第8話 復活の赤手甲

「仕方がねぇ。ベスティアがどんなやつだったのか、どれほど強かったのか、それをどうやって倒したのか。真実を知ってんのは六英雄だけだからな。アルコンのやつが死んだら、他のやつのとこ行って、今度こそ吐かせてやるぜ」


 リルガレオはもう次の手を考えている。今の状況のアルコンに、生きる目は無い、と確信したのだ。


 魔獣王ベスティア。全ての魔獣を意のままに操り、全世界同時侵攻によって急速に版図を拡大した、人類史上最大の侵略者。その姿を直接目にした者は六英雄の他に無く、”彼”の容姿や性格、能力、思想など、全てが謎のままだった。


 ベスティアについては、大征伐戦に参加した各国の首長にすら「倒した」としか六英雄は報告しなかった。当初、魔獣王を倒せば霧散消滅すると考えられていた魔獣たちが消えなかった為にその真偽を疑われた六英雄だったが、その後の魔獣たちの行動に明らかな変化が現れたことから認められ、現在に至っている。


 六英雄がベスティアの居室から戻った直後から、魔獣たちは組織的な軍事行動を取らなくなった、いや、取れなくなったと誰もが感じた。元々、動物並みの知性しか無いと考えられていた魔獣たちが、人間のように陣形を用いたり地形を利用して戦えるのが学者たちには不思議でならなかったのだ。この変化は、六英雄の報告を皆に信じさせるには十分だった。


「あの戦いに、今でも俺様は納得がいってねぇ。いってねぇんだ、アルコンよ」


 リルガレオは城壁をがんと殴りつけた。殴りつけられた城壁の切石は、角砂糖のように砕け散る。遠巻きに見ていた城壁の兵たちは、急に怒り出したリルガレオから、さらに距離を取っている。


 リルガレオ率いる獣人族の兵三千も、大征伐戦に参加している。竜王や妖精王の軍も参戦した。三十万の兵を失うという未曾有の大消耗戦となったあの地獄の中では、彼ら種族王たちですら、生き残るのがやっとという状態だった。


「わけもわからねぇまま死んじまった仲間たちのためにも、よ。俺様は、知らなくっちゃあならねぇ。最高”だった”仲間たちのために。知らなくちゃならねぇんだよ、アルコン……」


 精兵三千を失い、瓦解寸前だった獣人族をまとめあげてきたのは、間違いなくリルガレオだった。稀に生まれる半獣半人の彼らは、人間社会からつまはじきにされるのが宿命だ。そんな獣人たちの受け皿となるべく立ち上がったリルガレオの仲間意識は、人間たちが想像するものよりも遥かに強い。


 だから、リルガレオは。

 あの戦への出兵を、誰よりも悔やんでいる。


「やめてえええええ!」

「グオオオオオオ!」

「むううっ」


 ウィンクルムの、まるで耳元で叫ばれたかのような大声に、オスティウム・ウルマもアルコンも一瞬ひるんだ。魔獣の動きはまたしても鈍り、錆びついた歯車のような音を発している。振り上げられた凶悪な腕は、天を突いたままになった。


「わたしは、逃げない! アルコンだって、死なせない! クーラエだって、みんなだって! みんな、みんな死なせない!」

「無茶なことを」


 アルコンが振り返ると、ウィンクルムは外套の胸口に手を突っ込み、ペンダントを取り出していた。首から提げていたのだろう。銀の鎖で出来たペンダントのトップには、宝石と思われる真っ赤な石がはまっていた。


「アルコン!」

「おっと」


 ウィンクルムはその石を鎖から引きちぎると、アルコンへと投げ渡した。


「これは……」

「それはママから預かって来た物だよ! アルコンにって! 渡せば分かるからって! わたしは何だか知らないけど、危なくなったら使うんだよって!」

「フロウスから? 渡せば分かる、とは? うっ」


 瞬間、アルコンは理解した。石に込められていたフロウスからのメッセージが、直接脳内に語りかけて来たからだ。


 懐かしい。そして――

 愛しい。


「……そうか。分かったよ、フロウス。俺は」


 アルコンは震える足を必死で踏ん張り、立ち上がった。


「俺は、戦う!」


 アルコンは動かせる左手で真紅の宝石を握り締め、空高く掲げた。


「力を貸せ、赤手甲! 我が名はアルコン! 赤手甲の主なり!」


 アルコンの手の中で宝石は赤く強く輝いた。光はアルコンの手を突き抜けて、あたりを真っ赤に染め上げる。


「アルコン。ああ、あれが、アルコン。ママに、聞いてたとおり、だぁ」


 ウィンクルムは眩しさにくらむ目で、それでもアルコンを必死で見た。赤に包まれる黒い法衣。そして、その後に現れる赤い手甲を備えたアルコンの姿が見たかった。


「よう。15年ぶりだな、赤手甲。また、お前の世話になる」


 力場によって発生する風により波打つ漆黒の法衣。その腕には、聖人らしからぬ真紅の手甲が淡い光を放っていた。鋼鉄にしては煌きに過ぎる手甲は、精巧な飾り細工が縁取る芸術品のようだった。肘から手の先まで完全に、寸分違わず覆う手甲は、アルコンを知り尽くしているかのようだ。


 魔獣に砕かれていた腕は、一瞬で元通りになっている。


「なにぃ! 赤手甲! ありゃあ、赤手甲じゃねぇかよ!」


 興奮したリルガレオの叩きつけた両拳で、またしても城壁の一部が崩壊し失われた。リルガレオを包囲していた壁上兵たちは、ますます距離を広げた。


「やった……。ママ、わたし、ちゃんと出来たよ……」


 ウィンクルムが涙と笑顔を存分に零している。


「グルオオオオオ!」


 自由を取り戻した魔獣オスティウム・ウルマが地を揺らし咆哮を上げて、アルコンに襲いかかった。


「おお。そうだ。お前をなんとかしないとな」

「グオオオオ!?」


 アルコンはオスティウム・ウルマの振り下ろされた拳を、赤手甲のはまる手のひらで受け止めた。それはまるで、卵などの壊れ物を受け取るかのような優しいものだった。あまりの違和感に、オスティウム・ウルマが吠えている。恐れを振り払うかのように。


「なんと! あれが赤手甲……! 怪我も一瞬で治っている! これが、聖魔法士の力か!」


 ドリチアムも馬を止めて見入っている。

 赤手甲は防具だ。身を守るための道具だ。従って、聖魔法使いのアルコンにも使用できる”武器”なのだ。加護はこれを認めていた。


「さて、どうしたものか。俺は殺生が禁じられている為、お前を痛めつけることしか出来ないが……。お前が動けなくなれば、そこの騎士たちがとどめを刺そうとわらわら寄ってくるだろう。よし、ではこうしよう」


 アルコンは魔獣の拳を受け止めているのとは違う、もう一方の残った手を魔獣の胸あたりに突き出した。本当は額を狙いたかったが、魔獣の背が大きすぎる。そして、デコピンの要領で中指を弾いた。


「ウグルオオオアアアーー……!」

「じゃあな。もう、戻って来るんじゃないぞ」


 それはまるで砲弾だった。魔獣はごうという凄まじい風切り音を引き連れて、森の遥か彼方へと吹き飛んでいった。人間が追っ手を差し向けられない、そして魔獣が戻ってこられないほど遠くへ飛ばす。オスティウム・ウルマの外殻があればそれに耐えうる。これがアルコンの出した結論だった。


「戻ってきた……! あの野郎、戻ってきやがった!」


 感極まったリルガレオが、城壁から飛び降りた。


「やったね、アルコン……」


 ウィンクルムは、微笑んだままに意識を手放した。



 ――同じ時、エディティス・ペイの提督居城では。


「がはっ」


 一人の騎士が、突如として吐血していた。


「おやおや。どうしたんだねフィリウスくん? 体が弱いとは聞いていなかったが」

「あらいやだ。いくら文武秀でる美青年でも、病気持ちにうちの大事な娘を嫁がせるわけにはいきませんわ」

「い、いえ。大丈夫です、ウーヌス卿。少々失礼致します」


 提督居城の一室で、ドリチアムの息子であり、ユールの親友でもあるフィリウスは、現在会食中だった。それを中座するなど通常有り得ない無礼ではあったが、吐血してはやむを得ない。


「くっ……、ユールめ。余計な事を。……父上の強情さも、まさかあれほどだったとは」


 ナプキンで口を押さえて廊下へと出たフィリウスは、拳を壁に叩きつけて毒づいた。


「あれが、六英雄……。赤手甲の聖魔法士、アルコンの力、か……」


 フィリウスはぎりりと歯を鳴らした。


 ここに悪意が在る事を、まだ誰も知らない。

 アルコンですら気付くはずの無い忌むべき火種が、静かに燻っていた。


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