第11話 僕、語る。
板垣零名の父親が失踪したのは、高校一年の時の事だった。
いや、もうその時には彼女の姓は川上になっていたが、それでも学校帰りにちょくちょく出会う父を見ると、自分がまだ板垣姓だと錯覚してしまう事もあった。
父はあまり良い人間ではなかった、というのは零名の母の談であるが、零名にとって父は良き父であったように思えていた。
だから父が行方不明になった事を、その直前にカメラを渡された事を、関連付けない訳にいかなかった。
自分から言い出した事だった。だけどまるで、いなくなった自分を探してくれ、とそう言われているように思えたのだ。
カメラを渡されて半年後、行方不明になった事が判明した父を探し始めたのは、川上零名が高校二年になった時の事だった。
◇ ◇
僕が初めて川上零名を見たのは一七歳の時だった。
深夜一時の公園だった。一人黙々と写真を撮っている女の子がいた。その女の子が同じ学校だと分かったのは、彼女がまだ制服だったこと、その容姿だった。一度、高校一年の頃に彼女を見にいった事があった。同学年に滅茶苦茶カワイイ子がいると評判だった。だから顔くらいは覚えていたのだ。
だから少しやましいながら気持ちがありつつ、彼女の声を掛けてしまうのは自然の成り行きだったのだ。
僕に声を掛けられた彼女が嫌そうにしていたのは未だに覚えている。
しかしこの時、彼女が何をしていたのか僕は全くわかっていなかった。
◇ ◇
次の日、教室で零名は、昨日声を掛けてきた人物の素性を知った。
彼はどうやら同じく学校の人間だったようだ。クラスは違うし話したこともなかった。だから知らなかったのだ。
零名は彼の事は何も知らないに等しい。だけどこれだけは言えた。
不来股優という人間はとてもじゃないが好きになれない。
別に好きになる必要はなかったが、それでもあの声のかけ方はないだろうと彼女には思える。人が必死になって父の痕跡を追っている時に、まるでナンパのように声を掛けられた。零名自身がまるで夜遊びをしているかのように、彼は認識していたようなのだ。
仮に、困っている人を助けるような一声であったなら零名だって誠実に対応していたかもしれない。
ただ、まるで遊んでいるかのように声を掛けられたのは本当に心外だった。
印象は最悪だった。
◇ ◇
どうやら僕は川上零名に嫌われているらしい。
その事を理解したのは、僕が何度も声を掛けた時の彼女の嫌そうな顔だった。
彼女は僕の家の近くによく出現した。
その度に僕は声をかけていた。
その殆どが、無視もされるし、仮に答えを返してくれても冷たい。うるさい、黙れ、関係ない、そんな言葉が殆どだったように思う。
本来の僕ならここで関わらないようにするという選択が自然だったのかもしれない。けれど真剣に何かの写真を撮っていくその行動に僕は何故か惹かれていった。
彼女は偶に聞き込みなんかもしていたみたいだ。
その場所を写真に収めては何かを書き込み、その度に何かを考え込んでいるようだった。
その行動が何の為なのかは、本当に分からなかったけど、何となく理解できたのは、彼女が誰かを探しているのだろうという事だった。
◇ ◇
ああ、もう本当にうっとうしい。
零名は何度、そう思った事か。
不来股優は、零名が行動時間を一一時や一二時に変更しても、何度となく現れ何度となく声を掛けてくる。別に関係ないのだから、執拗なまで声を掛けてこなくても言いハズだ。
零名は言外にそういう行動を取ったが、不来股優はどうやらまるで理解していないようだった。
いい加減頭にきたので零名は、うるさい、黙れ、関係ない、としか喋らないようにした。
しかしそれでもまだ彼は零名に声を掛けてくる。
もしかして零名が何をしているか、不来股優は純粋に気になっているだけなのかもしれない。
そう思うとある程度納得できた。
だって、こんなに声を掛けてくる必要なんてないのだ。
彼女は不来股優に自分の目的を教えた。
行方不明になった人を探している。それは自分にとって大切な人だ。
不来股優になんか教えたくなかったけれど、仕方ないと妥協した。
しかしそれがまた最悪な結果につながった。
不来股優は手伝うと言い出したのだ。
零名は厄介な事になったと思うより前に、関わって欲しくないとさえ思えた。何度も拒否した。何度も拒絶した。
それでも不来股優は引く気がないようだ。
幾度となく声を掛けてくる。
仕方がないから彼が手伝う事を許可した。その代わり話し掛けてくるなという約束ができた。ちょっとだけ匂いが好きだったけれど、とにかく嫌いなのだ。
これで大丈夫だと、一度安心してしまったことが零名の最大のミスだった。
◇ ◇
僕に下心がなかったと言えば嘘になる。
いや、完全な嘘だ。結果的に付き合う事になったのだから。
僕と零名は探し人の捜索を延々と行った。何度も二人で案を出し合い、その探し人がどんな経過を辿ったのかを何度も審議した。もちろんその過程で、探しているのが零名の父親なのだと、僕には薄々わかりつつあった。
僕には余計に力が入った。俄然やる気が出た。というより、本来は警察に頼めばいいものを素人の高校生二人で探すという行為が僕には面白かったのかもしれない。
僕はそれを面白いと感じていたのだ。
僕と零名では真剣さが違った。零名にはどんな真実でも知る覚悟はあったのだろうけど、僕にはそんな覚悟はほとんどなかった。
要するに僕は遊び半分だったのだ。
◇ ◇
川上零名は耳を疑った。
ここまで来て、捜索を打ち切ろうと言う優の言動が全く信じられなかったのだ。
だってもうすぐだった。父親の、板垣大輔の情報はもう目の前にあったのだ。その情報が、仮に半年以上前に空き巣に殺され死んだ老人の真相と関係があったとしても引くべきではない。彼女にはそう思えたのだ。
しかし優は違った。これ以上は警察に任せたほうがいいというのだ。
信じられなかった。優の正気を疑った。信用していたものがガラガラと崩れたような気がした。
挙句の果てに優は、怖いと言った。零名の事を恐ろしいと言ったのだ。零名には分からなかった。何が怖いのか、父を探すという目的はどこまでも純粋で正当なものだ。
なのに、何で?
裏切り者と言ってやった。
零名は優の事は諦めて、自分一人で目的を達成しようとした。元々一人で始めた事だ。何が何でも見つけだしてやる、と心に誓った。
そして優の事を忘れようとしていた矢先の事だった。
優は夜の街でまた自分の事を見つけた。見つけて、自分に言うのだ。そんな事をしても幸せな結果には繋がらない。人死(ひとし)にが関係しているくらいなのだから、見たくない事実が浮かび上がってくるかもしれない。だからこれは零名を幸せする事ではない。やめるべきだ、と。
断言までして、零名を邪魔しようとする優に心底失望した。
零名自身が大切な事だと思って必死に、身を投げうつように父を探している。それを優は否定するのだ。
零名が真剣に何をする事自体を、彼は否定しているように思える。
川上零名は幸せになれない。
優にそんな言葉を言われているような気がした。
◇ ◇
僕はあれから零名と縁を切った。
とまでは言わないけれど、言葉を交わす事はほとんどなかった。僕らの繋がりはやはり零名の父を探す過程だけだった。付き合っていたことさえ、幻想に思えた。
僕は時折、夜の街で零名を見かけた。頬が痩せこけているような気がした。僕か何度も止めたが、その忠告は彼女の耳に届かない。僕は常識的な判断をしているつもりだった。だけど、彼女は一度も聞き入れてくれなかった。
遊び半分で声を掛けておいて、危なそうになったら手を引く。僕は裏切り者だと言われて仕方ない人物だった。だけど、これ以上探すのはどう考えても得策ではないと思えたのだ。
僕は彼女を放置するつもりだった。本当は気に掛けないほうが良かった。
ただ心配だっただけだったのだ。
あの行動が、あんな事になるなんて思いもしなかったのだ。
◇ ◇
零名は片翼をもがれたような気分だった。
探す気がおきない。
父を見つけたいと願っているのに、身体は動いてくれなかった。
一応、尋ね人を探しているという無料ブログを作っていたが、それを見る気にもならなかった。
そもそもにおいてだ。その無料ブログには板垣大輔の写真も貼っていなければ、名前も出していない。零名の写真を公開して、父を探していますと、情報を載せているだけだった。一応、自分の写真を貼っているので、自分の知人や母の知り合いから情報があったりはした。
板垣大輔の写真を貼らなかったのには、大きな理由があった。
零名はまず父の写真を持っていなかった。性格には親子で写真なんて、アナログな写真しかなかった。携帯なんかに写真を保存していなかったのだ。
それに父の名前を公表するのが零名には怖かった。
勝手なイタズラで名前を使われ、例えばネット上の殺害予告に父の名前が使われる、なんて事が起こり得るかもしれないのだ。そんな全く得にもならない事はしたくない。だから父の名前を公表しなかった。
零名はその行為がまるで父を探すつもりのない情報開示だと、優がいなくなって初めて気がついた。
零名が探していたのは、自分が失った父性なのかもしれない。
自分でそんな事に気が付いて、彼女は思わず失笑してしまった。
バカみたいだ。
そんな事を考えている暇があれば、直ぐに父を探す努力すべきだ。
しかし探す気力が失われつつある。
全幅の信頼を寄せていた相手に裏切られたのだ。
だから、探す気があるのだと自分に言い聞かせる為に、零名がブログを開いた時だった。
あなたのお父さんの事を知っていますと、コメントがあった。
そのコメントは、武藤和也という人物から発されていたものだった。
◇ ◇
やってしまった。
騙すつもりなんて毛頭なかった。だけどどうやったら彼女の気を引けるのか、という事を念頭に置くと、このコメントしかあり得ないと思えたのだ。
僕こと不来股優は、武藤和也になりすまし彼女を誘導する事にした。事実を追い求めても、零名に良い事は起こらないと納得してもらう為に。
騙す事にした。
当時の僕にはそれが正解だと思えてしまったのだ。
◇ ◇
武藤和也が不来股優だと知った時、零名は激昂(げきこう)した。
どれだけ自分を邪魔すれば気が済むのだ。
どれだけ自分を傷つけようとすれば気が済むのだ。
どれだけ自分を馬鹿にすれば気が済むのだ。
さらにバカの一つ覚えのように、まだ言う。
それは幸せな結果に繋がらない、と。
実際にファミレスで待ち合わせをした武藤和也こと、不来股優はそう再三に渡って伝えてくるのだ。
確かに、優の言う事を零名だって理解しない訳ではなかった。どれだけ経っても父の消息は掴めない。諦めてしまおうという気持ちがない訳ではなかった。
だけど諦めてしまっても、不来股優だけは許せなかった。
零名の全てを否定する。幸せになれない。そんな言葉を、裏切っておいてよく吐ける。
恨んだという言葉すら生ぬるい。
人の気持ちを好きなだけ
それだけは絶対に許せなかった。
◇ ◇
僕がもっと、心配だった、という言葉を重ねていれば、僕らの間に大きな溝は生まれなかったのかもしれない。だけど僕にはその言葉を発する度胸も覚悟もなかったし、行動力も積極性もなかったのだ。
結局、その言葉を発するという事に対しても、僕は遊び半分とまでは言わないものの、どこか他人事だったのだ。
僕は忘れる事にした。
忘れてしまっていれば簡単だったし楽だった。
人の恨みを忘れて、のうのうと生きる事は別に僕に限った事じゃない。
それはただの言い訳になるだろう。
でも僕はそうやって自己を正当化した。
思い出したのは六年後。
結婚式の招待状が来た瞬間だった。
◇ ◇
零名が結婚式に招待したのは、完全な当てつけだった。
結婚した松村さんが嫌いな訳じゃない。
無論、この人しかいないと思って彼女は結婚した。そこに間違いはない。
だが彼女の根底にあるのは、幸せになれないと言った不来股優への、ささやかな復讐心だった。それは六年経とうが変わらない。きっと十年経とうとも変化はないだろうと、彼女には思えた。
だが何故かそのささやかな復讐を行った結果、何も満たされない自分がいる事に気が付いた。自分は本当に幸せになっているのだろうか。
不安だった。
だから。
その後、黒い服の男に会ったのは必然だったのもしれない。
彼女は結婚式に不来股優を招待した事を後悔していたのだ。
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