御伽

シメサバ

御伽

 遠い昔の話をしよう。


 空の果てから神様が見下ろし、海の底には神様が宿り、地上にも地の底にも神様がいた。


 人の容と心を持ったその少年は、花を愛で、鳥の声を聞き、季節を巡らせた。


 とある少女は、名のない少年に名をつけた。


 覚える必要はない、しかし覚えておくといい。


 誰も知らない、知ることのない少年のことを。


 神の子として生まれ、人に憧れ人になりたいと願った少年の名前だ。





 昔昔のお話だ。

 とある山奥のそのまた奥の、到底誰も入らぬ場所に、「神依」と呼ばれる場所があった。

 そこは人里からは遠く離れ、山川からも一線を隠し、どうこうしても人の目には触れないような場所に存在した。

 その場所が「神依」と呼ばれる由縁はいくつかあった。間違いなく山の奥深くにあるはずなのに、人間が足を踏み入れることを許さぬ「神域」――そして、そこにその山一帯を仕切る神が在るという理由。

 その神の名は「山神」という。長蛇のように長く闇のように黒い髪と雪のような白い肌、そして黒水晶のような瞳を持つ美しい女神だった。神に性別があるのかどうかはわからない。しかし、その神は誰の目から見ても「女神」であり、山のものも他の人間たちも神のことを「女神」と呼んでいた。

 山神には子供がいた。実の子ではない。この土地と時の流れが生んだ神の子だ。父親も母親も存在しない。しかし女神はその子のことを「我が子」と呼び、また神の子も女神のことを「母上」と呼んだ。

 神の子は女神と比べてもまた特異だった。母である山神に比べ、それこそまるで人間のような風貌をしていた。

 淡い象牙色の肌、烏色の髪は誰が切りそろえるわけもなく顔の輪郭に沿い整えられて、黒い瞳には眩しいばかりの光が溢れていた。

 神の子は小さかった。山神と比べ、手のひらに乗る程度の大きさだった。神の子は母以外の「人型」を知らない。だからこそ、母と自分との体格差を不可思議に思うこともなかったし、奇異を持つこともありえなかった。

 神の子は母の話を聞くことが好きだった。母と、その母の話。母と他の神の話。神と神の話。母と神と外界の話。神の子は母の膝の上、手の平、肩の上に座っては色々な話を聞いていた。母が紡ぐ話というのは、外の世界を知らない神の子にとって太陽のように眩しく面白いものだったからだ。

 神の子は、どの話を聞く時もおとなしく、その烏色の瞳を輝かせていた。そして神の子は、中でも特に、「人間の話」が好きだった。

 神の子は生まれて一度も人間に出会ったことがなかった。生まれてこの方まだ一度も神依から足を踏み出したことがなかったし、外界で暮らす人間たちも、一歩たりとも神依へ近づこうとしなかったからだ。

 神の子は山神から沢山の話を聞いていた。

 人間の話。季節の話。川の話。自然の話。

 人間の暮らす外の世界には一年を巡る四つの季節があり、一年かけて沢山の色が景色を飾る。それが白だったり黒だったり青だったり、言葉では言い表せないような沢山の色が彩るのだという。

 そして、それらの色が巡るたび、人間の世界も変化を迎えるのだという。

 それらの話は大抵の場合とても楽しく素晴らしいものであったのだが、ときどきとてつもなく悲しく恐ろしいものであった。

 人間というものはとても卑しく浅ましいものだという。

 人間はとても非情で冷酷で、生きていくためには手段を選ばない。

 同じように生き生活をしているはずの他の人間を殺し、食材を奪い、血を浴びることも拒まない。

 戦。

 神の子は母の言葉に驚愕し、感嘆し、感動し、そして時に身を震わせた。

 母の言葉はいつでも神の子の心を打ち、興味を引いた。

 神の子は子供だった。

 なにも知らずに何もかもに単純に興味を持つ、ただの子供だったのだ。

 漆黒の瞳に星の輝きを称えた神の子は、母の膝から身を乗り出してこう言った。

「母上様、私は外の世界が見たいのです」

「私も“キセツ”とやらが見たいです」

「人間というものがどのようなモノたちなのか見たいのです」

 母である山神は、それらの言葉に対しその美しい顔を振り、闇色の神を靡かせた。

「それはいけません。なぜならあなたは神の子だから。下界へ出るにはまだ早すぎます」

「いつになったら出てもよいのですか」

「そのうち、時期が来るでしょう」

 神の子は素直だった。丸みを帯びた頬を更にふっくらと膨らませると、諦めたようにしてまた山神に話をねだり始めた。



 神の子には友と呼べる者たちがいた。

 山神は神域一帯を守るものだったがそれ故に一定の場所から動くことがままならなかった。

 神の子はとてもとても活発な子だった。

 神の子は唯一出入りを許された神域に友を作り、その場所を駆けまわり走りまわった。 神の子には異形の友がいた。

 異形の者たちが一体なんなのか神の子は知らなかった。例えばその者たちが、顔面が真っ赤で鼻が山のようにとんがっていたり、全身緑で頭に皿を載せていたり、足がなく背中に羽が生えていようとなんであり、それらが神の子の友であることは間違いがなかったからだ。

 異形の友は外の世界を知っていた。

 友たちは、神の子が生を受けるその前から存在し、世界を見てきたからだ。

 神域から出ることを許されていない神の子と異なり、友たちは自由気ままに神域と外界を行ったり来たりと歩いていた。

「坊ちゃんは外へ出たことがないのかい?」

 鞍馬天狗は異形の者の中でも年長だった。

 神域と外界を渡り歩き、沢山の季節の変化を見届けて、人間たちを観察し、時折人に紛れ生活をする鞍馬天狗は神の子にとって憧れであった。

 ありません、という神の子の答えに、一つ目は腹を抱えて大笑いをし、河童は目を大きく見開いて、鞍馬天狗はため息をついた。

「坊は坊だから外に出ないんだ」

 という一つ目の言葉に、神の子はまた頬を膨らませた。けたけたという笑い声を立てる一つ目の頭を叩いたのは、九つの尾をもった狐だった。

「山神様は、坊のことが大事なんですよ」

 九尾の狐は、元々は外界で生きる一匹の狐だ。長く生きすぎたために神域と外界を渡り歩けるようになった。

 そういって九本あるうちの一本で神の子の頭をぽんぽんと撫で上げる。

「違うよ。坊が子供だから危なくて外に出せないんだよ!」

 一つ目も子供だった。思ったことを直接口に出してしまう一つ目は、いつも神の子とすれ違ってしまっていた。

 神の子は不満を感じていた。

 友たちは皆外の世界へ出ているのに。人間と触れ合い外の世界を知っているのに。なぜ自分だけ、この世界から出れぬのだろう。

 「外界は楽しいんだ。ここにはない、面白いものが沢山あるんだ。坊はオマツリなんて知らないだろう?甘くておいしくてほっぺたが落ちそうになるものがたくさんでるんだぞ」

 あまくておいしいとはなんですか、と神の子は聞いた。

 そんなことも知らないのかよー、と一つ目は笑った。

「私も、外へ出たいです。あまくておいしいものをみたいです。ひとと触れ合い話をしてみたいです。でも、母上様は、私にはまだ早いと言っていました」

 口を尖らせて呟く神の子に、天狗は言った。

「坊ちゃん、外の世界は楽しいけど、とてもとても危ないんですぜ。外の世界には、危険なものが沢山あります。 人間は時として憎しみ合い、傷つけあい、殺しあいます。人間は美しいですが、とても恐ろしい生き物です。だから坊ちゃんがそれを見るには、ほんの少し早すぎると山神さまはご心配をされているんです」

「私もいつか、見ることができるでしょうか」

「できますとも。なぜならあなたは、神の子ですから」

 天狗は笑った。




 その時は突然やってきた。

 初めは小さな振動だった。小さな振動は遠くから近づくように大きくなり、神域ならぬ神依全体を震わせた。地表が罅割れ、壁が剥がれ、どうどうと溶岩が溢れだした。それだけではなかった。美しい山神の顔に罅が入り、両手が乾き、それがぱらぱらと固まり、固まったところから砕け落ちた。美しい髪は色素が抜けて石灰のように白く染まり、水晶のような瞳は輝きを失っていた。

 それは正しく終焉を迎える合図であった。山神は覚悟をしていた。割れたところから砕け散り、人の形を失くしていった。

 神の子は知らなかった。

「母様、母様、ここにいては母様がいなくなってしまいます」

 神の子は訴えた。いずれこの神域はなくなってしまう。異形の友は遠く彼方へ逃げてしまった。私たちも逃げるべきだ。

 だが山神は我が子の言葉を振り切った。

「わたしはこの地の主。この地と共に生まれ、この地と共に過ごしてきました。最期の時を、この地を捨てるわけにはいきません」

 母の言葉に、神の子は言った。

「それならば、わたしも母様と共にこの地で最期を迎えましょう」

 神の子にとって、この地と山神がすべてだった。それがなくなるなんて神の子にとっては信じられない事態だった。

 だがしかし、山神は言った。

「いけません。あなたは神の子。この土地と、わたしの意思と命を継いでいかねばなりません」

「わたしは母様と共にいたいのです」

「わたしはこの地に生まれ、永遠ともいえるような時をこの地で過ごしてきました。ここを動くことはままなりません。我が子よ、あなたはまだ、神の子としてやるべきことが残っています。外界へでなさい。外界にはあなたが待ち望んでいたものがあるでしょう」

「いやです母様、わたしは母様のことを見捨ててなどできません」

「坊や、わたしのかわいい坊や。今、その時がやってきました。あなたと出会えてよかった。あなたがわたしの子でありよかった。素直で優しいかわいい坊や」

 山神は最後の力を振り絞り立ち上がった。白く長い髪の毛がうねり、まるで大蛇のようだった。震える神の子に手を添わすと、神の子の小さな体にすべての力を注ぎこんだ。崩壊してく神域がまるで太陽のように光り輝いた。遠くなる意識と光の中、神の子は力の限り大声で母の名前を強く叫んだ。母は笑っていた。



 

 神の子が目覚めと同時に感じたものは、目を開くこともできないほどの眩しい光と、浮遊感だった。美しい青。それを切り取ったかのようなふわふわとした白。そして体のすべてを包み込む、冷たさ。一面に広がる青から目を逸らして俯くと、そこには限りなく透明に近い青が広がっていて、見たことのない生き物が冷たいそこを浮遊していた。神の子は知らなかった。目の前に広がる美しいものが空という名前のこと。そこに浮かぶふわふわとしたものが雲と呼ばれていること。神域を放り出された自分の体が川という名前のところを浮遊しているということと、川の中を泳いでいる生き物が魚という名で呼ばれていること。

 それが川だと知らぬまま流されていた神の子は、発見をした近隣の村の住人に助けられ、陸の上に引き上げられる。神の子を見つけたのは、小さな子供たちだった。

 神の子を水から引き上げたのは吉蔵と呼ばれる少年だった。吉蔵は子供らの中では一番目上の子供だった。

「大丈夫か?」

 神の子は、自分と同じ形をしたものを見るのは初めてだった。神の子は今まで一つ目や天狗などの異形のものとしか話をしたことがなかったからだ。

「お前、どっからきたんだ?京の都か?」

 神の子を見つけたのは鉄吉という子供だった。鉄吉が発した疑問に、神の子はふるふると頭を振った。神の子は「京の都」が何なのかも知らない、自分が今どこにいるのさえ解らなかった。

「あんたなんで川に流されてたの?お父ちゃんとお母ちゃんは?」

 神の子の服を脱がし乾かしてくれたのはキヨという名の女子だった。キヨの背丈は鉄吉より吉蔵よりも高かった。

「母様はいなくなってしまいました。父様は知りません」

 神の子の答えに、子供たちはまん丸い瞳を更にまん丸く見開いた。

「捨てられたのか」

「盗賊にでも殺されたのか」

 神の子は「よくわからない」とそう答えた。「盗賊」がなんなのかわからなかったし、自分の身の上に起きたことをうまく説明することができなかったのだ。

「ねぇねぇあんた、名前はなんていうの?」

 ウメは小さな子供だった。四人の中では一番小さく、神の子よりは大きかった。ウメは女の人形を抱えていた。神の子は「名前」を知っていた。けれど、自分の名前は知らなかった。それを伝えると、四人の子供たちはひどく不思議な顔をした。今までなんと呼ばれていたのだ、といわれたので、山では坊と呼ばれていましたとそういった。すると四人の子供たちはおかしそうにゲラゲラ笑った。

「お前、もしかしてどこかいい家の子なのかな」

「きっとそうよ。だって、こんなにも綺麗なおべべを着ているんだもの」

 子供たちは、薄いボロキレのようなものを身に纏い、裸足で、体中が泥だらけで傷だらけだった。それに比べ、神の子は母から与えられた綺麗な白い服を着ていたし、藁草履だって履いていた。

「じゃあ私が名前をつけてあげるよ」

 ウメの言葉に、3人の子供たちは笑った。鉄吉など、腹を抱えて転がるほど大笑いした。

「あんたはこの中で一番小さいんだから、わたしたちのいうこと聞かなきゃ駄目なのよ。あんたは小さいんだから、一人で勝手に行動をしちゃ危ないの。わかった?」

 笑い声はどんどんどんどん大きくなった。大きな空に響いて突き抜けて戻ってくるくらいに大きくなった。

 神の子は三人がどうして笑っているのかわからなかった。

「どうしてそんなにも笑っているのですか」

 神の子の問いかけに、鉄吉は「ウメは、自分より小さいやつが現れたから威張りたいんだ」とそう答えた。ウメはむっ、と頬っぺたを膨らませると、べーっと赤い舌を出した。

「なんて名前がいいかしら。ねぇ、あんた。わたしは花のお名前なのよ」

「はな?」

「そうよ。あんた、花も知らないの?春に咲く、赤くてとっても綺麗なお花なの」

 神の子は「はな」を知らなかった。そうして「はる」も「きれい」も知らなかった。素直にそれを口に出すと、「あんた、本当に何にも知らないのね。子供なのね」とまたウメに笑われた。

「今、この季節が春なのよ。ほら、蝶々が飛んでいるでよ?お日様がとっても暖かくて、お花がたくさん咲いているの。これが“お花”よ」

 ウメは足元にあった一輪の黄色い花を摘み取ると、神の子に差し出した。神の子はそれを受け取り、しげしげと眺め、鼻を埋めた。埋めた鼻先に蝶が止まり、ふらふらと羽を瞬かせた。「あなた、蝶々に好かれたのね」キヨは言った。神の子は知った。春。太陽。花の色。花の匂い。蝶。

「決めたわ、あんたの名前。わたし、あんたに会う少し前にトキを見たの。とても大きくて綺麗なトキ。だから、あなたはトキがいいわ。ね、いいでしょう?トキ」

 神の子は嫌だと言わなかった。ウメはにこにこと嬉しそうだったし、他の3人も笑っていた。その名が嫌だとは思わなかった。『トキ』がどのような鳥なのかわからなかったが、とてもいい名前のような気がした。だからそれでいいと神の子は言った。

 そうして名のない神の子に名前がついた。

『トキ』

 人間として、初めて与えられたものである。


 村の子供たちはとても貧しかったがとても明るく元気だった。 年長の吉蔵は畑仕事の得意な子だった。吉蔵には生まれたばかりの弟がいた。漸く首の座った弟を背中に背負い、いつも田んぼを耕していた。神の子は吉蔵に畑仕事を教わった。弟はとても人見知りの激しい子だったが、どんなに激しく泣いていても、神の子が抱くとあっというまに泣きやんだ。

「こいつ、知らねぇ奴にはそんな滅多に懐かねぇんだぜ」

 不思議なこともあるものだ、と吉蔵は言った。

 鉄吉はとても泳ぎがうまい子だった。鉄吉はいかなる川もすいすいとトビウオのように泳いだし、小さな魚も大きな魚もひょいひょいと簡単に掴まえた。鉄吉は魚の名前を沢山知っていた。神の子は鉄吉に川を泳ぐことと魚の名前を教わった。

 キヨはとても面倒見のよい子供だった。沢山のお話を知っていて、キヨの周りにはいつも沢山の子供が集まっていた。山の奥に住む赤と青の鬼のこと、高い空の上に住んでいるお星さまのこと、遠い遠い異国のこと。神の子はキヨの膝の上に乗り、山の神様の話を聞いた。

 ウメはお転婆な子供だった。何をやるのもいつも神の子の手を引いて行動した。ウメの家はとても貧乏な家だった。この村はとても貧乏だったが、ウメの家はその中でも特に貧乏な家だった。ウメには痩せた父と小さな母がいた。とても小さな父と母だったが、とても優しい父と母だった。

 ウメの母は病気だった。顔が白く、手は痩せ細り、まるで骸骨のようだった。父はとても嘆いていたし、ウメもとても悲しかった。

 神の子は痩せ細った母の手を握りしめて涙した。そうして、今は亡き山神のことを思い出した。神の子の涙は見たことのない宝石のように零れ落ち、骨と皮ばかりの腕に染み込んだ。すると、ウメが生まれてからずっと病に伏せていた母がみるみるうちに元気になった。青白く幽霊のようだった顔にふっくらと肉が付き、血色がよくなり、たちまち農作業もできるようになった。ウメは勿論喜んだし、ウメの父など踊り狂うほどだった。

「ねぇ、トキ。あんた、神様みたいだね」

「かみさま?」

「そうよ。神様。教えたでしょ?あんたが来てから、不思議なことが沢山あるの。稲がとても豊作だし、お隣の牛も生まれたでしょ?吉蔵の家の竹蔵は、とってもきかん坊な暴れん坊なのよ。それに、おかあちゃんもとっても元気になったし。ねぇ、あんた、すごく不思議。ホントにホントに神様みたいね」

 神の子は子供たちに色々なことを教わりながら過ごしていた。花の名前も木登りの仕方も都の話も色々聞いた。春になると花が咲き、夏になると蝉が鳴き、秋になると芒が茂り、冬になると雪が降る。畑仕事も覚えた。

 神の子は昼間は子供たちと過ごしていたが、日が落ちて辺りすべてが暗くなると、山に住む獣と共に洞穴の中で就寝していた。山の動物たちは赤ん坊同然の神の子のことを暖かく迎えてくれた。山には、鹿や熊の他にも異形の友達が沢山いた。村の子供と遊ばないとき、神の子は異形の友達と共にいた。

 山姥は言った。

「トキ様は神様の子ですからね」

 神の子は、神と人間の違いをよくわかっていなかった。

「神様の子というのはどういう意味ですか」

「特別な子っていう意味ですよ」

「特別な子?ウメや吉蔵とは違うんですか」

「トキ様、村の子たちは人間の子ですよ」

「わたしは人の子ではないんですか」

「トキ様は神の子、村の子は人の子ですよ。トキ様は選ばれた特別な子なんです。村の子たちとは違うんですよ」

 神の子は村の子に混じり日々生活をしていた。毎日貧しくて大変だったが、それでもとても楽しくて充実をしていた。ある日、いつものように吉蔵の後ろについて畑仕事をしていると、ウメの父とキヨの父が握り飯を食いながら話をしていた。なんでも、隣の村に盗賊が出て、畑一面を燃やされてしまったのだという。

「とうぞくというのはなんですか?」

「山の中にいるこっわい泥棒のことだ」

「おらたちが一生懸命作った米だとか金だとかを全部盗んで、ひどい時は人を殺すんだ」

 その話を聞いて、村の子供たちはぶるぶると体を震わせた。村の大人達は、武器を持ち寄り村と女子供を守ろうと団結をした。

「おとうがいれば平気だよ」

「おとうたちが村と米を守ってくれるから」

 子供たちは言った。神の子もまた安心をしていた。まだまだ小さな神の子にとって、大きな村の父親たちは頼もしい以外の何物でもなかったのだ。

 しかしそれは突然来た。

 いつものように日が暮れて、神の子が山の異形と共に寝静まっている頃だった。空にはきらきらと星が光り、大きなまぁるい月が浮かんでいた。

 最初に異変に気が付いたのはフクロウだった。フクロウはとても夜更かしだった。フクロウがふらふらと夜の散歩をしていると、きらきらと炎が上がっているのを見つけた。フクロウは大慌てで洞窟の中で寝入っているトキの頬をつついた。

「トキさま、村が燃えています」

 隣村からやってきた盗賊は、吉蔵の家のコメを盗んだ後、米蔵に火を放った。

 神の子は大急ぎで山を下りた。そうしている間に炎はどんどん燃え広がって、村中を燃やしていった。真っ赤な炎がぼおぼおと広がって、暗い空に天高々と赤い柱を作っていた。

 村人たちは避難をしていた。みんな泣き、嘆き、怒っていた。母親は子供を抱きしめて、父親は妻と子を抱きしめていた。年老いたものは神に祈り、わけもわからずただただぼんやりをしているものもいた。

「おとうちゃーん!おかあちゃーん!」

 ウメは吉蔵の父に抱えられたまま泣き叫んでいた。炎の中に飛びこもうとしているのを止められていた。ウメの母は炎の中に取り残された。ウメの父は、妻を救おうとして炎の中に飛び込んだ。

 神の子は呆然としていた。村が燃えていた。家も、田んぼも、稲もすべてが燃えていた。真っ赤な炎が宙を舞い、美しいほど残酷に照らしていた。

 神の子は泣いた。天高くどこまでも聞こえるような大きな声で泣き叫んだ。

 神の子の叫びは風を起こし、神の子の声は暗雲を呼んだ。神の子の涙は雨を降らせ、神の子の嘆きは地表を揺すった。悪魔のように広がっていた炎はあっというまに小さくなり、消え去った。

 ウメの父と母は生きていた。村の真ん中で、まるで何かに守られるようにして生きていた。村人たちはとても驚いたし、そしてとても喜んだ。ウメは言った。

「きっと、神様が助けてくれたんだ」

 神の子は知った。

 自分が神の子であるということ。自分が人間ではないということ。自分が、村の子供たちとは違うということ。自分が他の人間と同じようにして生きられないということ。


「ごめんなさいウメ。ごめんなさい吉蔵。わたしは神の子、人間ではないんです。だから、みんなと同じようにはいられないんです。みんなと一緒に居られないんです。ごめんなさい、ごめんなさい」


 そうして神の子は村を出た。神域を出て二つ目の四季を過ごした頃だった。

 神の子は泣いた。村を恋しみ、人に憧れ泣いていた。野の花は幼い神の子を慰めて、吹く風は小さな神の子の頭を撫でた。

 花は言った。

「どうして泣いているのですか?」

「人になりたいのになれないから悲しいのです」

「どうして人になりたいのですか?」

「人はとても汚く、ずる賢い生き物です。けれど、とても暖かく、綺麗で、優しい」

「あなたは神の子。気高く美しい山の神の子として生まれました。人に比べ、何十年も何百年も生き続けます」

「もしわたしが、何百年も何十年も、人になりたいと祈り続けていたとそうしたら、いつの日か、人になれる日がくるのですか?人を助け人を思い、人と暮らしていたのなら、人になれる日がくるのですか?」

「わかりません。人になれるかもしれないし、なれないのかもしれません。もしかして、もっと恐ろしいものになってしまうのかもしれないし、人の愚かさに絶望をしてしまうかもしれません」

「それでもいい。わたしは人になりたい。美しく愚かで、それでいて優しい人になりたい」






 昔々のお話だ。

 人の容と心を持ったその少年は、村を愛し、人の憧れ、人になりたいと思い続けた。

 覚える必要はない、しかし覚えておくといい。

 少年の名前は“トキ”

 神の子として生まれ、人に憧れ人になりたいと願った少年の名前だ。


fin.




2010.9.28 完結

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御伽 シメサバ @sabamiso616

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