月に叢雲


結局、風間は彼女を後部座席に寝かせ、車を走らせることにした。

彼女は角以外に目立った点はなく、脈があり心臓が動いているようだったが、それでも病院に連れていくことは躊躇われた。

息は浅く、表情は未だに歪んでいる。


彼の手には、一枚の名刺が握られていた。

時刻は一時を回っていたが、この状況を打破できるように祈るしかなかった。




「ここでいいのか…?」

今朝手渡された名刺の住所まで車を運転してきたが、そこには寂れた館がポツンと建っているだけだった。

豪奢な造りではあるが、壁は剥がれ屋根は落ち、ツタや雑草が伸び放題になっている。

かつての面影はとうの昔に消え去っているようだ。

郊外とはいえ都内にこんな建物があったとは、十年近く住んでいる風間も知らなかった。


「とにかく、行くしかない」


女性を抱き抱え、雑草の中を歩いていく。

傍から見れば通報ものだろうが、辺りに人影はなかった。

郊外の外れにあることと、夜中であることが幸いしたのだろう。

眠らない街も、少し離れれば人通りは殆どない。


洋館の入口でノックをする。

といっても、大きなドアは片方が外れていて、中は丸見えだったのだが。

そこから見る限りでは、とてもではないが人のいる気配はない。

大和のような浮世離れした人間ならこのような場所で探偵をしていても不思議ではなかったが、流石に大和もそこまでバカではなかったようだ、と風間は引き返していく。


ぎぃぃぃいいい…


重そうなドアの開く音と共に、聞き覚えのある声が風間に投げられた。


「どちら様ですか」


それは警戒と拒絶の混じった色。

大和と共にいた少女だ。


「君のツレにここを紹介された」


そう言って風間は名刺を渡す。


「…確かに、渡した」


少女は名刺を確認すると、風間の腕の女性を見た。


「その人は?」


「この女性のことで聞きたいことがあって来た。かなり衰弱してるようだ」


少女が女性を見ると、ハッとした表情で何かを呟いたように見えた。


「なんだって?」


「なんでもない。すぐにヤマトを呼んでくる」


そう言うと少女は館の中へ走っていってしまった。




寝惚けた顔をして大和が出てきたのは、それから数分の事だった。

寝癖のついた髪を撫でながら、欠伸を一つした。


「風間さん、こんな夜更けにどうしたんです?」


「彼女を診てもらいたい。俺にはどうしていいかわからない」


そう言って風間は女性を大和に見せる。

大和はボーッとしたまま彼女を見ていたが、その額の角を見るなり目を見開いた。


「風間さん、彼女はどこで?」


「道路の真ん中で倒れていたところを保護した。普通の病院には連れていけんだろう」


「了解。取り敢えず中に」


そう言って大和はドアを開ける。

中は変わらず廃墟である。


「…そんな廃墟に設備があるのか?」


「あぁ、心配はいらないよ。入れば分かるから」


大和に促されるままに洋館の中に入る。

すると、フワリとした浮遊感のような感覚を覚えた。

それは一瞬のことだったが、その一瞬で視界は急変していた。


蜘蛛の巣の張っていた天井には見違えるようなシャンデリアが輝き、草の侵食していた床は綺麗に磨かれた大理石で敷き詰められていた。


「これは…」


「彼女をそこに寝かせて」


大和は風間の側にあるソファを指さした。

彼女をソファに横たわらせても、その苦しんだ様子は変わらない。


大和が彼女の角に触れた。

軽く撫でるような手つきだったが、彼女の体は大きく跳ねた。


「しっかり触覚もある。本物だ」


大和は嬉しそうに呟く。

あの時と同じ、楽しむような目だ。


「彼女はどうなってる」


「体の中で魔力が暴走して溢れかけてるんだろうね。それを水際で抑えてる」


「どうすればいい」


「そりゃ、暴走してる魔力を沈静化するか…」


「するか?」


そこで大和は風間を見たまま沈黙した。

何かを考えているようだった。


「それか、暴走させて全部吐き出させるか」


それがどれほどの事か、風間には分からなかったが、大和の顔から難しいことだけは分かった。


「…難しいのか」


「一番いいのは後者だ。沈静化させるだけじゃまた暴走する危険がある」


ただ、と大和は前置きした。


「暴走させて吐き出させるってことは彼女の暴走した魔力が尽きるまでその相手をするってことだ。適当な場所で暴走させてしまうと一般人にまで被害が及ぶ」


確かに、昨晩のような戦闘が市街地で起きた日には、警察や消防は完全にパンクする。


その後処理の面倒など、考えたくもない。


「俺が相手をするのが妥当だろうけど、一度始めるといつ魔力が切れるかははっきり言って全く分からない。一日かもしれないし、一ヶ月かもしれない」


「そんなに?」


「そんなに。だから今回は叢雲に出てもらう」


風間にとって初めて聞く言葉だった。


「叢雲?」


「あぁ、コイツのこと」


大和は傍にいた少女の頭を叩いた。

少女…叢雲は嫌そうな顔をして、大和に不満を述べる。


「私はやりたくない」


「これもお仕事だ。風間さん、コイツにやらせるから、成功したら何か奢ってやってよ。それが依頼料でいいからさ」


「焼肉がいい」


「…わかった」


焼肉で命が救えるなら安いものだと言い聞かせて、風間はそれを了承した。


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