8(それからのこと、そして……)
それから、一年近くが過ぎた。
クラスの中で、わたしは完全に孤立していた。友達はいないし、お昼はいつも一人だ。知らない鳥の渡りに混じってしまったみたいに不安だったけど、わたしはそれに耐えた。一人でいたいと、わたしが自分で望んだから。
わたしは髪を短く切るのをやめ、コンタクトをやめ、鏡の前で表情の確認をするのをやめた。要するに、元に戻ったのだ。あまり気がきいているとはいえない髪と、眼鏡と、地味な表情に。
でもわたしは何故か、その格好を前みたいに気にしたりすることはなかった。何となく、それがういちゃんに似ていたからかもしれない。
一年のあいだには、いくつかのことがあった。
久良守脩一は解散総選挙の際に衆議院議員に立候補して、大方の予想通りに当選した。テレビに映っていたあの人は、ういちゃんの家で会ったときとは別人みたいに朗らかな様子をしていた。ジギル博士とハイド氏みたいだったけど、たぶんこの人はこれでうまくやっていくのだろう。
棗さんは、週間のオリコンチャートで一度だけ十九位になり、次の週には圏外に消えていた。わたしはそのシングルCDを買ってみたけれど、どうしてチャートに入ったのかも分からなかった。相変わらず、大量のペンギンの鳴き声みたいにほかのものと良く似ていたから。
薊さんのことは、実のところよく分からない。やはりインチキ広告作家を続けているんだろうか? わたしは新聞の折りこみチラシに載っている、奇跡の石だとか、安物のブレスレットだとかを見るたびに、薊さんのことを思い出す。それを書いたのは薊さんかもしれないのだ。でもそんなチラシを読んでいると、母親は大抵不安そうな目でわたしのことを見る。
穴蔵の中で暗い冬を過ごす白熊みたいに、それは長い一年だった。わたしはじっとその時間が通りすぎるのを待っていた。力を無駄にしないように、凍え死んでしまわないように。
時々(大抵は教室で何もすることがなく窓の外を眺めているとき)、ういちゃんが天使だったんじゃないかと思うことがある。桜色の髪をした天使。彼女は死んで、人間に戻った。たぶん、桜色の髪はどこかのごみ箱に投げ捨てて。
そして死の間際、彼女はついでみたいにして、わたしのことを救ってしまった。わたしの中の何かを、自分といっしょに天国に持って行ってしまった。
時々、わたしはそんなふうに思うことがある。
二年に進級してからも、わたしはよく森のベンチに出かけた。
春の風は、そわそわと落ち着かなげに季節の変わりを告げている。あわてんぼうのラッパ手に驚かされたように、草花も大急ぎで衣替えに取りかかっている。うきうきして、でも不安でいっぱいなはじまりの季節。小鳥のはばたきが心臓の中に入ってしまったみたいに、何だか落ち着かない。
森のベンチに来るたびに、わたしはういちゃんのことを思い出す。正しくは、ういちゃんの不在を。ういちゃんの不在が、わたしの胸を痛くする。空があんまりにもきれいすぎる一日みたいに。
でも、その痛さはわたしを正常に保ってくれている。その痛さがあるから、わたしは生きていられる。
森のベンチで、わたしはいつもそのことを思う。ういちゃんの不在、その痛み、痛みがわたしに教えるもの、想像力の欠如した世界――
そしてやっぱり、わたしは今日も一人だ。
「――その本、面白い?」
「え……?」
顔を上げると、そこには知らない人が立っていた。ういちゃん……ではない。ういちゃんとは似ていない。
「本、読んでるでしょ、いつも」
「うん」
「面白い?」
わたしはそこで、その人の顔を見たことがあるのに気づく。同じクラスの女の子だった。クラスが変わったばかりで、名前はまだ覚えていない。
「たぶん、面白いと思うよ」
「ふうん」
その人は、でも本のこと自体はどうでもいいようだった。ただの話すきっかけだったらしい。きょろきょろとあたりを見渡して、
「ここにはよく来るの?」
と、人懐っこい様子で訊いてきた。
「うん、一年の頃から」
「そりゃすごいや。森の中で本を読んでる女の子か。何だか森の妖精みたいだね」
誉められたのかどうか判断に迷ったので、わたしは曖昧に微笑んでおいた。
「うん、でもいいな、それ。うん、いい。何だかぴんと来たって感じだ。私の直感は昔からよく当たるからなあ」
「あの……?」
私は訳が分からなくて困った顔をした。でもその人はまるで頓着しないままこう言った。
「あのさ、私たち友達になれないかな? ぴんと来たんだ、私。あなたとならすごくいい友達になれるって。あ、友達っていってもあと二人いるんだけどね。その辺をうろうろしてるはず。でも二人ともいい奴だから、私たち四人ともきっといい友達になれるよ」
一方的にまくしたてるようなその言葉に、わたしは終始面食らっていた。けれど――
「わたし……」
心はすでに、はっきり決まっていた。
「……わたしも、友達になりたい。ずっと、誰かと友達になりたいと思ってたから」
その人は破顔一笑という感じでにこっとすると、森の向こうに手を振った。
「おおい、二人ともやったよ。友達一人ゲット」
それからその人は、あらためてわたしのほうを見て尋ねた。
「これから、よろしくね。あなたの名前は?」
「わたしは――」
何故だか泣きそうになりながら、わたしは答えた。
「わたしの名前は、柚野あゆみ」
これで、この話は終わる――
その後のことについて、わたしは語るべき言葉を持っていない。それはこれから起こることだからだ。少し不安だけど、わたしはあまり心配していない。穴蔵から外に出た白熊は、しばらくの間は寝ぼけているかもしれないけれど、また元気にアザラシを捕まえたり、海に潜ったりするだろう。はっきりとは分からないけど、わたしはそう信じている。
わたしはこれからも生きていくし、生きている。
ういちゃんの不在を、想像力の欠如した世界を抱えながら――
それでもわたしは、どこかへ進んでいく。
桜色の髪をした彼女 安路 海途 @alones
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