第7話 僕、報告会に赴く。

 そのアラームは報告会への集合の合図だったそうだ。

 板垣と緑川さんのいなくなった図書室で、松村さんがそう言った。

 僕らは大テーブルの中から、外に這い出る。もう何が何だか分からない僕の頭は考える事を放棄していた。


「……あの、松村さん」

「……何ですの? あと、わたくしを松村と呼ばないでいただけますでしょうか」

「……えっと、クリスティーナさん?」

「クリスティーナも禁止ですの。耳が腐りそうのですわ」

「……だったら、何て呼べばいいんですか?」

「ティーナでよろしくてよ。それ以外禁止ですの。で、何か用ですの?」

「……何って……」


 彼女は大テーブルから這い出して、急に板垣の本の一ページをちぎったのだ。それも本に右上の端を。まぁ、白紙と言っても良い部分だ。彼女はそこに、鉛筆で何かを書いている。いや、ちょっと待って欲しい。鉛筆なんてどこにあったのだ。


 僕は疑問を声に出す。

「……ティ、ティーナさんは何をしているんですか?」

「えらく仰々しい呼び方ですのね。親しみを込めてティーナ様と呼んでもよろしいですのよ」


 そっちのほうが仰々しいだろうと、突っ込む前にやめた。仮に僕が彼女の犬認定を受けていたとしたら、様呼びが自然。すると『さん』付けは確かに仰々しいのかもしれない。いや、この場合はよそよそしいと言うべきか。


「冗談ですの。普通にティーナちゃんとでもお呼び下さい」

 果たしてそれが普通かどうかは僕にわからない。このティーナちゃんとは感覚がどうにも違う。一七歳と二三歳で違うのも致し方ないのか?


「……わかりました。それで、ティーナちゃんは何をしているんですか?」

「見てわかりませんか? まぁ、見てわかりませんわよね、優さんの愛おしい程、容量の少ない頭では」

 何でこの子は一々、回りくどい言い方するのだろうか。コミュニケーション能力はありますか? 質問してやろうか? 面倒なので、やめておこう。


「これを、あげます。持っておいてください」

 僕は大テーブルから顔を上げたティーナちゃんに、先ほどの本の切れ端を貰った。三角形だったものを小さく折りたたんでいる。


「何ですか、これ?」

「この紙に書かれている内容を、最終的には実行して欲しいのですわ。ただ、今は見ないでください。今見ると、信頼関係が崩れてしまいます――」

 初めから信頼関係などないが、それはどうしたらいいのでしょうか? と言っても、初めにこの子に関わってはいけないと思った時より、彼女の態度は軟化しているように思える。つまり彼女なりに僕は信頼できる人間だと思えたようだ。どの辺りを信頼したのかは不明だが。


「――この紙を広げる時は、私が何もしなかった時。つまり私達が板垣に証人である一点を取らせる事ができなかった時ですの」

「……そんな可能性があるんですか?」

「ええ、ありますわ。というより、今できました。だから、やりたくなかったのですが、念には念を、という事ですの」

「うん。わかった」


 僕がそう言うと彼女は目を大きく見開いた。

「どうしたんですか?」

「いえ……その……」

 彼女がごにゅごにゅと何か呟いた。

 よく分からなかったので、とりあえず僕は作業着のポケットに折られた紙きれを入れる。


 それを見て、ティーナちゃんはさらに信じられないような顔で僕を見ていた。

 いや、一応僕にも名前を偽るくらいの猜疑心は持ってるよ。ただ彼女は僕を大テーブルの下に隠した。少なくとも彼女は僕を必要としているという事だ。

 とりあえずの納得? いや、不承不承ふしょうぶしょうになりながら僕は頷く。

「では、参りましょうか」

 僕らは図書館を後にした。



 報告会は映像室という場所で行われるらしい。

 何だろう、映像室って?

 ティーナちゃんに聞いてみると、映像を見るところでしょ、と返された。

 はい、僕もそれくらいは理解しています。

 ティーナちゃんは、映像を見させられるんですの、と言い直した。それ以上は説明してくれなかった。


 僕らが映像室に入った。映像室はおおよそ学校の教室程の広さだった。窓はなく、壁は全て白塗りだ。学校で例えるなら、視聴覚室と言ったところだろか。映写機なんかも部屋の中央に設置されている。そして、その両隣にはパイプ椅子があった。映写機の右隣に二脚、左隣に二脚。僕から見て、右から板垣、緑川さんと座っている。左隣には誰も座っていない。

 映写機にレンズの方向にもパイプ椅子があった。鎮座しているのはキュバスだ。黒いハットに甘いマスク。商社マンのような黒い背広を着こんでいる。彼は平常運転のようだった。


「これで、皆様そろいましたね。不来(こず)股(また)さんには説明しなかったので、来ないかと思いましたよ――」

 僕が返す言葉は特にない。教える気あったのだろうか、と疑問すらしてしまうので、僕は決して突っ込まなかった。

「――では、今来た二人もお座りになっていただけますか? 映写機の近くから、松村さん。次に、不来股さん。あなた達から見て、一番左が不来股さんという事ですね」


 僕とティーナちゃんが、指定された座席に座る。というか、ティーナちゃんは松村と呼ばれて怒らないのだろうか。座ったところで彼女を横目に見ると、彼女の顔から感情が失われていた。余計に人形のようだ。どうやら人がいる場合はお人形さんキャラで通すらしい。ドSが猫を被っている。


「おいおい、どう考えても遅すぎるだろう? 減点じゃねぇの?」

 板垣がニヤつきながらキュバスに投げかける。

 その瞬間ティーナちゃんが何故か僕の事をチラリと睨んだ。何故? 一瞬の疑問の後、僕がやらなければいけない事を思い出した。

 キュバスが何か発言する前に僕がどうにか口を挟む。


「犯罪者にとやかく言われたくないですね――」

 咄嗟に思いついた言葉だったが、効果はあったようだ。板垣が咄嗟にこちらを睨んできた。

「――離婚して、無職で、人を殴って、お金を盗んで。そんな人間に減点とかどうとか笑っちゃいますよ」

 なんだか僕の口調じゃないような気もする。不自然なくらい口はペラペラと動いた。半分やけだった。


「…………、あ? ……なに言ってやがる?」

「いや、誰の事とは言いませんが、そんな人間がよくデカい面できるなぁ、と思いまして」

「……おい、誰に聞いた?」

「いえ、誰にも聞いてませんよ、僕は」

「だったら何で、知ってる?」

「知ってる? すみません。僕はただなんとなく口から出た言葉を並べただけですよ。もちろん想像です。何か、文句でもありますか?」


「てめぇ‼」

板垣が椅子から立ち上がった。

「んな訳ねぇだろ‼ 何で知っていやがる‼ ふざけんなよ‼」立ち上がってこちらの胸倉を掴むまでは一瞬だった。彼の拳が振りかぶられる。

 その瞬間の事だった。



「板垣さん、それをそのまま実行したらマイナス三点ですよ?」



 キュバスが椅子に座ったまま声を作った。

 板垣の動きがピタリと止まった。

 拳を止めて震えている。

 僕を鬼の形相で睨んでいるがギリギリで止まったいた。


「板垣さん、落ち着いてください。別に僕はあなたを怒らせようという気はないんですよ。もちろんあなたとケンカしようという気も。犯罪者と同じレベルになりたくですしね。ただ、色々と調子に乗るなと言いたかったんです」

「不来股さんも、それ以上、言うならマイナスですよ」


 僕はこの程度で発言を止めておいた。

 板垣は僕の胸倉をつっけんどんに手放す。クソッと呟いて、「ユウッち、お前、絶対に記憶をなくさせてやるからな」と小さく捨て台詞だけ吐いて、荒っぽく振り返った。座る際に、椅子を一度蹴ったあたり、相当イラついているのはわかる。

 しかし僕はこれで良かったのか。僕も同類だというのに。ただそれ以上は考えない事にした。結局のところ僕だってここから出たい。なら、まずは板垣の排除というのは必要なのだろう。覚悟は決めた。

「では、報告会を始めましょうか」

 そうしてキュバスが開始を宣言した。


◇ ◇


 案の定、僕は早速に三点減点された。

 名前を偽ったからというティーナちゃんが予想した理由と全く同じだった。ちなみにティーナちゃんも同じく減点。彼女は僕の拘束に手伝わなかったという理由だった。


 この報告会とやらは、パーガトリに長くいる人間から報告するという板垣に圧倒的に有利な条件で始まっている。

 だから僕とティーナちゃんに関する報告で、六点を得たのは板垣だった。彼は、そこからさらに点を得ようとした。しかしこれ以上得る為の点はなかった。僕が工場の仕事をさぼっていた。なんてこじつけてきたが、そこはティーナちゃんがしっかりと反証してくれ、証明者もおらず、板垣に点は入らなかった。そしてさらに板垣はキャッチボールの時、わざわざ人を苛立たせる事を言ったと僕について指摘したが、これもティーナちゃんが反証してくれた。意外とキッチリ助けてくれるらしい。


 というか板垣は僕を貶める為に常に行動していたようだった。

 今更ながらにゾッとする。

 その後、板垣が僕に「できてんじゃねぇのか? あ? ロリコンかよ」なんて悪態をついたが、ティーナちゃんは無表情で無視。僕もならって無視を決め込んだ。「ちッ」と舌打ちした板垣。

 彼のヘイトは確実に溜まっていった。

 その次は、緑川さんの順番だった。

 この時点で僕はマイナス六点。ティーナちゃんもマイナス六点。板垣は九点だ。これで僕らが行ったマイナスを生み出す為の行いで板垣に十点になってもらう。僕はマイナス九点になるが、それで終わる。僕はようやく一息つけた気分だった。


「では次は、緑川さんの番ですね。何か報告すべき事はありますか?」

 キュバスが彼女に向かって質問を投げかける。しかし緑川さんには何もないだろう。

 彼女は「…………」無表情に、顔を傾げて場を沈黙で冷えさせた。

 キュバスが問う。

「……ないという事で、よろしいでしょうか?」

「…………」


 緑川さんはまだ答えない。

 どうしたのだろう。『ない』と答えるだけでいいのだ。それだけで次に進める。彼女は板垣の報告で二回証人になっている。今日は二点をもらっている。今までとの合計でプラス一点のハズだ。なら何の問題もないだろう。確実なプラスになっている。

 しかし彼女は何故か顎に手を当てている。

 椅子に座った彼女の横顔からは何も読み取れなかった。

 いや、まさか……。僕の脳裏に先ほどの光景が蘇る。さっき。ついさっきの事だ。でも、そんな事はあり得ないだろう。だって、いなかったと緑川さんは報告したのだ。なら、点を取る気なんて……。

 違う。あの時点で僕が知らないルールがあった。ティーナちゃんも大した事ではないと僕に伝えていなかったのだろう。



 



 つまりあの時点で板垣に僕らがいると報告すれば……。

「……あります……」


 緑川さんが僕の思考を遮るように小さく声を作った。

 僕は彼女に視線を移す。

 しかし彼女はこちらを見ようとしなかった。椅子に座ってキュバスだけを見つめている。


「では、聞きましょう。どんな報告がありますか?」

「……私は見たんです……。……拘束から抜け出した不来股さんと……、……何故かティーナちゃんを……」

「それのどこが報告するに値しますか?」

「……板垣さんと決めたハズです……。……不来股さんも承認しました……。……何をするか信用できない……。……だから拘束しよう……。……だけどその二人を図書館で見ました……。……つまり取り決めを一人は破って逃げた……、……もう一人はその逃走の幇助したと思います……。……これは報告するに値しませんか……?」

「いえ、値します。では、それを証明できる人はいますか?」


 やはり緑川さんは、あの時僕らを視認していたのだ。

 無反応だったのは……。

 だが、これで板垣が無理くり証人になればそれでいいのかもしれない。僕と松村さんはマイナス九点になるが、板垣は一〇点になる。予定とは違ったがこれでも結果オーライではないだろうか。


 僕は板垣を目視した。

 板垣は手を挙げていなかった。

 ……何故? という声にならない声が僕の喉の底から聞こえてきた。板垣は手を挙げればいい。別に僕らは困りはしない。

 ……早く手を挙げろ。

 しかし板垣は戸惑っているだけで、手を挙げる素振りを全くしなかった。

 板垣は僕を視界に入れた。

 しかし直ぐに視線を逸らした。


 数秒して、僕もようやく気がついた。板垣はあの場所にいたにも関わらず、いなかったと緑川さんから報告を受けている。

 つまり証人になりたいが、その自信がないのだ。

 証人になった場合の危険ももちろんある。反証者が出て、反証が正解だった時、マイナス一〇点と同じ厳罰が下る。

 そのリスクを負いたくない。

 しかし一点は欲しい。


 だがあの場にいたハズの板垣には証明しようがない。あの緑川さんの反応を見ると、いなかったほうが自然に思えた。そんなところだろう。

 誰も沈黙を破らない。横目に見るティーナちゃんもただ黙ってジッとしていた。

 すると対面しているようにパイプ椅子に座っているキュバスが、あっさりと言った。


「では、パーガトリの内の録画を見てみましょうか?」

「……は? え?」

「何ですか、不来股さん?」

「……いえ」

 僕の頭の中で最大級の疑問が広がる。

 ……録画? そんなものがあるなら、なぜ人づてで報告させる? 別に報告しなくてもいいじゃないか。キュバス達が録画をチェックして、それを元に減点していけばいい。


 キュバスの後ろにジーっと機械音を鳴らしながら白い幕が下りてきた。映写機から出る光を映すアレだ。突然、電気が消えた。まるで映画館のように準備が進められ幕に映像が映し出された。

 そこには確かに僕とティーナちゃんが映っていた。図書館のあの大テーブルの下に隠れている状態を上から映されている。僕らは驚きの表情を隠せずに、カメラを見上げていた。


 ……何だこの違和感。僕はあんなカメラに撮られた覚えはない。

 ……ちょっと待て。そういえば僕は常に監視されていると予想したハズだった。だったら、これが、それか……? 

 ……だけどちょっと待って欲しい。それなら僕とティーナちゃんがやったあれはどうなる? 不埒な行為はその場で処罰されると板垣は言っていなかったか? もちろんあくまで板垣の談だ。だけどどちらにしろ、矛盾しているじゃないか。それとも何か? 僕とティーナちゃんの行ったあれは、不埒ではないのか? 

 映像が消えて、部屋の明かりが灯った。


「これが緑川さんの言っていた、二人が図書館にいたという部分ですね?」

「……はい……」

「これはまぁ、確かに二人が一緒にいる時点で、逃走と逃走幇助したと考えられなくはないですね。状況証拠とも呼べない証拠ですが」

「……じゃあ、証拠にはならないんですか……?」

「いえ、しかし、これは……。私としては、報告者を疑いたくないですし……」


 キュバスは困ったように、頭を傾げた。

 どこかテキトーではないだろうか?

 彼に決めてしまえる権利がある。それは板垣にマイナスポイントを取られた事により、ハッキリしていた。彼とて判断に迷うところなのか?

 キュバスが迷っていると、一人の男が突然手を挙げた。

 ――板垣だった。


 僕は思わず板垣に願いを託す。板垣の口が開く瞬間まで、彼に期待していた。

「だったらよ、その逃走している瞬間の録画はねぇのかよ。それがありゃ完璧だろ?」

「いえ、それがないのです。全てを録画できている訳ではありませんし」

「ならよ。もう、この五人で多数決を採ればいいんじゃねぇか?」板垣は前のめりになる。「個人的には疑わしきは罰したほうがいいと思うけどよ。それで多数決をとって多いほうに手を挙げた人間に一点くれよ」

「いえ、一点は証人なった場合のみです。多数決は……」


 板垣は僕をチラリと見た。あいつはどうあっても僕にマイナスを取って欲しいみたいだ。煽った結果が嫌な形で返ってきている。

 ここで僕もティーナちゃんもマイナス三点を取られる訳にはいかない。板垣が一点を取らなければ全くもって意味のない煽りになってしまう。

 僕の心臓が何度も揺れた。冷や汗が出ている? わからない。けど、良い状態ではない。分かっているからこそ、僕の体は張りつめていた。

「では、多数決にしますか」

「そうこなくっちゃな」


 板垣が僕を横目に、ニヤリと笑った。

 あいつは今、自分が一〇点を取る事より、僕にマイナスを取らせる事しか考えてない。

「ちょっと――」

 僕が声を上げて、多数決を否定しようとした。すると全員がこちらを見た。いや、僕が気にしたのは、全員の視線ではない。

 ティーナちゃんの視線だった。

 えらく鋭い目つきで僕を睨んでいる。まるで何も発言するなと咎(とが)めているかのように。僕は動かなかった。

「では、多数決をとりましょうか」

 僕を不思議そうに見たキュバスが発言した後、三人の手が挙がったのは当然の成り行きと言えた。


◇ ◇


 僕とティーナちゃんに同じくマイナス九点になった。


 これで、僕らが行った不埒な行為は何の意味もなくなった。どちらからマイナス三点を取った時点で、記憶の消去が確定する。……記憶の消去くらいならまだいい。

 もう僕らはただ黙って報告会を終えるしかない。

「では、次は松村さんですね。何か報告する事はありますか?」


 キュバスがティーナちゃんに声を掛けた。能面笑顔のキュバスは僕らの企みなんか知らない。しかしその表情と声は僕らを見下しているようにすら思えた。

 ティーナちゃんがキュバスの言葉に対して、何も言わずに僕を横目に一度チラリ。彼女とて諦めているのだろう。もう抵抗のしようがない。彼女の目線は謝っているように思えた。

 しかし。

 そんな彼女は人形モード切り替わり、頷いた。



「はい。ありますの」



 彼女がそう肯定した瞬間、僕は凍り付いた。

 ……何を言っている? 僕の冷や汗が気のせいでなく、確実にタラリと流れ落ちる。一度落ちてしまえば、ぶわっと噴き出したようになった。頭が熱を持ち始めて、思考が過熱していく。


 瞬間的に気が付いた。

 別に僕がマイナス三点を取ろうと、板垣が一点さえ取ってしまえば、ティーナちゃんにとっては関係ない。

 僕が落ちるだけだ。


「では、聞きましょう。どんな報告ですか?」

「ええ、実は、襲われたのです」

「襲われた? それはどういった風に?」

「唇を迫られました。非力な私では抵抗するに叶いませんでしたの」

「それは、誰に?」

 ティーナちゃんはわざとらしさすらない無表情で左に顔を向けた。体ごと、僕に向き直る。



「不来股さんに、です」



 ティーナちゃんが僕を指差した。

「ははッ! 裏切られてんじゃねぇか! そりゃそうだよな! 人を襲うヤツなんかについていくやついねぇわな!」


 板垣ははしゃいだように笑う。

 裏切られている。その言葉の通りだ。僕は今、絶賛裏切られている。まさかこんな展開になると思っていなかった。板垣とてそうだろう。今、あいつにとっては僕を落とすのに最高の好機だ。


「板垣さん。お静かにお願いします。しかし、襲われたと言っても今回に限っては、また録画がないんですよ。だから映像を見る訳にはいきません。証人に完全に頼り切る事になります。この報告に対して、誰か証人はいますか?」

 キュバスは僕らを見回した。板垣、緑川さん、ティーナちゃんと、視線を移していく。


 ……あれ? ティーナちゃんがまだこちらを見ている。まだ指を突き出したままだ。ちょっと長すぎじゃないだろうか。不審がっていると、さらに彼女が不思議な動きをした。いや動き、というよりは目線だ。目線が僕の下半身の右側に行っている。……何だ? それに突然、口パクを行いだした。なんだろう? 二文字か? 大きく口を開けた後、口をすぼめてアヒル口になっている。何となく、というか、かなり間抜けな図だった。


 そんな事を考えている場合ではない。

 ティーナちゃん二回に口パクを行い、直後キュバスに向き直った。何だ? 本当に何だったのだ? 

 僕の右下半身、そして口パク二文字。口を大きく開けて、口をすぼめた。

 突如、僕の中で繋がった。

 そうだ。紙だ。「か」「み」これなら二文字。板垣について書かれた本をちぎった紙。僕はそれを右のポケットに入れた。


『私が何もしなかった時』『板垣に一点を取らせる事ができなかった時』『最終的には実行して欲しい』こんな事を言っていた気がする。

 三つの内、二つに符号する。

 僕はキュバスや板垣を見図らないながら、紙をコソリと右ポケットから取り出した。三角に折りたたまれた紙を右下半身に隠しながら、チラリと確認する。

 そこには指示が書かれていた。


 …………。

 ……いや、これをまだ行えというのか。

 まさか、ティーナちゃんはこの状況を予測していたのだろうか? だが、この指示では、どういうつもりなのかは全くわからない。一度深く息を吸った。信じるべきなのだろうか。どちらにしろ、現状の僕は動くしかない。このままだとマイナス一〇点以下になるだけだ。


「あの――」僕が手を少しだけ挙げた。「――僕は襲ってないですよ」

「ハッ、お前がやってないとか、関係ねぇんだよ!」

 板垣が僕に向かって叫んだ。板垣は足を組んで、僕へ半身になる。どうやら余裕がかなりあるようだ。僕はこいつを必死させないといけない。


「犯罪者は黙っていてください」

「あぁ? てめぇ、さっきから犯罪者、犯罪者ってな! いい加減にしろよ!」

「犯罪者は犯罪者としか言いようがないです。バツイチ、無職で暴行罪を働いた人間なんて、一様に犯罪者で構わないでしょ」

「あぁ!」

「大体、板垣さんの事を他に何と呼べばいいんですか? 娘の金ヅルとでも呼べばいいですか?」


 その言葉を吐いた瞬間、板垣の目付きが変わった。

「……おい、それ以上言ってみろ」

 板垣の声が変化している。

 どうやら僕は地雷を踏んだようだ。もちろん踏みに行ったのだ。彼の怒気に冷気が混じっていた。それほどまでに娘の事は大切なのだ、やはり。

 僕はたたみかけるように、言葉を発しようとした。頭の中に思いついた罵詈雑言を並べたてようとした。

 そのくらいいいだろう。何もしないよりはいい。


「お二人とも、それくらいでお願いします。……それより、この報告についての証人はいないのですね?」

 板垣がこちらを強く睨んでいる。同時に、足を貧乏ゆすりを始めた。

 僕が罪悪感に襲われる。別に板垣を好きな訳じゃない。もちろん非常に嫌いだ。だけど、彼の娘を思う気持ちは純粋なのだ。犯罪に走るくらいに。だけど僕は、その事に対して彼の必死な気持ちを無視しなければならない。


「では、証人はいないという結論になりますが、よろしいでしょうか?」

 僕としてはいない方がいい。

 だが実際のところどうなのだろう。

 このままでいいのだろうか? 

 ティーナちゃんには何か考えがあるのではないのだろうか。

 僕の心配は杞憂に終わった。

 板垣が手を挙げたのだ。僕に視線を一度やり、まるでテキトーな語句を見繕ったかのように話し始めた。


「あー。見たわ。俺、見たわ。視ちまってたわ」

「何を、ですか」キュバスが問う。

「そういえば襲ってた。そもそもな、この強姦魔野郎にな、俺は聞かれたんだ。松村は何歳だって。血走った眼でよ。その時点から怪しいと思ってたんだ。だからたまたま見たわ。あー、ありゃどこだったかな? 覚えてねぇな。だが確かに見たぜ、俺は。不来股は松村を襲ってた」


 板垣は嘘の証言をした。明らかに僕を蹴落とす為に。マイナス一○点を超えさせる為に、彼は言葉を紡いだ。

「それは、確かに証言でよろしいですか? 本来は、報告と照らし合わせて聞くべきなのですが……」

「ええ、板垣さんの言葉を証言にしてもらって構わないと思いますの。私もあまり詳細は語りたくありませんし」

「ああ、俺の言葉に間違いはなぇよ。確かに俺は見た」


 この後、ティーナちゃんの書いた紙には何もするなと、指示があった。つまり何もするべきではないのはわかっている。

 だけど、このままいくと、僕は確実にマイナス一〇点を超えるんじゃないか……?

 僕はティーナちゃんの横顔を見た。短いけど綺麗な漆黒の髪がふぁさりと揺れ、そこから瞳が僕を覗いていた。

 ――冷徹に。


 ちょっと、待て。

 僕は何故、あの紙に書かれている事実を信じた。別にあれが、僕を助ける為の行為だと言っていない。それにティーナちゃんは言っていたではないか。本の切れ端を見るタイミングを、指定したではないか。

 あのタイミング以外で、内容を把握されるとまずかった。



 



 そう言ったのだ。

 つまり正真正銘、裏切られた……。僕が? 誰に? ティーナちゃんに? 何で? だって紙を見ろって? 僕は、あれ? あれ? 僕どうなる? 僕は? 


「では、板垣さんを証人と認めます」

 ――僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕、あれ?

「おう、当たり前だろ。へッ、これで一○点だ」

「では、松村さんの報告は認められました。よろしいですか?」

「ええ、そうですわね。ただ一つだけ、言っておいてもいいですか?」


 松村さんが僕以外の四人を見まわした。

 彼女は何一つ表情を変えていないだろう。

 だってあっさりと自分の目標を達成できたのだから。板垣を排除でき、自分は何とか保てたのだから。

 彼女が息を吸った。

 吐き捨てるように、次の言葉を発した。



「私の報告は全部、嘘ですわよ」



 時間の流れが止まった。

 誰も、僕すらも動けない。椅子に座っている誰もがティーナちゃんを見た。

 彼女だけが、この場で動く許可を得ていた。続きを口にする。


「嘘です。つまり報告自体が嘘になります。正しくないのですわ。しかし報告者が嘘を吐いた場合のデメリットは特にありませんでしたわよね?」

 ティーナちゃんには、キュバスに問うた。

 キュバスが帽子を右手で押さえて、ゆっくりと頷いた。

「そう、報告者にはデメリットがないのです。しかし、あれ? どうでしょう? こんなルールがあったのを私は覚えています。『証人が正しくなかったと判明した場合』、さてその続きはどうでしたでしょうか?」

「おい、松村ぁ!」

「私の名前は松村ではございません。ええ、違いますとも。確かこんなルールが明記されておりましたわよね? 『報告者の三点は無効になり、被報告者のマイナス三点も無効になる。そして証人の一点も無効になり、マイナス一〇点を超えた時と同様の厳罰を証人に処す』、こんな感じではなかったでしょうか?」


 誰も、何も答えられなかった。僕はティーナちゃん経由でしかルールを聞いていない。今思えば、僕は相当な綱渡りをしたのだ。だが、そのルールはきっと正しいのだろう。

 ガンッと音がした。


「ふ、ふざけんな‼ そ、そんなのはただの屁理屈だろうが‼」

 板垣は椅子から立ち上がって吠える。

「どうでしょうか? 私の言っている事はおかしいでしょうか? 屁理屈でしょうか? ルールにのっとるなら、板垣さんの証言は正しくない事になります。この事実だけにおいてルール上は屁理屈にはなってないと思われるのですが」

 ティーナちゃんは板垣を無視。キュバスに問いを投げる。

「くっ、ええ、くッ、そうですね」


 キュバスは右手で押さえたハットの中で確実に笑いを抑えている。いや、既に肩が笑っている。

「おい、待て、ふざけるな! お前、おかしいだろ! だって、おい!」

 身振りがやけに大きい。板垣は最後にキュバスに言葉を放った。

「ああ、笑ってしまってすみません。いえ、全くおかしい点はないですね」

「いや、そんな、おい、なら‼ そ、そんな事が可能なら、もう報告会なんて成り立たねぇだろうが!」

「ええ、成り立ちませんね。次回から報告会なんてやめてしまいましょう」


 板垣の開いた口が塞がらない。完全に思考が停止している。

 立ったまま、止まっていた。

「結局のところお遊びなのでしょうと予想はしておりました」

 ティーナちゃんが僕に向かって小声でそう言った。僕に少しだけ目をやる。

「ルールがすぎる上に、証人制度や多数決で真実を決めるなど、何が真実かもわからなくなります。黒い服の男には、別の目的があるのだと思います。何かまではわかりませんが、報告会というものにあまり執着していない事は明らかでしたの」


「……どうして、そう思ったんですか」

「ルールを不来股さんに伝えていなかった点を見ても公平を期していないではありませんか。公平を期していないゲームなど、もうゲームではありません。ならゲームを見ている側は何を楽しんでいるか。お金儲けではないのなら、他の目的があるのでは? こんなところですわ」

 僕らそう小声で会話を交わしていると、立っていた板垣の側に二人の黒服の男が近づいてきていた。彼らは板垣の両脇に立つ。手と脇をホールドされる。板垣が「おい、やめ、やめ――」焦って抵抗しているが、彼の動きにはイマイチ覇気がない。「何で――」「どうして――」彼の言葉が遠くなっていく。扉まであと少し。そんなところで、彼のスーツのポケットから何かが、カランカランと音を立てて落下した。

 ――何だ?

 僕がその落下した物体を遠目に見た。

 僕は椅子を立って、その物体に近付く。僕はその物体を拾った。

 なんともやるせない気持ちになった。


◇ ◇


 その日は解散になった。

 映像室から、僕とティーナちゃんは出る。緑川さんが先に出てしまった為、僕らは二人で牢屋に戻ろうとしていた。


「それ、板垣が持っていたんですの?」

 薄暗い廊下で、確認するようにティーナちゃんが僕に声を掛ける。

 僕は板垣の落とした物を僕はどうにかできないかと、もしかしたら僕にも何かできる事があるんじゃないかと、ずっと手に持っていた。


「そんな物を捨ててしまったほうがよろしいかと思いますの」

「……そうかな?」

「ええ、あまり縁起の良い物でないと思いますわ」

 僕は手に持っていたスマホケースを、目で確認した。パッケージから取り出せされている辺り、板垣は直ぐに渡そうと思っていたのだろう。だが叶わなかった。そして板垣がスマホケースを渡せなかった原因の一端は僕だ。


 別に板垣が好きな訳ではない。とても嫌いだ。大嫌いだと言い換えてもいい。それでも思えてしまう。僕は人を一人殺したも同然なのだ。

 もちろん何もしないままだと僕がそうなっていたし、板垣だって僕を蹴落とそうとしていた。だから当然の抵抗なのだ。

 だけど、何となくやるせない気持ちになった。

「それは、板垣さんのでしょうか?」

 映像室の扉からキュバスが出てきた。僕が手を持っている物に視線を送ってくる。


「……そう、ですけど」

「過去にこだわりすぎたんでしょうね。じゃないと、他人を蹴落としてまでここから出ていこうという気にはなりませんよ。普通は協力しようとか考えますしね」

「何が、目的なんですか?」

「何が?」

「だから、僕らをここに閉じ込めている理由です」

「初めに言いました。質問に答えて欲しいと」

「だったら、何で報告会なんてものをやったんですか? 質問と答えに何も関係ないじゃないですか?」

「いえ、関係はありますよ。ただ質問と答えが必要のない人間に適用する為に行っただけですが」

「はい?」

「今のはヒントのような物です。心に留めておいてもらえると助かります」

「少し、伺ってもよろしいですの?」


 ティーナちゃんが、口を挟むように言った。

 僕の前に出る。

「どうぞ」

「もう報告会は行わないという事でよろしいですか?」

「ええ。もちろん。あんまり意味がなさそうですし」

「なら、伺います。もし、一○点を下回った場合、記憶を消して外に出すとの事でした。しかし戻ってきた人間もおりません。どうなったかわわかりません。同時に、ヒントを与えてもらったという人間もまた、戻ってきた事がありません。その人達は本当に、ヒントを貰って外に出られたんですの?」

「ええ、皆さん質問には答えてくれましたので」

「本当ですの?」

「質問に答えた人は皆、外に出てもらっておりますよ。少なくとも、彼らは今を変えました。私は言いましたよね。今を変える事ができる薬を渡したと。正直に言いますと、あの薬はただの睡眠薬です。今を変えたのは彼ら本人なのです。だから、外に出られた。今を変えるという事が、質問と答えに繋がる。これでいいでしょうか?」

「それは、外に出られた事の証明にはなっておりませんわ」

「なら、証明する方法はありませんね」


 キュバスは僕らを追い越して、進んでいった。

 黒い背広の後ろ姿が廊下に消えていく。キュバスを追えば外に出られる出口に繋がっているんじゃないかと、一瞬頭によぎった。

「あんまり意味はないと思いますわ。だって、外に出られるかどうかは結局わかりませんもの。頭はやはり犬ころ並ですわね」

「…………」

 僕は進もうとしていた足を止めた。

「どちらにしろ、今回で報告会が終わってくれるのは助かります。面倒ではあったので。それに今回で色々な事が判明しましたわ」

「何が判明したんですか?」

「優さん――」先ほどと呼び方を変えている。お人形さんモードの時は不来股のようだ。「――は、おかしいとは思いませんでしたか?」

「何が?」

「録画の件です」


 録画。確かに、おかしかった。何がと聞かれたら、全てが。だが特に。

「何故、私たちは図書館の大テーブルの下で録画されていたのでしょうね? まぁ、答えは一つしかないと思いますが。それなら牢屋の中を録画されなかった理由も説明がつきますし」

 僕にもわかった。というよりあの録画の映像からいくと、緑川さんしか録画できる人間がいないのだ。至近距離で僕とティーナちゃんを上から映せる人間は。それなら牢屋の中での行為が録画されていない事の理由にもなる。しかし、それが正しいのかはわからない。推測の域を出ない。


「それに、黒服の男が今言った言葉。今を変えるという事ですが、まさにこの施設の言葉通りになりそうですわね?」

「言葉通り……ですか?」

「もしかして、意味がわかりませんの?」

「えっと、……はい」

「この施設はパーガトリと呼ばれていると紹介されましたわよね?」

「ええ……、はい」

「では、パーガトリを日本語に直すとどういう意味かは知っておりますか?」


 え、パーガトリって意味があったの? 

 ティーナちゃんが一度溜息を吐く。

「パーガトリとは、プロテスタントの教義には存在せず、カトリック教徒が後付けで作った天国の地獄の中間を指す場所の事ですの。そこで罪を清める事で、天国に行く事ができるとされています――」

 彼女は言いづらそう顔を歪め、一度そこで沈黙を得る。

 大きく息を吸って続けた。

「――そして日本語ではこう言うのです。煉獄れんごく、と」

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