特別編・第六話 答え合わせ
前回お話しした対談の、翌日のことだ。
ちょうど家族が出かけ、僕が家のリビングに一人でいると、そこへ担当編集者のRさんから電話がかかってきた。
何でも、書籍版『夜行奇談』の再校ゲラが出来たので今日送ります、とのことだ。
ゲラというのは、原稿を本にした時、ページがどのような形になるかを、事前に試し刷りで示したものである。このゲラをチェックし、誤字脱字を正したり、文章の表現を変更したりする作業を、校正と呼ぶ。
なお、今回は「再校」――つまり、二度目の校正作業となる。一度目の校正は「初校」といって、すでに先日終えていた。
ちなみに再校の場合、初校に比べて、修正の必要な箇所はそう多くない。だから余裕をもって作業に当たれる、と思ったのだが――。
残念ながら、Rさんの次の一言で、その見方は甘いと知った。
『実は、ちょっと困ったことが起きちゃったんですよ。あの、ページ数がですね、予定よりもオーバーしちゃってまして。初校を確認した時はそんなことなかったはずなのに、何ででしょうねぇ』
「あ、それはすみません。僕が変に文章増やしたりしたんで、そのせいかもです」
『いやぁ、私のチェック漏れかもです』
と、二人して互いに謝り合いつつ――。僕は、リビングの隅に置いてあるパソコンの画面に、『夜行奇談』の原稿を呼び出した。
ページ数のオーバーとなれば、当然その分だけページを減らす必要がある。そのためには、行を大幅に削らなければならない。
これは思ったより大変な作業になるなぁ、と僕が内心辟易していると、Rさんが少し間を置いてから、奇妙なことを言い出した。
『……東さん、『夜行奇談』の書籍化の話が出てから、変な体験してますよね?』
「え? ああ、はい。アレですよね? 鳥居の写真とか」
『昨日も、変なビルに入っちゃったって言ってたじゃないですか』
「ま、まあ、そうですね」
昨日の対談前にあった出来事は、すでにRさんにも報告済みだ。他にも、公園の「猫爺さん」や、某書店の謎の地下売り場のことなど――すべて、Rさんには話してある。
しかし、なぜRさんは急に、そんな話題を切り出したのか。
『実は……あの、これ、あくまで私の感想なんですけど』
「はい、何でしょう」
『猫爺さんの話、あったじゃないですか』
「はい」
『あれ――似てませんか?』
Rさんが、どこか遠慮がちに尋ねてきた。
僕はそれを聞いて、Rさんの言いたいことをすぐに察した。
なぜなら僕も、似ている、と思っていたからだ。
「……似てますね」
『ほら、やっぱり似てるでしょ? ええと、あれは……第七話ですよ』
「『猫の視点』ですね」
僕とRさんは、互いに答えを突き合わせながら、電話越しに頷き合った。
……そうなのだ。僕が三月に遭遇した「猫爺さん」は、『夜行奇談』の一エピソードである『第七話 猫の視点』と、妙に特徴が被っているのである。
生前猫に餌やりを繰り返していた老人が、死後も餌をやる姿が目撃される――。その「餌やり」が何を指しているのかも含めて、二つの怪異はピタリと一致する。
正直、自分でも不思議だった。
率直に言えば、『猫の視点』は「ネ××タ」の話である。ならば、僕はまさにその「ネ××タ」を実際に見てしまった、ということになるのだろうか。
『いいなぁ、私も見たかったですよ、猫爺さん。ええと……だいななわ、ねこのしてん、と……』
「あれ、なんかメモってます?」
『はい、メモってます』
いったい何を企んでいるのか――。唐突にエピソードのタイトルをメモしたRさんの意図が分からず、僕が首を傾げていると、不意に玄関の外で、ガタン、と金属質の音が鳴り響いた。
思わずギョッとした。……が、特にそれ以上の音は響いてこない。
我が家の玄関のドアの外には、鉄柵状の簡素な門が設けられている。時折強い風が吹くと勝手に鳴るので、きっとそれだろう。
『それでですね――。二つの怪異が妙に似てるんで、ちょっと考えてみたんですよ』
Rさんが話を続ける。僕は再び意識を、Rさんとの会話に戻した。
「何を考えたんです?」
『他にもそっくりな組み合わせがあるんじゃないか、って』
「そっくりな組み合わせ? ええと、それはつまり、僕の体験談と、『夜行奇談』のエピソードの間で……?」
いや、いくら何でもあり得ないだろう。たまたま「猫爺さん」が一致していただけだ。
僕はそう考えつつ、これまでに遭遇した怪異を、一つ一つ思い返してみた。
――鳥居から女がぶら下がる写真。
――喫茶店に入ってくる謎の客達。
――猫に餌をやる老人の幽霊。
――書店の地下にあった奇妙な売り場。
――地上と地下が逆の雑居ビル。
この五つのうち、三番目の猫爺さんの話が『猫の視点』にそっくりなのは分かる。しかし、他の四つはどうだろう。
「で、その組み合わせは見つかったんですか?」
『見つかりましたよ』
満面の笑みで――いや、電話越しで表情は分からないが、明らかに笑いを含んだ声で、Rさんは答えた。
『全部ですね』
「え?」
『全部です。猫爺さんだけじゃなくて、東さんが体験したやつは全部、『夜行奇談』の中に似た話があるんですよ』
「い、いや、まさか……」
あまりに突拍子もない話だ。僕は驚きと疑いで絶句しながら、Rさんの説明を待った。
『順番に説明しますよ』
「お願いします。まずは……写真の件ですよね?」
鳥居から女がぶら下がる様子を写した写真が、LINEで何枚も僕のところに送られてきた、あの一件だ。今思い返しても、わけの分からない出来事だったが――。
『はい、写真っていうか、まあ、鳥居ですね』
Rさんは迷いなく、注目すべき箇所を、その一点に絞ってきた。
『あくまで鳥居が主体の怪異だと思うんですよ。なので、この話と似てるのは――『第四十一話 真っ黒』です』
「真っ黒……? ああ」
なるほど、合点が行った。確かに大きな共通点がある。
『あれは、カメラを回しながら鳥居を
「……僕に送られてきた、例の写真に写っていたやつと同じだ、と?」
『かもしれませんねぇ。まあ、そのものかどうかは分からないですけど。何にしても、よく似てると思うんです。どうですか、この考え』
「……いいと思いますよ」
僕が言うと、Rさんは『……だいよんじゅういちわ、まっくろ』と呟きながら、また何やらメモに控えた。
『次行きましょう。喫茶店の怪異です』
「……Rさん、これも似てる話があるんですか? さっぱり分からないですけど」
『そこは、僕も結構悩んだんですけどね』
悩んだのか。いや、悩むレベルなら、特に似た話は存在しないのではないか。
僕がそう思った時だ。
玄関の方で、ガチャッ、とドアの鍵が鳴った。
ドアが開く気配がした。どうやら、出かけていた家族が帰ってきたらしい。
電話中に話しかけられると面倒なので、僕は少し声のボリュームを上げた。自分が電話中だとアピールするためだ。
「で、何の話に似てるんですか?」
『いやぁ、これがなかなか分からなかったんですよ。でも、きっと何か似てる話があるはずだと思って』
「何なんですか、その妙な確証は」
『勘ですけどね。……確かあの喫茶店って、よく入ってくるんでしたよね?』
「はい。店のお婆さんがそう言ってましたね」
『じゃあ、あの喫茶店が、そういう位置に建っているってことですよね?』
「そう……でしょうねぇ」
『だとしたら、やっぱりコレですよ』
そう言ってRさんは、『夜行奇談』の一エピソードのタイトルを、堂々と読み上げた。
『『第三十九話 通り道』――。これが答えです』
なるほど、そう来たか。
確かに『通り道』も、キャンプ場でテントをそういう位置に建ててしまったがために、怪異に見舞われるエピソードだ。
また、あの喫茶店では、客がいないのに客の声だけが聞こえ続けていた。あの中には、笑い声もあった。一方『通り道』では、笑い声がテントに近づいてくる。
これもまた、共通項と言える……のだろうか。いや、だいぶこじつけな気もするのだが。
『納得してもらえました? じゃあ……だいさんじゅうきゅうわ、とおりみち』
僕の半信半疑な気持ちなどお構いなしに、Rさんがメモを取る。さっきから、いったい何をやっているのだろう。
僕が疑問に思うのと同時に、廊下の向こうで、バタン、とどこかの部屋のドアが閉まった。
おそらく帰ってきた家族が、僕が電話中だと知って、邪魔しないように自室に引っ込んだのだろう。
僕は少し姿勢を崩し、声のボリュームを戻した。
「次は――書店の地下売り場の話ですよね」
そう言いながら考える。『夜行奇談』の中に、地下にまつわる話があっただろうか。
『東さんが地下で変な写真集を見たっていう、アレですよね』
「ずいぶんと省略しましたね。まあそうです」
『これは簡単ですよ。ほら、女の子が地下にいた話、あったじゃないですか』
「……もしかして、『幼馴染の話』ですか?」
『そうです。第十四話ですね。そっくりでしょ?』
Rさんはそう言って、うふふふと低く笑った。
確かに、これについては似ている――のかもしれない。
『写真集の表紙に写っていたのは幼い女の子で、ちょっと目がイっちゃってたわけじゃないですか。それがシュリンクでビニールカバーの中に閉じ込められてた……と解釈すれば、これはピッタリだと思うんですよ』
「はい。僕も、割とピッタリだと思います」
『話が早いですね。じゃあ……だいじゅうよんわ、おさななじみのはなし』
「あの、さっきから何をメモってるんです?」
『待って下さい、あと一つなんで。ええと、最後に昨日の雑居ビルの話ですね。これも結構悩みました。……これ、東さんはどの話に似てると思います?』
Rさんが、いきなりこちらに振ってきた。僕は返答に詰まり、「んー」と意味のない声を出しながら考える。
ここまで来れば、少なくとも「該当なし」ということはないはずだ。何か答えが用意されているに違いない。
昨日の雑居ビルでの出来事を思い出す。あの体験の中で、『夜行奇談』の何らかのエピソードと繋がりそうな要素はあっただろうか。
「……もしかして、地下に関係する話ですか?」
『地下の話は今もう出ちゃいましたねぇ』
僕の質問に、Rさんは笑って答えた。
「せめてヒントを下さい」
『ヒントですか? じゃあ、『逆さま』でどうでしょう』
「逆さま……。あ、『
『いや、それは本には収録されないんで』
……違うらしい。逆さまと聞いて、真っ先に『異久那土サマ』を連想したのだが。
というか、書籍版に収録される中から選ばなきゃならないのか。なぜだ。
『ほら、あるじゃないですか。逆さまの建物の話が』
僕の疑問をよそに、Rさんはすでに誘導尋問に入っていた。だが、「逆さまの建物」と聞いて思い浮かぶエピソードは、あいにく一つもない。
「……僕、そんな話書きましたっけ?」
『書きましたよぅ。……あれ、本当に分かりません?』
「降参させて下さい」
『えー、書いたじゃないですか。逆さまに建てられた家が怒って、住人を次々と逆さまみたいにして殺していく話』
言われて――僕は思い出した。
そうだ。確かに、あれはそういう話なのだ。
純粋に本編だけ読んでも分からないが、「得体」まで含めて知ると、実は「逆さま」がキーワードになっていたと分かるエピソード――。
「……『災厄の家』ですね。サカ××ラの話です」
『正解ですよ。第三十一話です。……だいさんじゅういちわ、さいやくのいえ』
これで――すべての答え合わせが済んだのだ。
僕は深く息をつき、「偶然ですかねぇ」とRさんに尋ねた。
これまでに体験した五つの怪異。それが、『夜行奇談』のいずれかのエピソードと関連している――。
もしこれが偶然でないなら、気味悪いこと、この上ない。
しかし不安がる僕に、Rさんはあっけらかんと言い放った。
『はい、偶然だと思いますよ?』
「……偶然なんですか?」
『まあ、こじつけも入ってますからねぇ。『通り道』とか、かなりこじつけですし』
「いいんですか? それ認めちゃって」
『いいんです。あ、それじゃ東さん、メモを用意してください。読み上げますからね?』
「え、メモ? あ、はい、どうぞ?」
混乱しながら、僕は大急ぎで紙とペンを用意する。同時にRさんが、何やら読み上げ出した。
『第七話、猫の視点。第十四話、幼馴染の話。第三十一話、災厄の家。第三十九話、通り道。第四十一話、真っ黒。――以上です。メモ取りましたか?』
「はい、取りましたけど……。あの、これって何なんですか?」
『さっき話したじゃないですか。ページ数がオーバーしたって』
「あー、そんなこと言ってましたね」
『5ページオーバーしたんで、5ページ分削らないといけないんですよ』
「はぁ。5ページですか」
『なので、どれでもいいから5話選んで、1ページずつ削れば、ちょうどいいんです』
「そうですねぇ。……ん、5話?」
ここで――ようやく、僕は理解した。
Rさんの話が、どこに行き着くのかを。
『今読み上げた5話を、1ページずつ削ってください』
案の定の答えが返ってきた。僕は脱力し、メモを取っていたペンを机に転がした。
「……絶対それ言うと思いました」
『あ、分かっちゃいました? いやぁ、どれでもいいから削ってくださいって言っても迷っちゃいそうなんで、じゃあ東さんが体験した話から連想できるエピソードでいいやって思いまして』
「なんか、ずいぶん雑に決めましたね」
『いいじゃないですか。よく似たエピソードを削ることで、東さんが遭った怪異を祓えるかもしれませんよ?』
「逆に祟られたりしませんか?」
『うふふ、そういうこともありそうですね。その時はまた、体験談としてカクヨムに載せちゃってもいいと思うんです』
いや、全然よくない。ホラーを書いて祟られてまたホラーを書いて……なんていう自給自足ライフなど、僕は求めていない。
ともあれ――要件はここまでのようだ。
『ゲラ、今からバイク便で送るんで、夜にはそちらに着くと思います。よろしくお願いします』
Rさんはそう言って、電話を切った。
僕は軽い疲労感から溜め息をつき、パソコンのモニターを見た。
原稿が表示されたままになっている。ここから5ページ、上手いこと削らなければならないのだ。疲れている場合ではない。
ゲラが着く前に、どの行を削るか決めておいた方がいいだろう――。
そう思って、僕が原稿と睨めっこを始めたところで、不意に玄関のドアが鳴った。
ただいま、と声がした。どうやら、出かけていた家族が帰ってきたようだ。
「……いや、そんな馬鹿な」
だったら、さっきの物音は何だったんだ。
僕は青ざめた顔でパソコンの前を離れると、急いで玄関の方へ向かった。
帰ってきたばかりの家族がいる。廊下に面した部屋のドアは、どれも開いている。
しかしおかしい。ついさっき、電話中に誰かが玄関から入ってきて、どこかの部屋に引っ込んだではないか。あれはいったい――。
「……あ、そうか。『訪ねてきたもの』だ」
まさにそっくりなエピソードが『夜行奇談』にあったのを、僕は思い出した。
その時だ。ふとLINEの着信音が鳴り、Rさんからメッセージが届いた。
『すみません、いま確認したら、『第四十四話 訪ねてきたもの』が一行だけオーバーしてました。これも削ってください』
……果たして一連の一致は、本当にただの偶然やこじつけだったのだろうか。
実は、何らかの理由で内容の改変が必要なエピソードに、怪異の側から干渉してきた――と考えるのは、穿ちすぎだろうか。
何にしても、僕はただ文章を削るだけで、内容そのものに手を加えるつもりはない。
これが吉と出るか凶と出るかは――今はまだ、分からないままだ。
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