第一章 おじさんは美少女が苦手である
第1話 旅人ウィンクルムと獣人王リルガレオ
ここで時はひと月ほど前に遡る。
ウィンクルムは、城塞都市エディティス・ペイの門前で感慨に浸っていた。空は快晴、初夏の爽やかな風が吹き抜ける。それはまるで、ウィンクルムを祝福しているようだった。緻密に組まれた石造りのアーチと巨大な門扉は、出入りする無数の人々を睥睨しているかのようだ。ウィンクルムは人波の中、目を輝かせて立ち止まり、その門を見上げているのだった。
全身を包む外套のフードを顔が分からないくらいにしっかりとかぶり、大きなリュックを背負うその姿を見て、これが少女であると思う人はまずいまい。なにしろその服には女性らしいラインなど微塵も表れず、色気も可愛気も皆無なのだから。
とまれ、思えば長い旅だった。海を渡り、谷を縫い、大断崖絶壁ペルグランデ・クリフを越える時に至っては、挑発した野生の飛竜の首に縄を掛け、空を飛ぶという荒業までウィンクルムはやってのけた。
旅、特に他国に渡る、それも海を隔てた先にある国に行くなど、屈強な冒険者にとっても命懸けのことであり、よほどの理由がなければまずやらないことだった。実行するのはロマンに取り憑かれた探検家か、一攫千金を夢見るトレジャーハンターか、もしくはいよいよどこにも逃げるところがなくなった犯罪者か、しかない。それ以外なら狂人と断じて差し支えないくらい、旅というのは危険なことだった。
それを、わずか15歳の少女であるウィンクルムがやったのだ。もちろん、普通の少女では不可能だ。ウィンクルムには、人並み外れた”力”があった。それは、血筋に依るところの大きい、まだ磨かれていない原石のような”力”だが、ウィンクルムはまだ知らない。
「ここがエディティス・ペイかー。一年かかっちゃったけど、本当にいるのかな、アルコンって人。いなければいないで、また次のとこ捜すからいいけどさ。あ、門番さんがいる。あの人に訊いてみよ」
使い込まれて色あせた外套のフードを払いのけ、大きなリュックを背負いなおすと、ウィンクルムは朝日のように柔らかな笑顔で門番の騎士の元へと駆け寄った。
「すいませーん。あのー……!」
門番に呼びかけて、ウィンクルムは絶句した。
「ああん?」
不機嫌そうにウィンクルムの呼びかけに応じた門番は、なにしろ大きかったからだ。2メートル以上はゆうにある大男に、少し離れたところから、駆け寄りながらの声かけだ。遠近感を狂わされたウィンクルムは、近くに来てから驚きで声を失ってしまっていた。
ただ、この男、門番にしては槍や剣はおろか、甲冑すら着込んでいない。鍛え上げられた上半身は裸である。鎧など無用と言わんばかりの鋼のような筋肉だ。そして、短く切り揃えられた髪は銀色だった。しかし、国の顔となる大手門の守衛騎士が、こんなに自由な姿であることなど普通は無い。おかしいなと感じながらも、ウィンクルムは「でっかー!」と素直に驚きを口にしていた。
「あ? まぁな。でかいってのは間違いねぇ。で、なんだよてめぇ? 俺様に何か用でもあったのか? まさか、それ言いたかっただけじゃねぇだろな?」
大男は特に気を悪くするでもなく、にやりと笑ってそう言った。ずいぶんと横柄な口の悪い男ではあるが、無闇に怒り狂うことはなさそうだ。太い腕や脚、体はもとより顔に至っても口はでかいし目もでかい。全てががっちりとした造りになっている大男は、見る者にこれで戦士をやらずに何をすると思わせずにはいられない。
「あ、ごめんね。うん、そうじゃなくって。あのね、ここに、この国に、アルコンって人がいないかなって。わたし、その人を捜してて」
ウィンクルムも大男に対してそう思っていたが、首をぷるぷると左右に振ると、取り急ぎそう伝えた。男のインパクトが強すぎて、出端を挫かれた格好になったのだ。
「アルコン? 知らねぇな、そんなやつ。まぁ、捜してんなら勝手に入って勝手に捜しな。なにしろ、ここは交易都市エディティス・ペイなんだぜ。金銀財宝に塩に毛皮に調味料。人だってここじゃあ全部財産だ。おめぇは女のようだから、人攫いにだけは気ィつけな」
「え? う、うん」
とん、と意外な程に優しく大男に背中を押され、ウィンクルムはエディティス・ペイの門をくぐっていた。
「ありがとう、でっかいおじさん。一通り捜して回ったらまた来るね」
「誰がおじさんだこのクソガキ。来たってもう相手なんかしてやらんぞ。さっさと行け、さっさと。しっしっ」
笑顔で手を振りながら走り去るウィンクルムに対し、大男の手は犬や猫でも追い払うようなものだった。
ウィンクルムが人ごみの中へ埋没すると、それを見送っていた大男の目が鋭く光った。
「追え」
「はっ」
大男の虚空に向けて命令する声は、ひどく冷たいものだった。
すぐさま、門の影から小柄な男たちが風のように走り出した。男たち? いや、昼日中でも闇をまとっているかのような男たちの、大きく裂けた口からは、鋭い牙がのぞいていた。人の体に獣の頭部。獣人と呼ばれる者たちだ。
「まさか、本当に来るとはな。さて、アルコンめ。あのお嬢ちゃん、どう相手しやがるかな」
大男はにやにやと呟きながら、ゲートの裏手にある門番の控えの間へと入っていく。
「うがっ」
が、入ろうとして額を入口の梁にぶつけた。今急に大きくなったわけでもないのに、この大男はいまだにこういうドジをする。大男は額をさすりつつ中の”門番”へと声をかけた。
「おーい、もういいぜ。ありがとよ……、って、おいおいなんだよ、まぁだ寝てやがんのかよ? 軽く小突いただけだってのに、全くここの騎士どもはひ弱だぜ。ま、門番だから、正騎士ってわけじゃあねぇが」
窮屈に体を折り曲げ、控えの間に転がる門番たちを眺めながら、その大男はがりがりと頭をかいた。門番たちは気絶している。やったのはもちろんこの大男だ。「ちっと門番やらせてくれ」という頼みを一蹴されたので、一撃入れて黙らせたのだ。
一応最初は頼んでみるが、聞き入れられなければ拳で無理矢理押し通す。これがこの大男の筋と言うべきもので、理念に近い生き様だ。「弱いやつが悪いのさ」。どんな横暴も、結論は全てここに行き着く。
この大男、名をリルガレオという。
この大陸の誰もが知る、獣人の王だった。
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