第6話 無力の誇り

「そうだなぁ。あのままじゃあ死んじまうなぁ」


 リルガレオはアルコンの見解を聞くと、心配するどころかなにやら含んだいやらしい笑みを見せ始めた。「?」アルコンはリルガレオに訝しげな横目を送った。


「いかん、追い打ちが来るぞ! 逃げろ小娘!」

「はっ! きゃあああああ!」


 ドリチアムはウィンクルムを助けようと急ぎ手を伸ばした。が、遠すぎる。どう考えても間に合わない。ウィンクルムは地面にへばりついたままだ。魔獣の大槌のような拳が、今度は間違いなく直撃する。


「あぶなーいっ!」

「ひゃっ」

「グルオオオオオオ」


 しかし、一つの人影が滑り込むようにウィンクルムを抱きかかえ、魔獣の拳から辛くも逃れさせた。ウィンクルムと折り重なるようにして地を転がった人影は、バネ仕掛けの人形よろしく立ち上がると、ウィンクルムを自分の背に隠して、


「あぶあぶあぶっ。かかかかか、かすった! 頭をかすったあ!」


 恐怖により流れ出る涙で顔をぐちゃぐちゃにしたまま、そう叫んだ。ヒロインを間一髪で救ったヒーローにしては、なんとも締まらない台詞だ。それもそのはず、彼はヒーローになり得ない。成り得るだけの力が無い。彼は、生まれてこの方まともにケンカすらしたこともなく、人との争いを毛嫌いしている救主教の修道士、クーラエだったのだから。


「お? あいつ、なかなか根性あるじゃねぇか」


 リルガレオが楽しげに目を細めた。無茶をするやつが大の好物なのだ。


「ク、クーラエ? 馬鹿な。あいつ、ユールを連れて来ただけでは飽き足らず、あんな命知らずな真似までしてくれるとは」


 アルコンが頭を抱えた。クーラエはアルコンの生活になくてはならない重要なピースだ。食事、洗濯、ベッドメイクから信者への説教まで、面倒なことは全てクーラエに押し付けて生きているのがアルコンだ。クーラエがいなくなれば、アルコンは心の底から生きていくのが嫌になる自信があった。


「いたた。でも、あなたのおかげで痛いで済んだよ。ありがとう」

「いーえ、どういたしまして。これが僕の務めですから……っ!」


 クーラエは振り返った。フードが外れたウィンクルムの、花畑が満開になったかのような笑顔を見たクーラエは、まばたきも呼吸も忘れている。ひと目見た瞬間、雷に打たれたかのような衝撃を受けて恋に落ちる人がいる、というのは良く聞く話だが、クーラエは今、まさしくそれを体験している。クーラエの時間は止まっていた。だが、それはクーラエだけでは無かった。


「あっ……!」


 アルコンもまた、目を見開いてウィンクルムを凝視していた。だが、アルコンの場合は恋に落ちたというわけではない。


「おっ? やっぱ、見れば分かるもんなのかね?」


 リルガレオがいたずらっぽく舌を出す。


「貴様、リルガレオ!」

「まぁまぁ、そう怒るなよ。教えなくても顔さえ見せりゃあすぐ分かんだろって思ってな。よぉく似てんよなぁ、沈黙の魔導師なんて呼ばれてたフロウスに。懐かしいだろうがよ、ええ、アルコン? ま、フードで顔が見えなくなってたのは予想外だったが、それは俺のせいじゃねぇ。ちなみにあの子、お前を捜してここまで来てんだぜ」

「何? 俺を? なぜ?」

「さぁな。そこまでは、俺も聞いてねぇから知らねぇが。それより、どうするよアルコン? あの子、あのまま見殺しにすんのか?」

「リルガレオォッ……!」


 ぎり、とアルコンの歯が鳴った。アルコンの怒りに燃える瞳と立ち昇る戦士のオーラは、それだけで並みの敵ならば圧殺してしまうだろう。が、リルガレオはそれを真正面から受け止めて、平然とうすら笑いまで浮かべていた。


「なぁに、簡単な話じゃねぇか。お前が行って、ちゃちゃっとあの魔獣を殺して来りゃあいいんだからよ。見てぇなぁ、お前の”赤手甲”を。久しぶりによぉ」

「それが出来るならっ……!」


 言いかけて、アルコンは唇を噛み締めた。苦しげに歪んだ顔は、今にも泣き出しそうになっている子どものようだ。そんなアルコンをひとしきり眺めたリルガレオは「はぁ」と大きく嘆息した。


「そうか。お前がもう加護の力を使えないってのは、どうやら本当のことらしいな。あの小娘が殺されそうになりゃあ、さすがに使うだろうと踏んでたんだがな」

「……ここに来た時、そう説明しただろう。魔獣王討伐の莫大な報奨金も遊びで使い果たし、力も失った俺は、もう生きる手立てが無くなった。今や空き教会に転がり込んで、お恵みに頼るだけの男なのだ、俺は。だから」


 アルコンはリルガレオの凶暴な瞳を見つめた。そして、深々と頭を下げた。


「だから、助けてくれ。大事な友との約束を守る為、あの娘を死なせるわけにはいかない。お願いだリルガレオ」


 あっさりと。あまりにもあっさりと頭を下げたアルコンに、リルガレオは口を半開きにしたまま固まった。


「……信じられねぇ。これがあのアルコンかよ。この俺様すらも軽々とのしてくれやがった、あの”赤手甲のアルコン”なのかよ!」


 沸々と湧き上がった怒りを抑えきれず、リルガレオはアルコンの胸ぐらを掴んで高々と吊るし上げた。


「ああ、これが今の俺だ。あんな小物ですらどうすることも出来ないのが今の俺だ。それでもな、リルガレオ。こんな俺でも、頭を下げることくらいは出来るのだ。ベスティアとの戦いで、俺は俺がいかに無力、どころか世界の害悪であるかを思い知らされた。そして、今はただの無力でいられることを嬉しくも誇らしくも思えている。世界にとってマイナスだった俺という存在は、無害なゼロとなれている。フロウスが、……フロウスが、俺の加護を封印してくれたおかげで、な」

「フロウスが? ち。それじゃあ、ちっとやそっとじゃ破れねぇな。しかし、なんてふてぶてしい目ぇしてやがる。それが人、おっと、獣人の、しかも王たる俺様にものを頼む態度かよ」


 リルガレオは唾を吐き捨てた。アルコンの、昔のままの強い光を宿した目が、現状の無力さとどうにも噛み合わなくて苛立ったのだ。


「いいだろう。そんじゃあ、あの小娘を助ける対価を寄こせ。お前が加護を封印されなくちゃならなかった理由も含め、魔獣王征伐戦の真実を、全て、偽りなく俺様に聞かせやがれ。そしたらお前の願いを叶えてやるぜ」

「それは出来ない」

「なにぃ?」

「ぐっ」


 即答で断ったアルコンの首を、リルガレオはさらに締め上げた。その間にも、魔獣はウィンクルムの命を絶たんと暴れている。


「危ない!」

「あっ!」


 クーラエがウィンクルムの前に立ち、自分の身長ほどもある魔獣の腕を受け止めた。いや、受け流そうとしたのだが、


「うわあああああ!」


 魔獣と少年クーラエでは、あまりにも体格差がありすぎる。それに、魔獣の甲殻に覆われた腕は、体と同じく細かい突起がある為に、素手で触れたものではなかった。普通の人間の大人くらいの拳擊であれば受け流せただろうが、強大なパワーの前にクーラエの技は屈服するしかない。


「き、きみ! 腕、腕が!」


 ぐにゃりと不自然に折れ曲がったクーラエの腕に、ウィンクルムは血の気が引くのを感じていた。修道服も一瞬でズタズタにされている。かなりの肉が削り取られたようだが、真っ赤に染まっている為、良く分からないような有様だ。


「あぐ、う。はは、いや、こんなの平気です。だから、きみは早く、早く逃げ、て」


 なんという根性か。激痛に遠くなる意識を必死で保ちつつ、さらにクーラエは引きつった笑顔まで作ってみせた。しかし、もうクーラエに立っている余力は残されていない。地に崩れ落ちたクーラエに出来ることは、ウィンクルムが逃げる時間を稼ぐ為、魔獣の注意を少しでも長く引き付けることだけだった。


「ダメだよ! きみを残してなんて! それにわたしは!」

「いいから! 僕はこれでも教義の士だ! 誰かを守る為に死ねるならそれでいい! それで、いい、んだ……」

「そんなっ……」


 見も知らない自分の為に命すら投げ出すクーラエの覚悟に、ウィンクルムは絶句した。自分のせいだ。何も出来ないくせに、こんなところに出しゃばるから。胸を締め付ける痛みに、ウィンクルムは知らず涙を零していた。


「クーラエ! いかん、あのままでは!」


 リルガレオに首を掴まれたアルコンも、本当であれば大声など出せないところだ。


「ほー。あのガキ、ホントにいい根性してんなぁ。あのまま死なせるにゃあ、惜しいやつだぜまったくよぉ」


 こんなに慌てているアルコンを、リルガレオは初めて見る。ウィンクルムはもちろん大事だろうと思っていたが、まさかあの修道士にまでこれほどの執着を見せるとは。リルガレオは、予想通りな事態と予想外な事態を楽しんでいた。命ぎりぎりの戦いの中にだけ見ることの出来る、人の美しい姿が、リルガレオの大好物だ。逆に醜い姿を見てしまう事の方が遥かに多いのだが。


「お、騎士連中もどうやら覚悟を決めたらしいな。クーラエとかいうガキの周りに集まってきやがった。が、そう長くはもたんだろ。さぁ、どうするアルコンよ? これでも、まだ話せないとほざくのか?」

「話せない。だが、助けてくれリルガレオ。話す代わりに俺の命でもくれてやりたいところだが、それも事情があって絶対に出来ないのだ。俺の腕の一本や二本、なんなら足まで持っていってくれていい。だから!」

「くだらねぇ。そんなもんいらねぇよ」


 どうあってもアルコンに口を割らせることは出来ないと判断したリルガレオはぱっと手を離した。ここは頼りなげな樹上である。アルコンは首を押さえて咳しながらも、なんとか小枝に着地した。


「そんじゃ、みんな仲良く死ぬんだな。そもそも、俺の仕事はこの都市を守ることじゃねぇ。お前を、六英雄のアルコンを見張ることなんだからな。他の六英雄を見張ってるやつらと同じに、よ」


 リルガレオら、獣人族の使命。それは魔獣王大征伐戦後の、六英雄を監視することだった。この戦いで六英雄の力をまざまざと見せつけられた列強諸国は、彼らが他の国に利用されることを激しく恐れたのだ。リルガレオにとってそんなことは些事だったが、元々六英雄に強い興味を持っていた彼は、各国連名でされたこの依頼を即決で引き受けていた。





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