第2話 大司教アルコン

 城塞都市の下町は、土壁が迷宮のように連なり、混沌とした空気を醸し出している。人が往来するはずの通路に渡されたロープには、無数の洗濯物が平気で干されているし、風が吹けば道端のゴミが渦を巻いて舞い上がる。何を売っているのか良く分からない看板を掲げた店らしきものが散見され、下品に着飾った女たちは男を見ればしなだれかかり、部屋へ引きずり込もうとしていた。常にどこかから怒号や悲鳴が聞こえて来るが、ここではそんなことを気にする者などいなかった。


 主に庶民たちが住まうそんな下町の一角に、古ぼけた木造りの教会がある。それがアルコンとクーラエの住まいであり職場である。こんな場所だからか、教会はそこそこ繁盛していた。今日も今日とてやって来る、努力は嫌いだが神頼みは大好きという愚か者たちのおかげだ。


 そして、そんな彼らから、寄付という名目の、わずかばかりの金品をありがたく頂戴するアルコンは、見ていて気持ちのいいものではない。少なくとも、クーラエにとってはそうだった。クーラエはまだ16歳の修道士だ。クーラエよりも上階位にあるアルコンは、一応上司ということになる。


 一応とはなぜなのかについては、アルコンがここに来た経緯にまつわる話になる。これはクーラエもまだ知らない話であり、アルコンはなし崩し的にここの司教に収まっている。実のところ、アルコンが本当に司教であるのかどうか、クーラエはいまだに半信半疑でいるのだった。しかし、疑わしくはあるものの、嘘であるという証拠も無い。そう考えた真面目なクーラエは、アルコンの身の回りの世話を、修道士として一手に引き受けていた。


「本当かい? なぁ、本当に俺があの子に好かれているって思うかい、司祭さま」

「ああ、思う思う。今度告白してみるのだ。なに、絶対にうまくいく。この俺が保証しよう。なにしろ、大司教様のお墨付きなのだ。男なら、がーんと潔くぶつかろう」


 教会に並ぶ長椅子に二人のおっさんが仲良く腰掛けそんなやりとりをしているのを、クーラエは冷ややかな瞳で見つめていた。とうに結婚適齢期を過ぎたであろうみすぼらしい身なりのおじさんが、教会の司教に恋愛相談をしにきているのだ。アルコンは傍から聞いているとあまりにも適当過ぎる励ましの言葉をかけながら、ばんばんとおじさんの背中を叩いている。そして、アルコンが自らを「司教」と言ったり「大司教」と言ったりすることが、クーラエの細い神経にはいちいち引っかかっていた。


 クーラエは、自分がもし女性で、このおじさんに言い寄られたとしたら、と空想して身震いした。そして、ちらりとアルコンを見遣った。


 アルコンは、確か今年で36歳になるはずだ。年相応に目尻の皺は少々目立ち始めたものの、いい意味で印象に残るはっきりとした目鼻立ちは、結構人を惹き付けるものがある。見ていて飽きない。クーラエはさっきの空想をアルコンに置き換えると、「ある。あるな」と呟いて腕を組み、うんうんと頷いた。


「相手が何歳かにもよるけれど……。若い子には、きっとこの良さが分からないだろうなぁ。うん、このよれよれの法衣を新調して、ヒゲも剃って、あとは髪も整えれば……」


 クーラエの脳内で、アルコンがみるみる立派な大司教になっていく。そんな脳内着せ替え遊びにのめり込み過ぎたのか、クーラエはそれを口に出してしまっていた。


「なにをぶつぶつ言っている、クーラエ? ほら、お客人のお帰りだ。仕事しろ、仕事」

「はっ。あ、は、はい、アルコン様。ただいま、すぐに」


 クーラエはずっと抱えていた木箱を、みすぼらしいおじさんの前に差し出した。


「加護は果たされました。汝に祝福のあらんことを」

「おお、ありがとうごぜぇました。これ少ないけど」


 すました顔で捧げられた木箱に、おじさんの落とした銅貨の寂しい音色が響いた。一回だけの、木と金属がぶつかる音だ。中身はほぼ空だった。この箱がじゃらじゃらと景気よく鳴っていることなど、クーラエの知る限り一度も無い。


「毎度ありー。また来てくれー」

「アルコン様! そういう商人のような言葉は謹んでください!」


 見送りにおじさんへと投げかけられたアルコンの言葉を、クーラエがすかさず注意した。


「おいおい、クーラエ。お前、感謝という言葉を知らないのか? どんな言い方だろうが、謝意を表すというのは、人としてとても大切なことなのだよ」


 アルコンはクーラエの頭をくしゃりと撫でると、ふんと得意気に鼻を鳴らした。いい事を言ったと思っているのが顔に出ている。


「それは全くご尤も。ご教示ありがとうございます、アルコン様。僕もその通りだとは思います。が、それならば僕からも一つお伺いいたしますが、アルコン様は言葉を選ぶということを知っていらっしゃいますか? 感謝の言葉もいくつかあり、見合ったものを選ぶべきだと考えます。当然、大司教には大司教に相応しい言葉がありますので、わざわざその品位を貶める言葉選びをする必要は無いのでは?」


 が、クーラエはその手をぴしゃりと叩いて払いのけると、じとりとした視線をアルコンに向けた。


「ひんい?」

「知りませんか、品位?」


 アルコンが薄笑いを浮かべて聞いてきたので、クーラエは幾分むっとして聞き返した。


「お前、俺をどんだけ馬鹿だと思っているのだ。品位の意味くらいは分かる」

「では何が分からないのですか?」


 クーラエは深い息を吐き出した。


「大司教だから偉そうに話せってのが分からんな。俺はな、クーラエ。人を見下すヤツが大嫌いなのだよ」

「えっ……」


 アルコンのその一言に、クーラエが沈黙した。クーラエは賢い。一瞬で、アルコンが何を言わんとしているのか理解していた。


 品位などと綺麗な言い方をしているが、これは結局人を順位付けし、上から目線で話すことに他ならない。大司教だからありがたがって言葉を受け取れと、クーラエは人にそう受け取らせようとしていたのだ。その為に言葉を選べと、アルコンに説教していたのだ。


 当たり前だ。人は皆、生まれながらに平等ではない。王と奴隷が存在しているのは厳然たる事実であり、それが当たり前なのだ。王に無礼は働けないし、奴隷と友達のように話すことも難しい。どうしてもそれは言葉に態度に出てしまう。だが、アルコンはどちらにも同じように接したいと、そう言っているのだ。


「あ……」


 そこでクーラエは思い当たった。そう言えば、アルコンは老若男女、騎士に商人に町人に、病人怪我人狂人に至るまで、全ての人と同じように、無礼とも思える態度で接していた。が、不思議とそれを不快と取る人はいなかった。なぜ誰も怒らないのか? その理由は、クーラエにはまだ分からない。


 確かに、人が皆同じように、自分も相手も同等だとして付き合うことが出来たなら、それは素晴らしいことに違いない。だが、それは理想だ。現実的では無いと否定したかったが、人々に理想を説くのが自分の仕事であり使命だと信じているクーラエに、それは出来なかった。


「で、ではアルコン様。例え相手が神であっても、あなたは同じように接することが出来るのですか? 神すら偉そうだと、そう言うのですか?」


 苦し紛れに、クーラエはそう切り返した。救主教の聖典など、上から目線のお言葉のパレードだ。絶対的上位として人々を導くありがたいお言葉が溢れんばかりに羅列されている。さすがにこれは答えに窮するだろうとクーラエは予想した。しかし、大司教としてあり得ないアルコンの返答は、クーラエをさらに混乱させることとなった。


「ん? ああ、あれはいいのだ。なぜなら、神などいないのだから」


 そう言い放ったアルコンの瞳には、憎悪の炎が揺れていた。


 

 

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