第3話 騎士ユールからの依頼
「馬鹿なっ……! あ、あなたは、自分が何を言っているのか、理解しているのですか、アルコン様……!?」
クーラエは目眩を禁じ得なかった。自分の信じて疑わない神を、真っ向から否定されたのだ。普通の人からであればこんなに動揺することはない。否定したのが、自分の長たる大司教、大神官であるからだ。それは、クーラエの立っている大地を、ハンマーでぶっ壊されたようなものだった。
「もちろんさ。お前よりは理解していると思うがね。と、すまないクーラエ。お前には、まだ刺激の強すぎる話だな。まぁ、今のは忘れてくれていい。誰にも分からない話だし」
我に返ったアルコンは、いつもの眠そうな目に戻ると、ばつが悪そうに頭をかいた。
「誰にも分からないって、それはどういう」
クーラエが問いただそうとした時だった。
「大変です、アルコン様! お力を、お力をお貸しください!」
ばんと教会の軋む扉を乱暴に開けて飛び込んで来たのは、甲冑を着込んだ騎士だった。鎧はあちこちへこんでおり、額には流血の跡がある。一戦交えてきたあとなのは、すぐに分かった。
「おう、ユール。どうした、そんな傷だらけになって」
「ユールさん! 大丈夫ですか!」
叫んだなり倒れ込んだユールという若い騎士に、クーラエが慌てて駆け寄った。対して、アルコンはのんびりとしたものだ。全く動じていなかった。
15年前に行われた大征伐戦以降、戦自体が珍しいものとなっている。騎士が血だらけになっている姿を見たことがある者など、クーラエの世代には皆無だった。
「魔獣が! 魔獣が、西部方面植林地に現れました! 現在、門衛隊が食い止めていますが、このままでは城塞都市にまで侵攻されるおそれが!」
仰向けに倒れたまま、ユールは搾り出すように状況を話しだした。クーラエはユールの横に膝をついているが、何をするべきかも分からずに、ただおろおろと両手を彷徨わせている。
「へぇ、それは一大事。それでは、すぐに城の本隊にでも報告しなければ。おい、クーラエ。悪いがひとっ走りして、このことを伝えて来ておくれ」
「えっ? ユールさんは、アルコン様に助けを求めて来たのでは?」
「は? なに言ってるんだ、クーラエ? 俺はしがない神官だぞ。なんで騎士も敵わない魔獣相手に助けになると思うんだ?」
「しがないなんて……。でも、そう言えば確かにしがないですが……」
「おい」
アルコンがしがない神官であることは、クーラエが良く知っていた。しかし、そうではないということも、薄々感じ取っている。クーラエの見てきたアルコンは、戦いなど出来そうにない男だった。なのに、なぜこうもすんなりとユールが助けを求めているのがアルコンだと思ってしまったのだろう。クーラエは、自分で自分が分からなかった。
クーラエは15年前の大征伐戦のことを良く知らない。この年頃の子らにはすでに風化した昔話であるからだ。英雄アルコンの名くらいは聞いたことがあっても、それが目の前のくたびれたおっさんだとは夢にも思っていなかった。
「だ、だめ、です。城の、特に近衛兵団には、絶対に、知らせないでください」
「わっ。そ、そんなに袖を引っ張らないでください、ユールさん」
アルコンたちのやりとりに危機感を覚えたのか、ユールは必死でクーラエにしがみついた。消耗しているとはいえ、ユールも騎士の末席に籍を置く身だ。あまり強く引っ張られると、クーラエの着古した修道着など簡単に破られそうだ。
「特に、近衛兵団には? おい、ユール。西門の衛長は、確かドリチアムだったな」
「アルコン様?」
何かを察したアルコンは、ユールの髪をむんずと掴み、顔を鼻先に近づけた。アルコンは怒っているらしい、とクーラエは思った。本気で怒っているのかどうかは分からない。クーラエは、アルコンが怒っているところなど見たことが無いからだ。そもそも、アルコンがこの教会に転がり込んでからまだ三ヶ月というところだ。二人の付き合いも、せいぜいそれくらいのものだった。
しかし、クーラエはもっと気づくべきだった。アルコンが、すでにこの城塞都市の軍事力を把握しているのかも知れないことに。
「ド、ドリチアム隊長は関係ありません。これは、私が勝手に」
「ほう、独断で俺に助けを求めに来た、と? お前、そんなことをしたらどうなるか、分からないわけでもないんだよな?」
騎士のプライドは高い。助けを求めるくらいであれば、潔く死を選ぶ者も少なくはない。末端の騎士であってもそうなのだから、役付きの騎士の強情さは途轍もないものだった。
「もちろん、分かっています。ですが、敵に恐れをなして助けを求めたのはあくまでも私であって、ドリチアム隊長ではありません。臆病者とそしられ、隊から除名されることなど覚悟の上。それで、それで! 皆の、仲間の命が救えるならば安いもの! 私は、喜んで汚名を被ってやりましょう!」
血に汚れた顔で、ユールは無理矢理微笑んだ。
「え? え? そ、そこまでの覚悟があるのなら、やっぱり城の方へ行った方が」
クーラエはユールの意気に心打たれつつも、納得がいかない。
「だめです! フィリウスの為にも、それだけは!」
「フィリウス? て、確か、ドリチアムさんの息子さんでしたっけ?」
「そうです。フィリウスは今、ウーヌス家との婚礼が成るかどうかの大事な時期。ここで父御であるドリチアム隊長が何か不手際をしたり、ましてや戦死などしようものならっ……。フィリウスは私の親友でもあるのです。だから、私は、私は」
「あー、面倒くさい。分かった分かった。だから、内々に処理出来そうな俺のところに来たんだな」
アルコンががりがりと頭をかきかき話の続きを遮った。
「内々に、処理? 出来るのですか? アルコン様が?」
クーラエが目を輝かせてアルコンを見遣った。この怠惰で適当でいい加減なところしか見せない男が、実は凄いとなったならと想像して、胸を高鳴らせたのだ。
だが。
「知らんな。俺にそんな力は無い。ユールよ、助けたければ自分でやれ。無理であったとしたならば、それはお前の力不足でお前の罪だ。その悔恨を抱えて生きてゆくか、それとも死すのか好きな方を選べばいい」
アルコンは、くあ、と眠そうに欠伸をした。
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