第5話 自炊の時間
営業という仕事は孤独な闘いだ。
4月の間、ずっと自分に仕事のイロハを教えてくれていた先輩がいつも言っていた言葉だ。
8月のうだるような暑さの中、木陰で一息つきながらアイスコーヒー片手に思いを巡らせる。
新人といえども社員であり、給料を得て働いている身だ。
5月からいきなり一人で動けと言われた時は『マジか』と思ったものだが、よく考えたら営利目的の会社としては当たり前なのだろう。初めは緊張のしっぱなしだったが、やっと少し慣れてきた気がしている。
初めて一人で動いたあの日から今日まで、本当に失敗の連続で心が折れそうになることだらけだった。でもその度に同期と飯を食いながらダベって気持ちを落ち着かせた。
お互いに愚痴も多かったが、自分だけが失敗しまくっている訳じゃないと知れることで心のバランスを保っていた気がする。
人によってはそれを『甘え』だとか言うけれど、俺はそうは思わなかった。
もちろん、前向きに生きていた方が良いとは思っている。
でもそれは長いスパンで見ての話で、瞬間的にネガティブになってしまうことは悪いことじゃないんじゃないかと思っているのだ。
社会人になって半年も経っていない俺が言うのもなんだが……。
髪の色が栗色なのは、別に染めてる訳じゃない。
俺はハーフなんだ。父親がイタリア人で、母親が日本人。
名前からは絶対分からないけど、この髪の色と瞳の色を見ると、誰もがそれを理解してくれた。
ウィリアムなんてあだ名で呼ばれ続けた学生時代を経て、社会人として新たな出発を迎えた俺につけられた会社でのあだ名は、ウィリアムだった。
なんでやねん。
最近、土日は自炊するようにしている。
というのも、平日の食事はどうしても外食になってしまうからだ。
外回りをしていてもエリアによって班が決まっており、ランチの時間はできる限り班のリーダーと同席するようになっている。
食事をしながら午前中で出た問題点や疑問点をリーダーに質問・相談する。
そうしてある程度自分の中で問題点を解決したうえで、昼からの営業に出る。
そんな流れだ。
しかもランチの時間は2時間ある。
その中には昼寝の時間も含まれている。
ちょっと驚きだが、海外(スペインなど)ではシエスタと言って案外普通の習慣らしい。
ちなみに、昼寝と言っても体を横にしてしまってはダメらしい。体を横にすると、脳が睡眠をとると認識してしまい、逆に効率が悪いのだそうで。
椅子に座ったまま、腕枕をしてほんの10分程度眠る。
これが良いそうだ。
話がずれた。自炊の話だったっけ。
自炊することで良く分かったのは、一人分の食材を購入するのは、思っていた以上にお金がかかるということだ。
何を購入するにも、ある程度の量を一度に購入する方が1食あたりに消費する費用が安く済む。でも、一人用の食事を作るのには多い。
もちろん、これでも最近は単身用パックという感じで安く手に入る少量の食材も多く売り出されているそうだが、なかなかどうして。それでも割高なのは変わりない。
それでも俺は自炊する方を選んだ。
理由は単純で、そうする事が自分のストレス発散になるからだった。
キッチンでまな板を出す度に、キャベツの千切りを思い出す。
あの千切りは、初め確かに不気味ではあったが、確かに食べやすかった。
機械で一律に切りそろえられたものとは違う、人の手で切ったと思われるものだった。でもそれが、なんというか良い感じだった。
俺もあれから数十回とキャベツの千切りをしているが、思うようにはいかない。
まず何と言っても自分で切ったものは細さが足りなかった。
細く切ろうとすると、一番下まで切れずに途中で空中に包丁が飛び出してしまうのだ。
最後まで切れるようにしようとすると、幅が広くなってしまう。
なるほど、これは修業が必要だな。十回目くらいでそう悟り、今では自炊の時は毎食キャベツの千切りを自分で作っていた。
うまくいかない。
初めは1回毎に、少なくとも数回毎に自分の成長を感じ取れた。
だが、今となっては毎回変わらない。
それどころか、前回よりも悪いな、と思う日も少なくなかった。
「う~ん……」
まな板の上に置かれたハーフサイズのキャベツ。
これを半分まで使って、残りは今夜使う。
もう半分は冷蔵庫に入っていて、それは明日、日曜日の昼と夜に使うのだ。
土日でキャベツを1個まるまる使い切る。そんな週末が、もう3カ月以上続いていた。
「よし」
気持ちを落ち着けて、包丁を握る。
キャベツに左手を添えて……猫の手だ。猫の手。
そうして、そっと包丁をキャベツにあてがい……力を籠める。
ザクッ。
……ちょっと幅が広いな。
ザクッ。
……まだ広いな。
ザクッ。
……細くしようとし過ぎて、途中で包丁の刃が外に出てしまった。
むむむ……。
「すぅぅ……はぁぁ……」
深呼吸をし、もう一度。
その時。
包丁を持つ右手と、キャベツを抑える左手。
その両方に、そっと添えられる手の感触があった。
ちょっとひんやりしているその手らしき感触は、細い指を想像させた。
一瞬驚いたが……俺はそのままキャベツの千切りを続けようと思った。
ザクッ。
驚いた。今までより格段に切りやすい。
それに、今までより少し細い。
ザクッ。ザクッ。ザクッ。
続けざまにキャベツを切る。
今までの間隔を調整するように、添えられた手から伝わる動きをできるだけ自分のものにしようとキャベツを切った。
「あ……」
気が付くと、夜の分まで切ってしまっていた。
包丁を置き、千切りをひと摘み。
もぐもぐ……。
いつもよりも食べやすい。
「ははっ」
気が付くと、笑っていた。
「よしっ!」
俺はタレに玉ねぎと一緒に漬けておいた豚肉を取り出し、豚の生姜焼きに取り掛かった。
その日のランチは、いつもより明らかに気分が高揚していた。
料理も美味しかった。
これならやっていける。そんな風に思えた。
「ご馳走様でした」
ふふっ、と言う笑い声が、聞こえた気がした。
最近、俺はどうやら考えが変わってきているようだった。
同居人は……たぶん、居るんだなって。
信じたくない男とほほ笑む霊嬢 龍宮真一 @Ryuuguu
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