第百八十二話 神隠しの行方

 ここで『夜行奇談』の連載を始めてから三箇月ほど経った頃、ある男性から人伝に、こんなメッセージをいただいた。

 何でも、とあるエピソードの内容が、自分の不思議な体験と妙に合致している――というのだ。

 その男性の名は、仮にGさんとしておく。

 Gさんは、敬虔けいけんなキリスト教徒の家に生まれ、ご自身も幼い頃から教会に通い続けているという、筋金入りのクリスチャンである。そのGさんが指摘したエピソードというのが、第二話「子さらい」だ。

 あの話の中では、ある二つの奇妙な言葉が、事件の深部に結びつく鍵として残されていた。

 一つは「男の子」。もう一つは「会合」である。

 どちらもあの時点では意味が分からなかったが、どうもGさんには、心当たりがあるらしい。

 ――というわけで、お話を伺うことになった。

 以下は、そのGさんからメールで送られてきた、彼の体験談である。


   *


 Gさんが小学六年生の時のことだ。

 五月に修学旅行がおこなわれた。行き先は関西圏の某所で、二泊三日の行程である。

 その二日目は、午前中から山に登った。

 もっとも小学校の行事だから、登山というよりは、簡単なハイキングといった趣である。

 杉だらけの鬱蒼うっそうとした、しかし整備の行き届いた登山道を、列を組んでぞろぞろと歩く。それでも子供の足にはこたえるもので、特にGさんは運動が苦手だったから、次第に列の後ろへ後ろへと下がっていくことになった。

 気がつけば最後尾で、引率のK先生と一緒になっていた。

「ほら、あと少しだから頑張れ」

 K先生は笑ってGさんに言った。Gさんは、「先生も運動が苦手だからビリになったんだ」と、内心思った。

 もちろん大人になった今では、それが誤りだったと分かる。あの時K先生は、生徒に危険がないように、列の最後尾から見守る役目を担っていたのだ。

 ……と、そのK先生の持つトランシーバーに、先頭の先生から連絡が入った。

 何でも、急に天候が崩れてきたから注意するように、とのことらしい。

 Gさんが空を見上げる。無数に交差する杉の枝の向こうに、灰色に濁った雲が見える。

 同時に雨粒が一つ、ポツリ、と頬に落ちて弾けた。

「みんな、止まって」

 K先生が叫んだ。同じ指示が前方からもあったようで、生徒全員がその場に立ち止まる。

 それからすぐに、雨具を着けるよう言われた。天気の急変に備えて、生徒は全員、レインコートを持参していた。

 学校指定の、児童用の黄色いレインコートである。体をリュックごとすっぽりと覆い、頭からフードを被り――と、全員がその場で次々と黄色くなっていく。

 Gさんも、もちろん同じものを着た。

 雨は、ほぼ霧に近いものだった。

 このまま進むよう、先生が指示を出した。

 目的地の頂上には大きな寺院があって、今回の見学先には、そこも含まれている。だから、戻るよりは進む方がいいと判断したのだろう。

「この分だと、下りはバスかもなあ」

 K先生が呟いた。隣で聞いていたGさんは、「歩かずに済むなら助かる」と、素直に思った。

 ……とは言え、どのみち頂上までは徒歩である。

 生徒達が先へ進み出した。Gさんも、とにかく置いていかれないようにと、懸命に足を動かし始めた。

 目の前を行く黄色いレインコートの集団を追いながら、木の根で出来た天然の階段を上っていく。

 次第に土が湿り、靴の底が重くなってくるのが分かる。

 気がつけば、周りからは、お喋り一つ聞こえてこない。K先生も黙ったままである。重苦しい沈黙が、Gさんの疲労を煽る。

 やがて道が下りに入った。これだと頂上から遠ざかってしまうのではないか、と不安になる。

 次第に、辺りにゴツゴツした岩が増えてくる。

 その岩に、山道が少しずつ溶け込んでいく。

 道と岩の境目が消え、いつしかGさん達の足元は、ただの岩へと変わっていた。

「まだ着かないのかな」

 Gさんは上がった息で、前を行く子の背中に話しかけた。

 何気ない一言のつもりだった。

 しかし――相手が振り向いた途端、Gさんは「あれ?」と、思わず呆気に取られた。

 ……そこには、まったく知らない男子の顔があった。

 クラスではもちろんのこと、よそのクラスでも見たことがない。

 それが青白い無表情で、こちらを見返している。

 いや、確かについさっきまで、そこには別の生徒が――自分がよく見知ったクラスメイトがいたはずなのに。

 ――いつの間に、すり替わったんだろう。

 Gさんが動揺のあまり黙っていると、相手は何も言わず前に向き直り、また黙々と岩の上を進み始めた。

 そもそも――この子は誰だ。

 そう思い、今一度、前を行くレインコートの背中を見る。

 ……この悪い足場を苦ともせず、静かに歩いている。その先には、さらに大勢の黄色いレインコートがひしめく。

 皆、霧雨にフードを濡らし、ただ前を向いて、黙々と歩んでいる。

 しかし、これだけの人数がいながら、誰一人として声を発しない。

 何だか――薄気味悪い。

 やがて、行く手に何かが見えた。

 ……洞窟だ。

 剥き出しの岩壁を穿うがつように、巨大な洞窟が、ぽっかりと口を開けて待ち構えている。

 前を行く生徒達は、その中へぞろぞろと吸い込まれていく。

 Gさんも否応なしに、後に続いた。

 洞窟の中は薄暗く、肌寒かった。

「フードを取れ」

 前から声が響いた。大人の声だが、聞き覚えのある先生のものとは違うように思う。

 その声に従って、生徒全員がレインコートのフードを、いっせいに脱いだ。

 途端――Gさんは思わず絶句した。

 ……現れたのは、やはりGさんの知らない顔ばかりだった。

 同じ学校の子は、一人としていない。

 皆一様に青白く、表情がない。

 そして、なぜか男子ばかりである。全員が、頭を丸くり上げている。

 例外は――Gさん一人だけだ。

 恐怖のあまり、ぐぅっ、と喉が鳴った。

 その音に、見知らぬ生徒達が、いっせいに振り返った。

 まるで音を発したことを咎めるかのように、無数の青白い顔が、Gさんを睨む。

 Gさんは思わず助けを求めて、隣にいる先生の方を見た。

 ……K先生ではなかった。

 ……まったく知らない、青白い顔の男が、そこにいた。

「もうすぐ、着く」

 男が低い声で囁いた。その言葉が、先ほどGさんが口にした「まだ着かないのかな」への答えだとは、すぐには気づけなかった。

 代わりにGさんの頭の中は、ひたすら混乱で満たされていた。

 ――この人達は誰だ。

 ――ここはどこだ。

 ――俺はどこで、付いていく先を間違えたんだ。

 すっかりパニックになったGさんは、慌ててK先生に――いや、知らない男に、かすれ声で訴えかけた。

「あ、あの、俺、違う……」

 緊張から、上手く言葉にはならなかった。

 もっとも、男が何か言い返してくることもなかった。

 見知らぬ生徒の集団は、洞窟の奥に向かってぞろぞろと歩いていく。Gさんは男に睨まれて、仕方なく後に続いた。

 洞窟の壁には、等間隔に蝋燭ろうそくが灯っていた。人の手が加わっている証である。

 やがて奥に、蝋燭よりも強く、赤く揺らめく灯が見えた。

 かがりが焚かれている。

 その篝火に囲まれ、巨大な建造物がそびえているのが分かった。

 寺院――のように見えた。

「止まれ」

 男が叫び、生徒達がいっせいに立ち止まった。

 そして、地面に片膝をつく形で座らされた。

 正面に寺院を臨み、全員がうやうやしく頭を下げる。

 Gさんも、男に横から小突かれて、同じように頭を下げた。

 ……寺院の前に、何かがある。

 大きな舞台のような木製のだんが、生徒達を見下ろせるように据えられている。ちょうどその中央に――。

 何か得体の知れないものが、座していた。

 いや、よく見ればそれは、巨大な――まるで、通常の大人の三倍はあろうかという大きさの、僧の装束だ。

 白銀を帯びたころもの上端を尖らせ、袈裟けさまとい、篝火を受けて神々しく輝く。

 誰が着ているわけでもない。ただ装束のみが、座禅を組むような姿で、壇上にる。

 と――不意に周囲の生徒達が、いっせいに口を開いた。

 そして、何事かを唱え出した。

「…………」

 聞き取ることは、できなかった。

 何を言っているのか分からない。到底言葉とも思えない、呪言じゅごんのような「何か」が、どよどよと洞窟内の空気を震わせる。

 Gさんは為す術なく、涙を滲ませた。

 そして――胸の前で十字を切った。

 それは、幼い頃から家や教会で教えられてきた作法だった。

 日本では、これをやる子はあまりいない。しかしGさんの身には、とても馴染んだものだった。

 Gさんは両手を組み、祈った。ただこの悪夢が終わるように、と。

 その時だ。

「……来い」

 不意に男が、Gさんに小声で話しかけた。

 顔を上げると同時に、腕を引かれ、その場に立たされる。

 背に負ったリュックの重みに、思わず体が揺れる。

 男はGさんが体勢を直すのを待つと、「こっちだ」と囁き、その手を引いて、元来た道を歩き始めた。

 寺院が遠ざかっていく。

 不気味などよめきが小さくなっていく。

 外へ出られるのだ、とGさんは気づいた。

「お前は、

 男が静かに呟いた。

「××様が戻られないうちに、帰れ」

 どういう意味かは、よく分からなかった。

 男が口にした「××様」も、上手く聞き取ることができなかった。

 やがて、目の前に洞窟の入り口が見えた。

 まばゆい日の光と細かな霧が、こちらへ流れ込んでくる。

 Gさんはそこで、とん、と体を押され、洞窟の外へ飛び出し――。

 ……意識を失った。


 その後Gさんは、山道で倒れているところを救助隊に発見され、無事保護された。

 ふもとに下りると、すぐに救急隊員や警察官が集まってきた。

 K先生や、駆けつけた両親の姿もあった。

 聞けば、Gさんは山歩きの最中にふっといなくなり、それから三日の間、行方が分からなくなっていたという。

 そんなに長い間意識を失っていたのか、と思ったが、いまいち身にそのような感覚がない。

 自分がに行っていたのは、あくまで数時間だけだ――。そう感じる。

 それからGさんは、山で何があったのかを、懸命に大人達に訴えた。

 しかし、誰一人として信じてくれる者はいなかったという。


   *


 ……以上が、Gさんからのメールに書かれてあった内容である。

 山中でGさんの身に起きた神隠し。男の子の集団と、謎の会合――。言われてみれば、第二話「子さらい」を彷彿させる要素が見られるのは、確かだ。

 もっとも、これらはあくまで主観的な推測である。正解がどこにあるのかは、やはり「神のみぞ知る」のかもしれない。

 ちなみにGさんは、その後も『夜行奇談』を読んで下さっているようで、他にも気になった話があるという。

 第百十二話「オシルシ」と、第七十三話「神隠しの山」が、それだ。

 ……なるほど、どちらも話である。やはり、Gさんの体験と繋がりがあるのだろうか。

 またGさんは、第百四話「お母さん」も、少し気になったそうだ。もっとも、さすがにあの話がここに繋がるとは、にわかには信じがたいのだが……。

 まあ、いずれにしても、すべては推測である。

 繰り返しになるが、真相は、のみぞ知る。

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