モウサン ―― 第四十五話・異聞
主婦のTさんには、Kちゃんという、四歳になる男の子がいる。
この歳の子供は次々と新しい知識を吸収していくものだが、ある時Kちゃんが、また新しい言葉を覚えて帰ってきた。
「ねえママ……、モウサンってなぁに?」
どこか怯えたように尋ねたKちゃんに、Tさんは笑顔で答えた。
「モウサン? ウシさんのこと?」
「ううん、モウサン。Yちゃんが、モウサンっていってた」
Yちゃんというのは、同じ幼稚園に通っている近所の子だ。Kちゃんとは仲がいい。
その後、Kちゃんがつたない言葉でTさんに説明した話によると――モウサンというのは、どうやらYちゃんが信じている、お化けのようなものらしい。
そのYちゃん自身は、モウサンのことを、自分のお母さんから聞かされたのだという。悪いことをしていると夜中にモウサンが来るよ――という、典型的な脅しとともに。
Tさんは思わず苦笑した。よく昔からこういう
現にKちゃんは、モウサンの話をYちゃんから聞いて、とても怖がっているようだ。
「ママ、モウサンって、どんなの?」
Kちゃんが尋ねた。モウサンというのが具体的にどんな姿をしているのか分からないから、どうしても不安なのだろう。
Tさんは少し考えてから、ニマッと笑って答えた。
「モウサンってね、おめめも、おくちも、すごく大きいんだよ」
Kちゃんが、見た目にもはっきりと怯えた表情を見せる。だからTさんは、こう続けた。
「でも、全然怖くないんだよ」
「……こわくないの?」
「怖くないよ。モウサンはとっても面白い子で、遊ぶのが大好きなの。Kちゃんがいい子にしてたら、きっとモウサンが遊びに来てくれるよ」
「……じゃあ、Yちゃんはウソつきなの?」
「Yちゃんは、間違えちゃったんだね」
口から出まかせではあった。しかしこれを聞いて、Kちゃんの恐怖心は晴れたようだった。
その夜のことだ。
先に寝かしつけたはずのKちゃんが、子供部屋で凄まじい悲鳴を上げた。
Tさんが慌てて行ってみると、窓が開いていて、Kちゃんの額に引っ掻かれたような、生々しい傷がついていた。
「どうしたの、K!」
Tさんが悲鳴を上げると、Kちゃんは泣きながら答えた。
「モウサンがきたから、まどをあけてあげたの」
ギョッとして窓を見たが、そこには夜の闇が、静かに広がっているばかりだったという。
*
……以上の話を友人から聞かされた時、僕は正直なところ、ずいぶん作り話めいていると思った。
起承転結がはっきりしていて、教訓的な要素もある。要するにTさんという主婦は、子供に「危険なもの」をきちんと理解させていなかったから、それがこんな結末を招いた、というわけだ。
モウサンというお化けの名も、死者を表す「モウ(亡)」とか、お化けを表す「ガモウ」とかに引っかけたネーミングだろう。
その辺のことを僕が指摘すると、話をしてくれた友人は、「分かる?」とニヤニヤ笑い返してきた。
ともあれモウサンというのは、その知人が僕に聞かせるために考えた、完全な創作だったわけだ。
それからしばらく経ってのことだ。僕の従姉が三歳になる娘を連れて、家に遊びに来た日があった。
僕がパソコンに向かって作業をしている傍ら、その子は母親と一緒に絵を描いたり、折り紙を切り刻んだりして遊んでいたのだが、それがふと、こんなことを言った。
「ママ、モウサンってなぁに?」
「モウサン? なぁにそれ?」
母親に聞き返されて、その子は自分でも首を傾げただけだった。
僕は――その会話を聞かなかったことにして、黙々と作業を続けた。
* * *
第四十五話の没バージョン。「作り話めいている」とかどの口が言うねん、と思って不採用とした。
あと、「友人が創作したはずのお化けの名を、なぜか親戚の子供が知っていた」というオチが、普通に合理的に解釈できそうな気がしてならなかったので、それも没の理由である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます