第4話 アルコンのコンソメスープ
アルコンは正しい。クーラエはそう思った。同時に、冷たいとも思う。
ユールはもうぼろぼろだ。ここまで辿り着くのもやっとだったことだろう。ユールの願いは身勝手で、人を危険に巻き込むようなことではあるが、断るにしてももう少し言い方があるのではないか。
「……分かりました。アルコン様のおっしゃるとおり、です。私は、覚悟が足りなかった……。急ぎ戻って皆と運命をともに致します。この度は不躾なお願いを致し、誠に申し訳ございませんでした、アルコン様。では」
ユールはふらふらと教会の出口へと向かっていく。片足を引きずり、痛むのであろう腕を押さえて歩いて行った。
「ユ、ユールさん。良ければ、僕の肩をお使いください。それではきっと間に合いません」
いたたまれなくなったクーラエが、ユールの腕を肩に回した。クーラエに戦うことは出来ない。せめて、杖になってあげたいと思ったのだ。
「すまない、クーラエ。この礼は、後日必ず……、という約束は出来そうにない、か。ふ、無力とは、悲しいものだな」
「ユールさん……」
クーラエにはユールにかけるべき言葉が思いつかなかった。クーラエも、自分の無力を噛み締めているところだ。こんな時、どう声をかけて欲しいのか? 何も思いつかないということは、何も言わないのが良いのだろう。
「いいのです。僕は修道士として、ただなすべきことをしているだけです」
「クーラエ……。ふ。きみは、いい司教になるだろう」
クーラエとユールは微笑み合った。それは絵描きならば美しい絵画にしたくなるような場面だったに違いない。だが。
「あ。おい、クーラエ。ユールを送ったら、すぐに帰って来るのだぞ。そろそろコンソメスープを煮込むからな。ほら、アク取りはつきっきりでやらないといけないだろう? 俺はずっとスープ番などしたくはないのだ。それよりもっと嫌なのは、アク取りをさぼってまずくなったスープを飲むことなのだが」
それを台無しにしたのは、アルコンの生活臭に溢れた言いつけだった。クーラエが「は?」と振り返ると、にこにこと手を振るアルコンがいる。アルコンに動く気配は一切見て取れない。もしかしたら、内緒で城に向かうつもりでいるのかも、と期待していたクーラエは、一気に頭に血が上った。
「知りませんよ、そんなもの! まずかろうが冷めてようが食べられるだけ幸せでしょう! もうそんな心配出来なくなるかもしれない人だっているんです!」
クーラエは怒りに任せてばんと乱暴に教会の扉を閉じた。それに耐え切れなかった扉は、蝶番が外れて傾いた。扉にはまるステンドグラスは一枚落ちて割れている。アルコンはあんなに怒ったクーラエを見たのは初めてだ。
「ふふ、クーラエめ。思ったよりも見込みがあるな。俺に怒鳴りつけるとは」
そんなクーラエに、アルコンは心からの喜びを感じていた。
それからほどなくして、クーラエとユールは西門へと到着した。アルコンたちの住む下町は庶民の街だ。万一、門が破られた際には真っ先に敵の襲撃を受ける位置にある。それだけ外に近い場所に下町は設けられている。
「着きましたよ、ユールさん。まだ門は破られていないようです」
「うむ。ありがとう、クーラエ。さぁ、すぐに戻るんだ。ここは危ない。出来れば都心に避難することだ」
ユールはクーラエの肩をぽんと叩くと、門へと向かう。ここからは、特に異常は感じられない。外で今、門衛隊が戦っているとは思えなかった。
「あ、ユールさん。あの、なぜアルコン様に助けを? もし良ければ、理由を聞かせてもらえませんか?」
弱々しく歩くユールの後ろ姿を黙って見送るつもりだったクーラエだが、やはり気になって仕方がない。堪えきれずに聞いていた。
「それは……」
ユールはぴたと立ち止まった。
「……それは、アルコン様に尋ねてみてくれ。すまない、クーラエ。すでに守秘義務を犯したも同然だが、やはり私の口から言うことは出来ない」
「そうですか……」
クーラエはそれ以上追求することはしなかった。
この西門は、水車の動力で鎖を巻き取り、上下に開閉させる仕組みになっている。人力で上下させられるような門では無いからだ。門は太い柱を横にして縦に積み並べたものであり、扉というには巨大で分厚すぎる代物だ。自然落下で閉門し、多数の敵を圧殺する目的の作りにもなっている。
日中、普段は開放されているこの門が閉じているだけでもかなりの違和感があるのだが、内部の人々にはなにかしらのうまい説明がされているのだろう。特に目立った混乱は見られない。ただ、内側でここから出る予定だった行商人のものと思われる荷馬車が、何台か立ち往生しているくらいだ。エディティス・ペイという城塞都市は広大だ。一番近い北門に迂回するだけで、馬車でも軽く半日はかかってしまう。なにかしらの非常事態があれば、開門まで待つ方が上策だ。
ユールは門外へと続く日中でも薄暗い通用門通路へと消えてゆく。クーラエはその後ろ姿を心配そうに見送っている。そして。
「ふふん。怪我人が戻ってきやがったか。アルコンは連れて来られなかったと見える。非常呼集で西門衛兵隊はもう総動員で魔獣に当たってるが……、さてさて、せいぜい100人ってところで、勝てるのかねぇ?」
高さ20メートルはあろうかという西門城壁上、魔獣へと次々矢を射る兵士たちを、そのさらに上から眺めている男がいた。城壁より5,6メートルは高い木々が内側に等間隔で並んでいる。その一本の天辺に、その男は立っていた。
「あの魔獣、確かオスティウム・ウルマって呼ばれてた、有名なやつだからなぁ。とにかく硬ぇのが特徴だ。普通の剣やら槍やらじゃあ、傷ひとつ付けられねぇ。大砲が使えりゃ、まだなんとかなるんだろうが……。ドリチアムのおっさんの性格からして、絶対に使わねぇだろうなぁ。派手にドンパチやらかしゃあ、すぐに城から本隊が出てくるぜ」
リルガレオだ。木の上から戦況を眺めてはぶつぶつと呟いているのは、獣人王リルガレオだった。
「じれってぇなぁ。俺様なら、あんな雑魚は一撃でのしてやれるんだが」
リルガレオは焦れていた。生来の戦好きであるリルガレオにとって、観戦などストレスが溜まるだけのものだ。それでもただ見ているだけで我慢しているのには、理由があった。
「では、さっさと行ってやっつけてくればいいだろう」
「うおわっ!」
突然声をかけられ、リルガレオは木から足を滑らせた。が、すぐに手近な枝に指を一本引っ掛けると、くるりと回ってまた元の位置へと立ち戻った。
「おお、さすがはリルガレオ。相変わらず大した体捌きだ」
「ちっ。こんぐれぇでくだらねぇこと言ってんじゃねぇよ。おめぇこそ、相変わらず突然なやつだなぁ。ええ? アルコンよ?」
アルコンだ。いつの間に登ったのか、アルコンはリルガレオの横に立っていた。足場の悪いというどころではない木の上だ。しかも、天辺ともなれば人が二人も立てるようなスペースなど無い。では、アルコンはどこに立っているのか。葉だ。ちょこんと伸びた細い細い枝にある、小さな葉っぱにつま先だけで立っていた。
これは魔法によるものではない。アルコンの特殊な体術が可能にしている”技”だった。
「そうだったか? 俺、そんなに唐突に現れる男だったかな?」
「そうだよ。いっつもだ。おめぇは、いつもいやーな時に現れるやつだったよ」
「なるほど。それが俺の相変わらず、か。ということは、今も嫌なタイミングだったかな? しかしリルガレオ。お前は少し変わったんじゃないのかね?」
「ああん?」
「大征伐戦も終わり、今や世界は平和路線へとシフトしようとしている。戦地に飢えているであろうお前が、オスティウム・ウルマなどというなかなかに骨のある魔獣との戦いを人に譲り、眺めているだけとはな」
アルコンは城壁外で戦っている騎士たちとオスティウム・ウルマを見遣った。かの魔獣は巨大で、まるで立ち上がった象が、鉄の鱗に覆われているような容貌をしている。口からは二本の長い牙が伸び、丸太のような鼻や腕や脚、全てが暴虐な凶器だ。一撃喰らった騎士は空高く舞い上がり、落下でトマトのように潰れるか、地を猛速度で転がり、肉団子のようになるかだ。
「んなこと言うなら、おめぇだってそうだろうがよ。あのユールって若い騎士が一人で戻ったってこたぁ、おめぇは助けてくれって願いを断ったってこったろう? 昔のおめぇなら、一も二もなく引き受けてただろうによ。しっかし、結局気になって見に来てんだから、やっぱ変わってねぇのかね? がはははは」
「知らんな。俺はそんなにお人好しじゃあ無い。それよりお前だ、リルガレオ。お前は、この都市国家を護るのが仕事だろう? 騎士団の手に余る魔獣の現れた今が働きどきなのではないか?」
「ああ、まぁなぁ。でもよ、今回は特別だ。ちっと見てみたいやつがいるもんでな。っと、また一人やられた。ドリチアムのおっさんめ、勇猛なのはいいんだが、知恵ってもんがねぇんだよ。あれじゃあ、本当にそのうち全滅するぜ」
「見てみたいやつ? ほう、それは」
と、アルコンが聞きかけた時だった。
「リルガレオ様。指示通り、誘導に成功しました。目標は、まもなく到着いたします」
「おう。ご苦労」
報告は樹の下からだ。フードを目深にかぶった怪しげな男が跪いていた。その報告は小さな小さな声でされたのだが、リルガレオには十分すぎるほどに聞こえている。
「誘導? 誰か呼んだのかリルガレオ?」
「おお? すげぇな、アルコン。今のが聞こえたのかよ。ああ、まぁ、な。そいつについちゃあ、うちの手下どもから海を渡ったとかペルグランデ・クリフを越えたとか逐一報告は受けてたんだが、まさか本当だったとはさすがの俺様もちっとばかり驚いてな。したら、ちょうど手頃な魔獣が現れたからよ。ぶつけたらどうなるか、試したくなったのよ」
「ほう? 獣人のネットワークというやつか。しかし、それくらいの才覚を持つ者など、そう珍しくもないだろう。確かに苦難を伴う道のりではあるが、それを毎度やってのける有名なキャラバンもいくつかあるくらいだからな」
「ぐははは。そうだな、商売に命を懸けてる根性入ったキャラバンなら、それくらいのことは何でもねぇ。でもよ、それを15歳のお嬢ちゃんが、たった一人でやったとしたらどう思う?」
「馬鹿な。そんな子どもがいたとしたら、まず間違いなく……!」
「そういうこった」
アルコンがある考えに行き着いたと認めたリルガレオは、にやりと口角を吊り上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます