第百五十六話 七人迎え

 七人ミサキ――と呼ばれる妖怪がいる。

 七人の怨霊の集団で、主に水辺などに現れる。これに行き逢うと、病気になったり、あるいは命を落としてしまうとされる。

 七人ミサキに命を奪われた者は、自身が七人ミサキの仲間に加わる。そうすると、先にいた七人のうち一人が成仏する。

 彼らはこうやって次々と入れ替わりながら、常に七人で、人に災いをもたらし続けるのだという。

 またこれによく似た妖怪として、七人同行どうぎょうや七人童子どうじというのがいる。いずれも七人一組で行動し、行き逢った人間を害する点で共通している。

 ……ただ、これらの妖怪が、今からご紹介する話と関連しているのかは、分からない。

 この話の中心人物であるEさんは××県出身のかたで、そこは七人ミサキの伝承が残る地域とは、だいぶ隔たりがある。またこの話に出てくる怪異は、「七人の死者」という点でこそ七人ミサキと共通するものの、その現れ方や行動はだいぶ異なる。

 だから、あくまで「関連があるかもしれない」程度に留めておくべきだろう。

 いずれにせよ――僕がこの奇怪な話に触れたのは、某年一月、まだ三が日が過ぎない時分のことだ。


 僕の高校時代からの友人で、D君という男性がいる。

 そのD君と、都内の某神社に初詣に行った帰り道のこと。途中立ち寄った喫茶店で、突然こんな話を切り出された。

「あのさ……これは妖怪なのかな。『七人むかえ』っていうやつ、知ってるか?」

「七人迎え? 七人ミサキではなく?」

 僕が問い返すと、D君は「七人だよ」と繰り返した。

 だがあいにく、僕はその妖怪の名前を、まったく聞いたことがない。いったいどこで仕入れたネタなのだろう――と、まずは出所を尋ねてみる。

 ……ちなみにこういう場合、いきなり妖怪の特徴を知ろうとするよりは、まず出典を確かめた方がいい。例えば、それが資料性の高い本なのか、あるいは小説や漫画などの創作物なのかでも、こちらの対応は変わってくる。

 しかしD君が口にしたのは、特定の書名ではなかった。

「俺の職場の同僚で、Eさんっていう人がいてな。その人から聞いたんだわ。何でも子供の頃に、近所の大人から聞かされたんだって――」

 なるほど、どうやらその「七人迎え」というのは、口承の類らしい。

 しかも初耳だから、もしかしたら極めてローカルな妖怪なのではないか。僕は俄然興味が湧いた。

 D君は、僕が乗ってきたのを見ると、不意に内ポケットからスマートフォンを取り出した。

「直接話した方がいいと思う。ちょっと今から呼んでみるわ」

「呼ぶって……Eさんをここに?」

 思わず目を丸くした僕に、D君はスマートフォンを耳に押し当てたまま、無言で頷いた。

 相手はすぐに出たようだった。それから何言か短い会話があり、「十分で着くとさ」とD君が呟くように言って――おそらく僕に言ったのだろう――通話は切られた。

 もっともEさんが喫茶店に現れたのは、それから二十分後のことだった。

 男性である。歳は、僕達よりも一回りほど上だろうか。

 まだ三が日だというのに背広を着込み、その上から黒のコートを羽織って入ってきたEさんは、どこか憔悴しょうすいしたような、疲れ切った顔をしていた。

「Eさん、こいつが前に話した東です。結構妖怪に詳しいんで、好きなだけ相談してください」

 D君が、えらくいい加減な紹介をする。そもそも相談とは何だ。

 僕は疑問と抗議の混ざった視線をD君に送ったが、向こうは気にした様子もなかった。

 Eさんは、そんな僕に向かって軽く自己紹介をすると、同じテーブルに着いてコーヒーを注文してから、唐突にこう切り出した。

「……すみません、どうか知恵を貸してください。もうあまりんです」

 そう告げたEさんの目は、血色の悪いクマに縁取られ、うっすらと赤く染まっていた。


 そこからEさんが僕に語って聞かせた話は、あまりにも不気味なものだった。

 そもそもの発端は、昨年の十月末のことだ。

 Eさんの友人が亡くなり、その葬儀があった。大学時代に同じサークルだったかたで、死因は交通事故だったという。

 ――まだ若いのに。

 ――お子さんもお小さいのにねえ。

 葬儀の場では、そんな会話がいくつもささやかれていたそうだ。

 そして――それから間もなくのことだった。

 ……Eさんの身に、奇怪な出来事が起き始めたのは。

 最初は、翌月に入ってから一週間後――。日付が変わり、七日目になった深夜だ。

 Eさんは、夢を見た。

 奇妙な夢だった。

 夢の中でEさんは、巨大な運河のほとりに立ち、釣り糸を垂れていた。

 もともと釣りが趣味で、休日には近所の川へ出かけるのがお決まりだというEさんにとって、この手の夢は、決して珍しいものではない。

 ただこの時は、眠りながらにして、とてつもなくがしたのだという。

 とにかく――空が異様だった。

 一面が黒みがかった紫色に染まり、曇天でも夜でもない、得体の知れない暗さに満ちている。

 川沿いに見える街並みもただ黒く、目の前を流れる川だけが、なぜか異常に青い。

 そして、空気が冷たい。

 風もないのに、着込んだ防寒着をものともせずに、冷気が肌に染み込んでくる。

 Eさんは、思わず身を震わせた。

 まるで死の淵に立っているような感じがした。あるいは、先日亡くなった友人の葬儀の記憶が、彼をこんな気分にさせていたのかもしれない。

 その時だ。

 ふと上流から、川の中心に沿って、何かが流れてくるのが見えた。

 何だろうと思い、目を凝らす。

 ……いかだだ。

 丸木で組まれた、三畳分ほどの大きさの筏が、ゆっくりと流れてくる。

 暗い空の下、なぜかこの筏だけが、光源もないのに、細部までくっきりと見える。

 漕ぎ手はいない。

 ただ、筏の中央には、人が佇んでいた。

 ……亡くなった友人だ。

 おそらく、事故に遭った時のままの姿なのだろう。手足は折れ曲がり、額は割れ、あふれた血が苦悶に歪んだ表情を赤黒く濡らしている。

 Eさんが息を呑む。同時に筏の上の友人が、ぐぅっ、と首をこちらに向けた。

 そして、血まみれの唇が動いた。

 ――おーい。

 そんなしゃがれ声が、川面の上の冷たい空気を揺らし、Eさんの耳に届いた。

 Eさんが息を殺して見守る中、友人の乗った筏は、そのままゆっくりと下流の方へ流れていき、やがて見えなくなった。

 ……Eさんが目を覚ましたのは、その直後だ。

 息を荒げ起き上がる。Eさんの全身は、布団をしっかりと掛けていたにもかかわらず、まるで寒風に晒されたかのように、異様に冷え切っていた。

 そして――これが、あくまでのことだ。

 話は続く。Eさんが次に同じ夢を見たのは、それから十日後だった。

 この時もEさんは、やはり暗い川辺に立っていた。

 そこへ上流から、筏が流れてくる。

 前回よりも、少し岸に近いように見える。

 さらに――筏の上には、例の友人に加えてもう一人、別の人物が乗っている。

 昔勤務していた会社の同僚だ。

 首に太いロープが絡んでいる。Eさんは、彼が確かにをしたことを、思い出した。

 ――おーい。

 ――おーい。

 二つのしゃがれ声が、岸にいるEさんに呼びかけた。

 筏はそのまま、下流へ消えていった。

 これが、である。

 ……次にこの夢を見たのは、さらに十日後のことだ。

 筏には、新たに三人目が乗っていた。

 高校時代の恩師だった。Eさんが三年生だった当時、突然の病に倒れ、生徒の卒業を待たずして亡くなった先生だ。

 ――おーい。

 先生は口から血を滴らせながら、青ざめた顔でEさんを呼んだ。

 ――おーい。

 ――おーい。

 他の二人も、前と同じように呼んだ。

 そしてゆっくりと、筏で下流へ流れていった。

 ……筏の流れる位置は、やはり前回よりも、岸に近くなっていたように思えた。


「ここで、思い出したんです。……『七人迎え』の話を」

 Eさんは一度回想を止め、運ばれてきたホットコーヒーに、ゆっくりと口をつけた。

 彼の額には、大量の脂汗が浮かんでいる。

 僕はここまでの話をどう受け止めるべきか迷い、D君の方をチラリと見た。D君は素知らぬ顔で、フォークで自分のケーキをつついていた。

「その、『七人迎え』というのは、どういう……?」

 仕方なく、僕が直接尋ねる。そこでようやく、Eさんは「七人迎え」について、詳細を教えてくれた。

 Eさん曰く――「七人迎え」というのは、彼の故郷に伝わる怪異の一種だという。

 ちなみに、類似する話はあまり聞かないから、やはり極めてローカルなものなのだろう。

 内容は、こうだ。

 ――「七人迎え」は、を満たした者が遭う怪異で、毎月「七」の付く日に起きる。即ち、七日、十七日、二十七日である。

 その日は眠っていると、夢の中に死者が現れる。

 一度目は一人。二度目は二人。三度目は三人……と、七の付く日に夢を見るたびに、現れる死者の数は一人ずつ増えていく。

 そうして七人目が夢の中に現れると、その夢を見た人は、あの世に引っ張られてしまうという。

 ……なかなか不気味な話だ。しかし先に述べたとおり、この怪異に遭うには、条件がある。

 ――自分と関わりのある人間が、合わせて七人、過去に非業ひごうの死を遂げていること。

 これが条件である。

 言い換えればこの七人こそが、「七人迎え」の夢に現れる死者だ、というわけだ。

 そして、そのような非業の死を遂げた者が周りにいない場合は――仮にいたとしても七人に満たなければ――「七人迎え」に遭うことは、ない。

 ……そう考えると、この条件を満たせる人というのは、あまりいないように思える。つまり大抵の人は、「七人迎え」に怯える必要などない、ということだろう。

 ただ――Eさんは異例だったのだ。残念ながら。

「もしかしたら、この一連の悪夢は、『七人迎え』なんじゃないか……。私はそれに気づきました」

 Eさんの話は、ここからさらに続いた。


 そもそもEさんが最初に死者の夢を見たのは、十一月七日のことであった。

 亡くなった友人の葬儀があったのが、十月末。つまり、そこから見て最初の「七」の付く日に、一夜目が起きたことになる。

 続いてその十日後に、二夜目が起きた。即ち、十一月十七日だ。

 そして三度目は、さらに十日後。二十七日である。

 このまま行けば、次にこの夢を見るのは、十二月七日ということになる。

 果たして本当にそうなるのか――。Eさんは、まずそれを確かめることにした。

 カレンダーに印を付け、十二月七日を待つ。さらに並行して、自分がこれまでに参加したことのある葬儀を、日記などを辿って思い返していく。

 先月亡くなった友人。かつての同僚。高校時代の恩師。他には――。

 ……すぐに二人、思い当たった。

 そして十二月七日。果たしてそのうちの一人が、「四人目」として、夢に現れた。

 それは真っ黒に焼け焦げた、人の形をした炭の塊だった。

 ……Eさんのご両親は、Eさんが小学生の頃に火事で亡くなっているという。だからこの四人目は、父親か母親のどちらかに間違いなかった。

 筏は、前よりも岸に近づいていた。

 そして「おーい」と四人に呼ばれ、目が覚めた。

 ――やはりこれは「七人迎え」なのだ。

 Eさんはそれを確信し、震えた。

 このまま事が進めば、おそらく年明けの一月七日に、七人目が夢の中に現れる。そしてその時が、自分の最期になる……。

 慌てて、何人かの知人に相談した。しかし、まともに取り合ってくれた者は、一人もいなかった。

 そして十日後の十二月十七日。夢に、五人目が現れた。

 今度もまた、炭の塊だった。

 父親か母親だ。見分けはつかないが、これで二人揃ったのは間違いない。

 筏はさらに岸に近づいている。Eさんは、「おーい」と五人に呼ばれ、凄まじい寝汗とともに跳ね起きた。

 すでに悠長にしている時間はなかった。それからEさんは、仕事の合間を縫って、「七人迎え」の情報を集め出した。

 だが、どんなに本やネット上を捜しても、これに関する話は出てこない。やはり、あくまでローカルな言い伝えなのだ。

 こうなったらと、郷里にいる友人達にも連絡した。しかし事情を話すと、「あれを本気で信じているのか」と、逆に馬鹿にされただけだった。

 そうこうしているうちに、六夜目が巡ってきた。

 年の瀬、十二月二十七日である。

 六人目は、父方の祖父だった。

 死因は思い出せなかった。何しろ祖父が亡くなった時、Eさんはまだ園児だったからだ。

 それでも――あの筏に乗っている以上、まともな死に方はできなかったのだろう。

 おーい、と六つの声に呼ばれながら、Eさんはそう思ったそうだ。

 ……それから浅い眠りを繰り返すうちに、やがて朝が来た。

 ちょうど仕事納めの日だった。

 出社したEさんは、職場の全員に、丁寧に挨拶をした。

 今生の別れを覚悟していた。もっとも、それを直接口に出したりはしなかったが。

 しかし一人だけ、Eさんの様子が尋常でないことに気づいた同僚がいた。

 それがD君だった――というわけだ。


「どうだ、東。何とかなりそうか?」

 Eさんの話が途切れたところで、D君が僕に尋ねた。

 しかし、「何とかなりそうか」と聞かれても困る。僕はただのお化け好きな物書きであって、聖職者や霊能者ではないのだ。

 もっとも、このまま放っておけば、次の「七」の付く日――一月七日には、七人目が夢に現れてしまうに違いない。そうなれば、Eさんの身が危ない。

 僕もこの話に関わった手前、そういう結末だけは避けたい。……いや、避けたいと言っても、本当に解決策など浮かばないのだが。

「……一つ気になったんですけど」

 それでも思案し、僕はふと思った疑問を、口に出した。

「この『七人迎え』なんですけど、は伝わっていないんですか?」

「助かる方法……ですか?」

「はい。助かる方法が何一つないというのは、この手の怪異にしては、何だか不自然な感じがするんですよ」

 そもそも怪異というのは、ある種の「いましめ」である。「何々してはいけない」「どこそこへ行ってはならない」あるいは逆に「何々しなければならない」など、様々な戒めのために、それを破った時の「罰」として、が用意されているわけだ。

 しかしこの「七人迎え」の場合、そういった戒めの要素がない。

 身の回りで非業の死を遂げた者が七人に達した時、夢に死者が現れて、死のカウントダウンをする――。これでは、あまりにも一方的である。生きている側が意識して回避することができない以上、これは戒めとしては破綻しているように思う。

 そう考えると次に引っかかるのが、カウントダウンに要する期間だ。

 七の付く日は月三回。そして現れる死者は七人。つまり、終わるまでに二箇月以上もかかる。

 もしかしたら――本来はこの期間を利用して、何らかの解決策を図るというルールなのではないか。そしてこの解決策こそが、「七人迎え」における「戒め」というわけだ。

 ……正直、確証はない。しかしこの仮説が正解であれば、「七人迎え」は一つの怪異として、より完成された形になるような気がする。

 僕はこの考えを、Eさんに伝えてみた。いざ口に出して説明すると、どうにもこじ付けめいてしまっていたが、それでもEさんは僕の説に、一縷いちるの望みを託してくれた。

「もう一度、郷里の友人達に聞いて回ってみます」

 Eさんは僕とD君にそう言うと、何度も頭を下げて、帰っていった。

 ただその後、僕はD君から、こんなことを言われた。

「……実は俺、全然信じてないんだよ」

「Eさんの話を?」

「ああ。だってさ、もし『七人迎え』なんていうのが本当に起きるなら、もっと世間に知れ渡っていていいはずだろ?」

「まあ、そうだけど……。でも、『七人迎え』に遭うのって、結構厳しい条件があるじゃん。身近に非業の死を遂げた人が七人――なんて普通は無理だし。だから『七人迎え』に遭う人はほとんどいなくて、それで世間に知れ渡ることもなかった、と……」

「いや、だろ」

 D君は小さく顔をしかめて、僕に言い返した。

 厳しくない……のだろうか。

「震災があったろ」

 D君は表情を変えず、続けた。

「もちろんだけじゃなくて、日本じゃ一年の間に、いろんな災害が何度も起きる。もっと前は戦争だってあった。だから、複数の身近な人間が一度に不幸な亡くなり方をするなんて、全然珍しくない。それに――世の中には、人の『死』に直面するのが当たり前の仕事をしてる人だって、大勢いるんだ。たった七人ぐらい、俺は少しも厳しい条件じゃないと思うぞ」

 ……正論だった。僕は何だか罪悪感を覚えて、軽く俯いた。

 そう、D君の言うように、「自分に関わりのある七人が非業の死を遂げる」という条件のハードルは、人によっては決して高くないのだろう。となれば――「七人迎え」に遭遇した人の事例も、もっと多くなければならない。

 にもかかわらず、この怪異が極めてローカルなものに過ぎない、ということは――。

「まったく信憑性がない、というわけか」

 僕が呟くと、D君は「俺はそう思う」と頷き返した。

「単に、を見ているだけってことだと思うよ。小さい頃聞いた『七人迎え』の話がトラウマになっててさ」

 ……その説は、まあ、一理ある。

 つまりは、思い込みが見せているただの悪夢、というわけだ。ちなみにその悪夢が始まったきっかけは、去年起きた友人の事故死――か。

 もっとも、その辺の真偽を断定する材料など、僕達にはないのだが。

「まあ、Eさんに何かあったら、東にも連絡するわ」

 D君はそう言って、この話題を切り上げた。

 気がつけば、すっかり夕方である。せっかくの初詣の晴れやかな気分も、だいぶ失せてしまっていた。


 次にD君から連絡があったのは、一月六日のことだ。

 何と、「七人迎え」から身を守る方法が分かった、というのである。どうやらEさんが、ついに突き止めたらしい。

 ちなみに情報の出所は、Eさんがかつて暮らしていた親戚の家――ご両親が亡くなった後のことだろう――の隣に住む、Eさんと同い年の男性だそうだ。

 当時少年だったEさんは、その人と二人で、よく近所のお婆さんから怖い話を聞かされていたという。「七人迎え」もその時に知ったもので、同時に教わった対処方法も、Eさんは忘れていたが、先方がしっかり覚えていた――ということだ。

 ……なお、その対処方法をここに書く前に、「七人迎え」について、訂正すべき点が一つある。

 これもEさんがその男性から聞いたのだが――「七人迎え」によって死がもたらされるのは、七人目の死者が夢に現れた時ではないらしい。

 最後の夢は、さらに。……つまり七人目が夢に出てから、約十日後。次の「七」の付く日に見るのだという。

 言わば、「八夜目」である。

 そして、もしもこの「八夜目」を、をせずに迎えてしまうと、ついに七人の死者によってあの世に引っ張られてしまう――というわけだ。

 もっとも言い換えれば、七人の死者が出揃ってからの約十日間こそが、こちらに与えられた猶予期間ということになる。「七人迎え」から身を守るための準備は、この間に済ませればいいようだ。

 具体的には、こうである。

 まず、これまでに夢に出てきた七人の名前を、筆を用いて紙に書き記す。

 続いてその紙を、八夜目に枕の下に敷き、眠る。

 すると夢の中で、現れた死者達に名を呼び返す形になる。これがある種の供養となって、死者達は消え、自分は助かる――ということらしい。

 そして無事目が覚めたら、ここで使った紙を八つに折って、土に埋め、手を合わせる。これで終わりである。

 ……なるほど、この怪異に込められた戒めが「故人を忘れるな」だとすれば、筋が通っている気がする。

 ――もうこれで、問題は解決するだろう。

 僕はそう考え、安堵した。

 七人の正体を知るEさんにとって、「名前を書く」という対処法は、まったく難しくない。だから、あとはこれをきちんと実行しさえすれば、「七人迎え」の呪縛から――それが本物であれ、ただの悪夢であれ――逃れられるに違いない。

 何だか、肩の荷が下りた気がした。もちろん僕自身は、大した手助けなどしていないのだが。

 ともあれ、こうして「七人迎え」の事件は、終わりに至った。

 ……と、思っていた。

 次にD君から連絡が来た、その時までは。


『Eさんと連絡が取れなくなった』

 それが、D君から来たメールの件名だった。

 一月八日の、正午のことである。

 何でも――Eさんは今朝突然退職し、同時にD君とのすべての連絡手段を断ってしまったらしい。

 僕は唖然としながら、いったい何があったのか、とD君に返信した。

 D君の答えは、こうだった。

 つい昨日、一月七日――。

 ……おそらく夜中の間に、Eさんの夢に七人目の死者が現れ、全員の正体が分かったであろう、その日。

 朝、出社したD君のもとに、Eさんがやって来て、こう告げたそうだ。

「駄目でした。七人目の名前が分かりません……」

 その言葉の意味を、D君はもちろん問い質した。

 Eさんは、こう答えたという。

 ――七人目は、まったく見たこともない赤ちゃんでした。

 ――いや、それが誰かは、何となく分かるんです。

 ――以前伯母から聞いたのですが、私がまだ母のお腹の中にいた時、私には双子の兄弟がいたそうです。ただその子は死産で、私だけが助かったのだ、と。

 ――その子が間違いなく、七人目なのでしょう。ただ、名前は……。

 D君はここでようやく、Eさんの言わんとしていることが分かった。

 ……のだ。その赤ん坊には。

「でも、生まれる前に、ご両親の方で名前を決めたりはしてなかったんですか?」

 D君は慌ててそう尋ねたが、Eさんは首を横に振ったという。

「もしかしたらそうかもしれません。しかし、それを両親に尋ねるのは、もう無理ですし……」

「……じゃあ、例えば、その子だけ戒名かいみょうを書くというのは?」

「戒名も……なかったと思います」

 Eさんは途方に暮れた顔で、そう答えた。

 ――死産だった子に戒名を与えるかどうかについては、明確な決まりは存在しないという。本来は与えなくていいともされるし、それでも与えたいという親心から戒名を決めるケースもあると聞く。Eさんのご兄弟の場合は、前者だったのだろう。

 ともあれD君に状況を伝えた後、Eさんは適当に理由を作って、早退してしまった。そして次の日――つまり今朝になって仕事を辞め、なぜか消息を絶った、というわけだ。

 ……このまま十七日になれば、「七人迎え」の最後の一夜が、Eさんに訪れる。

 Eさんは、すべてを諦めたのだろうか。

 何とか足搔くことはできないのだろうか。

 ……すべての報せを読み終え、僕はやるせない気持ちで、メールを閉じた。


 その後、Eさんが具体的にどうなったのかは、分からない。

 願わくば、彼の思い込みによるただの悪夢だった、という落ちを期待したいところだ。

 しかし、それも叶わぬことかもしれない。

 実は――さらに後日、D君から気になるメールが来た。

 そこには一言、こう書かれていた。

『俺の夢に、Eさんが出た』

 ……メールが来たのは、一月二十七日の朝のことだった。


 ちなみにD君は、今でも健在である。

 ただし、当時何があったのかを尋ねても、どういうわけか、何も答えてくれない。

 だから――結局僕には、何も分からないままだ。

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