ」
「ああああああ! ちょちょちょ! そんなことされるとお!」
壁際に追い詰められたクーラエは、ウィンクルムに頭を撫でられて激しく動揺している。心臓はばくばくと暴れるし、頭の中はぐちゃぐちゃだ。クーラエは初めて体験する異常事態に、すっかり混乱してしまっていた。
「騒がしいと思ったら、目が覚めたのかクーラエ。どうだ、体の調子は……って、物凄くダメそうだぞクーラエ! 怪我は治したのに、病気か! 病気だな!」
「あ。アルコン」
「ふひゃあああ、あ、アルコン様ぁ」
ゆでダコのように真っ赤になり、だくだくと汗をかいているクーラエを見て相当やばいと判断したアルコンは、ただちに治癒魔法を行使したのだった。
これがアルコンの加護を「聖魔法」と言わしめる最大の理由である。数多の加護の中でも、傷を癒し治すことが出来るのは、この聖魔法をおいて他には無かった。
「おーい、アルコン。コンソメスープとやらが出来たぞー。お。起きたのかその小僧」
そこにひょいと顔を出したのはリルガレオだった。顔をぼこぼこに腫らしているので分かりにくいが、その巨躯と筋肉で断定出来る。
リルガレオは、あの後、加護を取り戻したアルコンに死ぬ寸前まで殴られた。
「すげームカついたぞお前」と赤手甲をがつんと鳴らして凄むアルコンは、大司教でありながら悪魔のような微笑みを浮かべていた。
内蔵破裂23回(破裂の度に治癒)、骨折324箇所(放置)、眼球は飛び出し(放置)、脳が耳から流れ出す(かなり危険だったが放置)ほどのダメージを受けては、いくらタフネスさが売りの獣人、例え王であったとて、「もう許してくれ」と謝らずにはいられまい。
結果、リルガレオは謝罪としてオスティウム・ウルマ戦の事後処理をやらされるはめになっていた。最低限動けるまで怪我を治されたリルガレオは、まずアルコン復活を吹聴しないよう騎士たちに念を押した。これはドリチアムもそうするつもりだったので無駄に脅すこともせずに終了した。
アルコン復活の報が世界を駆け巡れば、各国の緊張が増す可能性が高い。今は平和路線へと舵を切るべき大事な時なのだ。不要な混乱は避けるべきとするのが賢明だった。
次に気を失ったウィンクルムと、すぐに治療したクーラエを教会にまで運び込む仕事をこなし、最後はこのコンソメスープのアク取りだ。中途半端に治療されたリルガレオにとって、これらはかなりの労苦だったが、それでも彼はやり遂げた。さすがは獣人王である。根性が大好きなのだ。
「うむ、ご苦労。では、もう帰っていいぞ」
「え? 俺、これで帰るの? スープは? 自分で言うのもなんだが、かなりうまそうに出来たんだがな」
リルガレオは泣きそうだった。かなり腹が減っている。獣人は自己治癒力が強い為、大怪我を負うとそれに見合った補給が必要になるからだ。
「獣に飲ませるスープなどうちには無い。ああ、そのへんのドブにねずみがたくさんいるはずだ。お前はそれでも獲って食えばいい。お前はネコの獣人だからぴったりだろう」
「ネコじゃねぇよ、ライオンだ! ひでぇぞアルコン、そういうのを差別って言うんだぜ!」
「はははははは。馬鹿な、それは人間にあてはまる概念だ。獣には関係ないから気にするな」
「半分は人間なんだよ! そっちを尊重しやがれよ!」
「断る。俺の中ではお前は獣だ。だって満月になると完全に獣になるだろう」
「月に一回くらいの話じゃねぇか! ちっくしょう、今夜が満月なら、赤手甲をはめたお前にだって勝てるのに!」
「見栄を張るなリルガレオ。満月にも戦ったことがあるだろう。俺の完勝だったじゃないか」
「いーや、俺は負けてねぇ! あんときは、なんだかんだでいろいろと邪魔が入ったから、だからもういっぺんちゃんとやりゃあ、きっと絶対勝てるんだぁ!」
「ぷっ。あは。あははははははは」
「ん?」
「ああ?」
アルコンとリルガレオのやりとりを聞いていたウィンクルムが、たまらず噴き出していた。それは本当に楽しそうな、見る人を幸せにする笑顔だった。クーラエは、そんなウィンクルムを瞬きも忘れて見つめている。
「仲がいいんだね、二人って。なんだかいいなぁ、そういうの」
「はぁ?」
「俺たちのどこが仲良しなのだ、ウィンクルム? お前、やっぱり少しおかしいぞ」
「おかしくないし。あーあ、それより、お腹すいちゃった。ご飯あるの? 食べていい、ね、アルコン?」
「ああ。もう一人分くらいはある。お前には、いろいろと聞きたい事もあるからな。おいリルガレオ、クーラエを下まで頼む。さっきみたいに首を掴むなよ。お姫様抱っこしてくるのだ。筋肉馬鹿の獣人がするお姫様抱っこが、どれほど恥ずかしい感じになるのか見てみたいからな」
「やめろよそういう嫌がらせ! 普通に背負えばいいだろが!」
「あ、リルガレオ様。すいませんごめんなさい」
四人はぎゃあぎゃあと言い合いながら、階下の食堂へと降りてゆく。いつもは寂しげな廊下の軋む音までが、今日はなんだか歌っているようにさえ聞こえた。
――そして。
「真か? アルコンの加護が復活したと?」
夜空の星々を映す、鏡のような湖面に立つ人影は、自らの周りに漂う光の粒に、そう問い返していた。
雲間から差す月光が、彼女を照らした。
彼女の名は、アーカス。光の加護を持つ、六英雄の一人。
星屑の光弓手、アーカスだった。
~ 第二章へ続く ~
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