【3分小説】モスキートナイト

@anjero

熱帯夜戦役

「熱い……」


 寝苦しい熱帯夜。じめ―っとした空気が肌にまとわりついてくる。体の向きを変え熱を逃がすも、到底眠れそうにもなく、逆に目が冴えてきてしまう。何でこんなに暑いんだ。


「羊が一匹……羊が二匹……」


 羊を数えても眠気が訪れることはなかった。柵を飛び越えた羊が数千匹になったところでカウントを打ち切り、寝返りをうった。


「……何で眠れないの……」


 明日は大事なテストがあるのだ。いつものような山を張った勉強ではなく、2週間前からきっちり対策して、もはや何も勉強するところがないぐらいの勉強をした。


 それを睡眠不足でテストが上手くいかなかったじゃお話にならない。母とのお小遣いアップ契約のために頑張った努力が水の泡だ。何としても、寝てやるんだから。


 しかし、眠ろうとするほど、意識がはっきりしてくる。


「……せめて、クーラーが壊れてなければな……」


 そんな時、耳の近くで不快な音がした。


 蚊だった。

 蚊が私の枕元に接近してきたのだ。


 うるさいなぁと音のする方を手で叩く。が、そいつはめげることなく私に挑戦してくる。


「しつこいな……」


 そうして、来るたびに何度も暗闇をはたき続けていく。が、やがて面倒になり、少し暑いが布団で全身を覆い防御することにした。


「プーン……」


 それでも、奴は布団の中へ侵入を果たし、私の首筋めがけて情熱的なキスを試みてくる。イタリア人も裸足で逃げ出すほどの強引さだ。


「本当にしつこいな……」


 私は体をよじったり、布団を被りなおしたりする。


 それでも、嫌がらせなのか、わざわざ耳の付近にまで飛んできて自慢の羽を震わせてくる。口説いているつもりなんだろうか。せめて、明かりがついている時にしてもらいたいものだ。


「もう……」


 私は奴が襲い掛かってくるたびに、体を動かしたり、手で払ったり、布団をかぶり直したり……可能な限り手を尽くしたが、諦めてくれる兆しは全くない。

 むしろ、仲間を呼んだのか、羽音でセッションでもするかのように、執拗に蚊は私にまとわりついてくる。


「……ああ、もうっ!」


 早く寝なきゃという焦りと蚊の鬱陶しさでイライラが爆発した。私は跳ね起き、電気をつけた。


「おら、出てこいやー!」


 血眼になって、虚空を睨む。あの小さなキス魔が飛翔していないか。一寸の隙も見逃がさないよう目を光らせる。


 奴がいた。ベットの近くで呑気にふわふわしていた。


 私に見つかったばかりにその生涯を終えるなんて、気の毒な奴だ。だが、我が安眠のために必要な犠牲だ。せめて、天国でもっと可愛い女の子の血をたらふく吸うといい。


 私は足を忍ばせながら、奴に接近し、勢いよく叩いた。軽快な良い音がした。


「やったか」


 これで眠れる。そう思い手のひらを見る。が、そこに平たくなった奴の姿はない。一体どこへ。


 目だけを動かし宙を睨む。見つけた。


 奴はここからそう離れていないところを悠遊と浮いていた。余裕という感じがむかつくな。


 今度は逃がさないように、慎重に手を近づけ、そっと奴を挟みこんだ。


「次こそは……」


 そう思い手を開くが、奴は挑発するかのように私の顔前を通って、手から飛びたった。そっと挟み込んだ後のプレスが甘かったせいだろう。なんと忌々しい奴だ。


「……」


 私は頭に血が上りそうになるのを堪え、小型吸血鬼の姿を探した。


「……見つけたぞ……!」


 白い壁に張り付いていた。保護色を知らないのか、私を挑発しているのか知らないが、人間様の睡眠を邪魔したことを後悔させてやらねばなるまい。


「アーメン!」


 そう唱え、白い壁に手の平を叩きつけた。これはもう即死だろう。


 そんな予想は簡単に裏切られ、シミの一つすらない白い壁があるのみだった。


 と、耳元であの耳障りな羽音が聞こえてきた。


「んっ!」


 私はその場から離れ、奴の姿を確認しようとする。

 奴の姿はどこにもない。が、近くであのプーンという間抜けな音は耳に入ってくる。


「この……!」


 私はその場でばたばたと動くが、奴も相当の手練れなのか、首や顔、頭、服の中など視覚で確認しにくいところに入り込んできて、やたらと体に触れてくる。とんだセクハラ野郎だ。


「野郎……!」


 私はその場でダンスを踊るかのように、奴が良そうなところに向かって、とにかく手を叩きまくった。壁に張り付いていればそこを猛打し、宙に浮いていればマシンガンの如く手を打ち鳴らし、徹底的に奴を殲滅しようとした。


 しかし、奴が撃墜されることなく、縦横無尽に旋回し、攻撃をかわしていく。ゼロ戦にでも乗ろうものなら、エースパイロットなれるだろう。残念ながら、ここが貴様のパールハーバーとなるのだがな。


 奴を平たくするための騒ぎに呼応したのか、別の吸血鬼も参加してきた。


「駆逐してやる! 一匹残らず!」


 そうして、熱帯夜のフラメンコを踊りながら、生きるか死ぬかのやり取りをしていた。その時――。


「麻美! 何やってんの真夜中に!」


 目を血走らせた母がドアをぶち開けて、部屋に突撃してきた。


「今何時だと思っているの! うるさくて眠れないじゃない」


「でも、だって、蚊がうっとうしくて眠れないから……」


「うっとおしいのはあんたよ。何時だと思っているの。いいから、とっとと寝なさい!」


「でも、蚊が……」


 眉間に皺を寄せた母に、憤怒の形相で睨みつけられた。


 私は反抗しようとするも、もはや何も聞き入れられまいと、半ば自棄になり布団の中に籠った。


 電気が消え、夜のとばりが下りてくる。静まり返った部屋。


 そんな静謐な空間を汚すように、奴らが暴走族の如く騒ぎ始める。奴らが私を取り囲んだのが分かった。


 奴らを静かにさせてくれるゴルゴ13が現れないかと私は心の底から願ったが、その願いが叶うことはなかった。


 この日、人類は奴らに負けた。

 人の血を吸い、痒みを与える、小型吸血鬼に。


 その夜、私は何度も寝返りをうった。

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