第60話キリルとグイン




 ひとしきり青年から話を聞き出した後、水月とグインは屋敷を抜け出し、城下街の裏街へと向かう。

 ほんの僅かでも日が傾き始めると、細い路地は陰鬱とした空気を濃くする。水月は無言で歩きながら、裏街の翳りと己の心を同調させていく。


 人を精神的になぶるのは嫌いではないが、肉体を傷つけるやり方は気が重くなる。いずみと生きるためだからと必死に動いているからこそ、相手の血と苦悶の表情を前にしても狼狽えることはないが、やはり気分がいいものではない。

 一方、隣を歩くグインの表情も一見すると普段通りに微笑を浮かべているが、いつもより陰がある。理由は分かっている。思うままに相手をいたぶれなかったため、欲求不満になっている。


 今のグインは飢えた狼のようなものだ。そんな人間が自分と並んで歩いている。いつこちらに矛先を向けてくるか分からなくて、一歩進む度に水月の背に汗が滲んだ。


 このまま無事にグインの馬を預けた宿屋にたどり着けばいいが……。

 水月が心の中でそう願っていると、おもむろにグインが吹き出した。


「貴方も雑談など無用と切り捨てる人ですか、ナウム?」


 小さく息を呑んでから、水月は瞳だけをグインに向ける。いつの間にか大きく引き上がったグインの口角を見て、また妙なことを企んでいる気配を察する。


「……は? なんだよ急に」


「もう任務も終わったことですし、何か話しながら行きませんか? せっかくキリル様ではない人間と同行していますから、せめて目的地へ着くまでの退屈しのぎに話でもしたいと思ったのですが……」


 コイツがこう言う時は、会話がしたいんじゃない。一方的に何かを話したい時だ。

 不本意ながら何度も顔を合わせていく内に分かってしまったグインの癖。なるべくこちらの話はせず、グインに話を促し続けて時間を稼ごうと心に決め、水月は視線に次いで顔も向ける。


「言いたきゃ言えよ。大方キリルと雑談したいのにさせてもらえねぇから、俺で遊んで憂さ晴らしでもしたいってところか?」


「フフ……それもありますね。本当に君は察しが良くて好きですよ。でも、純粋に君とは色々と話をしたくなるんですよね……ナウムは私たちにとっての特別ですから」


 そういえば昨日もそんなことを言っていたな。

 水月は訝し気に目を細めながらグインに尋ねてみる。


「前にキリルと俺の生い立ちが似ているからって話は聞いたが……他にもあるのか? なんか含みがあるように聞こえるけど」


「ありますよ、大いにね。聞きたいですか?」


「お前が言いたいんだろ? 聞いてやるよ。あんまり知りたくない気もするけど……」


 ウキウキとし始めたグインに不安を覚えながら、水月は話を促す。

 不意に――そっと。グインの手が水月の肩に置かれた。


「実はキリル様から直に鍛えられ、あらゆる術を教えられているのは、貴方と私だけなんですよ。つまり君は私にとって大切で可愛い、唯一の兄弟弟子なんです。私は一人っ子でしたから、こんな形でも兄弟ができて心から喜んでいるんですよ」


 兄弟弟子……コイツと兄弟……嫌だ。こんな兄弟子は嫌だ。

 やけに優しく置かれたグインの手と教えられた事実に、水月はゾワゾワと鳥肌を立てる。


「マジかよ……」


「ええ。ちなみに貴方がキリル様から受けている訓練は私の時とほぼ同じですから、見ていて懐かしくなります。訓練を受けていた当時は貴方よりも幼かったですし、ついていくのは大変でしたよ」


 自分よりも幼い頃からキリルにしごかれていれば、ここまで危なくて厄介なヤツに育って当然だろうと思わずにはいられない。水月は頬を引きつらせる。


「もしかして見込みがあるからってキリルに攫われて、叩き込まれることになったのか? そういうこと平気でやりそうだからな、アイツ」


「確かにそうかもしれませんね。でも、私の場合は違いますよ。私が自分から言い出したんです」


 どこか懐かしそうにグインが柔らかく微笑む。

 いつになく優しい表情。この男でもそんな顔ができるのかと水月が息を呑んでいると、グインは小さく笑った。


「私が幼子だった頃、目の前でキリル様が父を斬り殺した直後に頼み込んだあの日が懐かしいです」


 さらっと古き良き宝物の思い出を話すような雰囲気。なのに語られた内容があまりにも血生臭く、常人には理解し難いもので、水月は思わず歩みを止める。


「……は? 親父を目の前で殺したヤツに、弟子にしてくれって頼み込んだのか?」


「そういうことですね。キリル様の部下だった父が、裏切りを理由に斬られた……明るい満月に照らされたあの時の剣のきらめきが、飛び散った血飛沫が、返り血を浴びたキリル様があまりに美しくて感銘を受けたのです。ああ、今思い出しても胸が震えますね」


 恍惚の表情を浮かべて語るグインが水月にはさっぱり分からず、茫然と理解できない現実を見つめ続ける。


 目の前でキリルに親を殺されたのは自分も同じだが、今思い返しても激しい慟哭と憎しみしかない。美しくて感銘を受けるだなんてあり得ない。

 前からグインが人の皮を被った魔物だとは思っていたが、こうなってくるといよいよその可能性が高くなるどころか確信してしまう。精神があまりに人間とは違う構造だと言うしかない。


 立ち尽くす水月にグインが近づいてくる。思わず一歩下がってしまったが、わき目もふらずに逃げ出しそうになる自分を抑え込み、水月はグインを目で捕え続ける。


 ぽん、と。グインは水月の肩を軽く叩いた。


「目の前でキリル様に親を殺され、鍛えられた者同士、これからも仲良くしましょうね。一日でも早く貴方がキリル様と肩を並べられる日を心待ちにしていますよ」


 見下ろしてくるグインの瞳を、水月はジッと見つめる。

 もしかして口でそう言っているだけで、本心ではキリルを恨み、仕返しの機会を伺っているのかもしれない――と思ったが、瞳にまったく淀みがない。心の底からそう思っているということがよく分かる。


 水月はかすかに舌打ちをするとグインを睨んだ。


「……肩を並べる? そんな甘いことは望まねえよ。お前のキリルも追い越してやる」


 怯えて脚が震えそうに自分の、今できる最大限の強がり。

 グインは満足げに口端を上げて「楽しみにしていますね」と呟くと、水月の背中に手を回し、歩くよう促してきた。


「だから君は好きなんですよ、ナウム」


「嫌なこと言うな。お前の好きはいたぶりたいってことだろ。よそ見なんかせずにキリルだけ見てろ」


「無理ですね。貴方は頼み込んだのではなく、キリル様が自ら進んで鍛えていおられるのですから特別なんですよ。どうしても私の視界に入ってしまいますから」


「勘弁してくれ……」


 そんなやり取りをしながら歩いていくと、間もなく目的地の宿屋が見えてくる。

 ようやくキリルが自分の馬に乗って離れた時、水月はその背が消えたことを確かめてから、大きく肩を落として気疲れを表に出した。


(やっと離れてくれた……真っ当な神経じゃないヤツの相手は疲れるぜ)


 何度も深呼吸して、水月は乱れた心を落ち着かせていく。


(グインのヤツ、よく目の前で親父殺されて頭下げられたな。俺なら死んでも無理だ。いつか絶対に復讐してやるって思う――)


 ふと引っかかるものがあり、妙に心臓が跳ねた。


(――まさか復讐するためにキリルの懐へ入ったのか? だとすればアイツがキリルを一番いたぶりたいって言うのも分かるぞ。頭を悩ませるようなことをやって、ジワジワとキリルの神経を削って、苦しむ姿を楽しんでいるのか……)


 もしそうだとすれば、なぜグインが急に身の上話をしたのかも納得がいく。

 一緒にキリルへ復讐しようと誘っているのかもしれない。そんな可能性が浮かんだ時、水月は顔をしかめ、歯を食いしばった。


(テメーの復讐に俺を巻き込むなよ。俺にとって一番大事なのは、いずみを生かすこと。俺の勝手な感情で危ない橋を渡るワケにはいかねぇんだ)


 自分のことだけ考えていればいいなんて楽なもんだ。

 人を壊すことも、殺すことも、狂うことも簡単なのに、どうして人を生かすのは難しいんだろうな。


 そう思うといずみが背負っているものの重さが、ほんの少しだけ分かった気がした。

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黒き薬師と久遠の花 天岸あおい @amano-aogi

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