第5話 僕、キスをする。
長い。
永遠のような口づけだった。
松村さんが僕の
甘い匂いが僕の
ようやく彼女が満足すると、僕は何となく骨抜きにされたような気分だった。
ちゅぷっと音を立てた唇が僕から離れる。少しだけ唾液が糸を引いていた。
その唇が僕に問いかけてきた。
「さて、これくらいで十分でしょう? それとも何ですか? 胸でも触っておきますの?」
僕に選択権がない事はわかっていた。それでも少しだけ意識はしてしまう。黒い布の向こうにはちんまりとした盛り上がりがあった。
「嘘ですわ――」彼女が鼻で笑った。「――そんな血走った眼で見ないでくださいの」
僕だって別に見たい訳じゃない。目がいってしまうのだ。そんなの男なら当たり前の話だろう。それにキスした事だって別に意識していない。キスは腹筋を鍛えるのに最も効果的なトレーニングの一つだと言われている。なら、僕はその筋トレに付き合っただけだ。
「あ、ちなみに優さんの匂いは結構好みでしたわよ」
いえ、ごめんなさい。今すぐ飛びつきたいです。
「さて、では、参りましょうか。その前に縄を解いて差し上げますわ」
松村さんが僕の縄に手を掛けた。僕の右手の結び目から着手していく。
ようやく自由になれる。
僕は松村さんの言う事を訊かなければならなかったが、それでも動けないよりはマシだ。
今から僕は松村さんの命令で一人の人間を陥れなければならない。
松村さんとはこんな約束をした。
◇ ◇
「私(わたくし)、手足が欲しかったんですの。
「いえ、本当の手足という意味ではありませんの。
「お分かりだと思いますが、私の奴隷もとい、従順な人間です。
「何故か、ですって?
「私の目的には必要不可欠なのです。
「あら、私の目的が何かお分かりにならないと?
「簡単なお話にございます。というより優さんもまた同じなのではないでしょうか?
「そう、ここから出る事にございますの。
「ええ。ええ。分っておりますの。質問と答えでしょう。
「いえ、全く思いついてはおりません。
「ただ、それを考える前にすべき事があるんです。
「ああ、話の流れでわかりますわよね。
「そう、報告会にございます。
「ああ、そういえば板垣に聞いていましたわよね。
「ただ、あの説明は厳密に言えば間違いですの。
「いえ、意図的に隠したというのが本来でしょう。
「生活態度を報告すればヒントを貰える。そこに間違いはありませんの。ただ報告するのは悪行である必要があります。黒服の男たちからすれば、このパーガトリから要らない人間をあぶりだしたいという意図があるのでしょうね。不必要な人間を消す為に、報告会には厳密なルールがございます。
「簡単に説明いたしましょう。
一、報告会には点数がある。一○点を超えた時、その点数の保持者にのみヒントが与えられる。逆にマイナス一〇点を下回った場合には厳罰が下される。
二、報告者には三点が加点される。また被報告者は三点の減点となる。
三、報告が正しいと判明されるには、被報告者が過ちを認めるか、証人が必要となる。また正しいと判明されなかった場合は、報告者への三点は無効なり、被報告者のマイナス三点も無効となる。
四、証人には一点が加点される。ただし証人が正しくないことが判明した場合、報告者の三点は無効となり、被報告者のマイナス三点も無効となる。また証人自身の一点も無効となり、マイナス一〇点と同様の厳罰がくだされる。もし反証者がいる場合には反証者に一点が加点される。反証者のデメリットも同様に、厳罰となる。
五、点数が一〇点を超え、一一点、一二点と点が増えればヒントとしての正確性が上がる。点数の上限は一二点である。逆にマイナス一〇点を下回った場合は、マイナス一一点であろうが、マイナス一二点であろうが、厳罰の度合いは変わらない。マイナス一〇点を超えた者は等しく厳罰を受ける事となる。
「これが正しいルールですの。
「板垣は一○点を超えた時のメリットしか、優さんにお伝えしておりません。
「おわかりですか?
「デメリットを一切説明しなかったのでございます。
「そうですの。デメリット。つまり厳罰ですの。
「あら、そんなに厳罰が気になりますの?
「それはそうでございましょうね。
「優さんは現時点でマイナス六点が決まっているようなものですし。
「何を驚いた顔をしておりますの?
「あなたは嘘を吐いたのでございますよ。名前という最大級に付け込まれやすい嘘を。
「ええ、誰がどう見てもマイナス三点です。
「いえ、正しくお伝えしておきましょう。
「板垣が揚げ足をとり続ける報告会においては間違いなくマイナス三点です。
「別のマイナス三点は、ですか?
「優さんは一番初めにあの黒服の男の面会室に訪れたでしょう?
「あれは三点を消費しますの
「よって優さんは、本来プラスマイナス〇点から始まっているハズがマイナス三点からの始まりになっております。
「理不尽ではありません。いえ、理不尽ではありますが、ルールですの。
「ルールを破った場合も同じく厳罰だそうなので気をつけてください。
「あ、気を付けるのは、私の手足でいる間だけでよろしくてよ。
「あら、やはり厳罰が気になりますの?
「まぁ、そうでございましょう。
「これも簡単に説明しましょう。
「いえ、ここはそんなに長い説明を必要としません。
「凄く短い言葉で表す事ができます。しかし果たして信じてもらえるのどうか。
「ええ、私自身も半信半疑ですので。
「ただ、こんな牢屋なんてところに連れてくる正気を疑う連中ですの。本当の事かもしれません。
「マイナス一〇点を超えた者は。
「記憶を消されるのですわ。
「おや、やはり信じておりませんね。
「いえ、私も同じ気持ちです。嬉しいですか?
「嬉しいと言いなさい。
「はい。素晴らしく素晴らしい犬っぷりですの。感動すら覚えますわ。
「記憶が消されるかどうかは、確かに曖昧ですの。
「ただ厳罰を受けたものは、みな総じて、牢屋には帰ってきませんでした。
「ええ、記憶を消されて外に放出されるんですの。
「そうです。帰ってこなかったという事は、どうなったかすら分からない。
「多分優さんが今、想像した通りの事が起こっているのかもしれません。
「私では判断を下しかねるのです。
「ならば厳罰はまず避けるべきだというのはお分かりになりますわよね?
「さて私は今、マイナス三点ですの。
「そして優さんを縛るのを手伝わなかった。これでマイナス六点です。優さんと同じです。嬉しいですか?
「いえ、次からは嬉しい時はワンッと元気よくお願いしますの。ワンちゃん。
「あまり嫌そうな顔をしないでくださいの。私がとても興奮してしまいます。
「ええと、どこでまで話をしましたか。
「そう、これらのマイナス点を全て板垣に取られたとするでしょう?
「ならば、どうなると思いますか?
「板垣は今、プラス三点の立場にいます。
「つまりプラス九点という事になりますわ。
「まず間違いなく板垣はあと一点が欲しいところでしょうね。ならば板垣はもう一つだけでも報告して、三点が欲しい。
「もしくは、どこかで便乗して証人になり、プラス一点が欲しいというところでしょうね。
「ええ、ルール上であれば、ヒントの確実性を期せば三点を狙いにいくのが妥当でしょう。
「ですが、このヒント。貰った人間が全て外に出ている、つまり一〇点であろうと、一二点であろうと、ほとんど大差がないと推測できますの。
「つまりどちらでも良い。ならば、板垣に一点を取らせてしまえばいいのです。
「ここまで聞いて、私のやりたい事が分かりましたか?
「そう。このパーガトリから出る為にはまず、板垣の排除が必要だという事ですの。
「それも厳罰ではなく板垣を勝たせる事で、消えてもらうのです。
「もし仮に、板垣が本当に確実性を期して、次回の報告まで三点を置いておくとするでしょう?
「すると今の時点でマイナス六点の私達はさらにマイナス三点を積み重ねられる可能性があります。
「ハッキリ言って得策でありませんわ。
「翠ちゃんもまた点数は取りにくるでしょうし。
「そもそもこんな報告会なんてバカらしいものに付き合いする必要はないと私は思うのです。
「誰も報告しなければ、プラスやマイナスはないのですから。
「さらに言うなら板垣がいるから、報告会なんてものが機能していると思われるのです。
「いえ、もっと言うなら、こんな杜撰なルールで行っているのは板垣がいるからかもしれません。
「まぁ、つまり今回で板垣を確実に排除する必要があるという事ですの。
「さて、では、どうやって板垣に三点を取らせにいくか。いえ、そんな面倒な事をしなくても良いかと思います。
「私が優さんの生活態度を報告して、板垣を証人にしてしまえばよいのですわ。
「そうすると、板垣に一点が加点されるでしょう?
「ええ、もちろん優さんはマイナス三点になりますわ。
「でも、優さんはギリギリ残れますわ。厳罰にはなりませんの。ええ、せめてもの慈悲ですわ。
「ねぇ、私の奴隷、もといワンちゃんも良いとは思いません?
「そんなに納得しないでくださいの。嫌がっていただいた方が私は喜びますわ。
「では、ご褒美をあげますわ。
「三点を失う条件ですの。
「優さんが決めてしまってください。
「私に暴行を働くのと。
「私にイヤラシイ事をするの。
「どちらを選びます?」
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