第百五十七話 人がいる

 K県に在住のCさんという男性が、あるアパートに引っ越してすぐに体験した話だ。

 Cさんは仕事の都合上、早朝にはすでに、職場に入っていなければならない。おかげで困るのが、日々のゴミ出しだ。

 だいたいどこの地域でもそうだが、ゴミというのはその種類に応じて、回収日が決まっている。例えば、可燃ゴミなら火曜日、ペットボトルなら水曜日……といった具合だ。

 ただし各曜日とも、ゴミ置き場にゴミを出せる時間帯は、収集車が来るまでの間。つまり、朝ということになる。

 しかしCさんの場合、その時間にはすでに仕事に出ている。だから、出来れば前夜。遅くとも家を出る深夜のうちには、ゴミを出しておきたい。

 とは言え地域によっては、夜間のゴミ出しが禁じられているところもある。実際にCさんは、それが理由でトラブルも経験している。

 だから念のため、まず引っ越し先のアパートの管理人に、ゴミ出しのルールを確認してみたという。

 ところが――管理人の返事は、どこか奇妙だった。

「夜でも構わないですけど……。ただその時間帯は、いつもんで」

 人がいる、とはどういうことなのだろう。

 例えば、どこの地域にも一人はいそうな、ゴミ捨てにうるさい住人が、夜間だけ目を光らせているのか。それとも、もっと単純に、ホームレスの寝床にでもなっているのか。

 ……しかし管理人は、それ以上は何も語らず、もう一度「べつに構わないです」とだけ繰り返して、その話を一方的に切り上げてしまった。

 いったい何が言いたかったのか――。Cさんはいぶかしんだが、とりあえず問題はないということなので、素直に管理人の言葉に従うことにした。


 引っ越してから初めての、出勤日ことだ。

 まだ夜明けの兆しがない、午前三時。ゴミ袋をげて玄関を出たCさんは、まずアパートの脇にあるゴミ置き場へと向かった。

 街灯のそばに、胸ほどの高さのコンクリート塀でコの字型に囲まれた、やや広い一角が見える。それを覆い尽くすように、すっぽりと被さっている巨大なネットは、おそらくカラス避けだろう。

 人の姿は――ない。

「……何だ、誰もいないじゃん」

 Cさんは小声で呟きながら、目を凝らして辺りを眺めた。

 暗がりにも、街灯の下にも、人の影一つない。あるのはただ、道端に佇む自分の姿だけだ。

 軽く息をついて緊張を解き、Cさんはカラス避けのネットに近づいた。

 内側にはすでに、白い半透明の大きな袋がいくつも、ひっそりと置かれている。

 ――俺以外にも、夜中にゴミを出してる人がいるんだな。

 そう思って安堵し、Cさんはネットの端を、グイッと持ち上げた。

 その途端――いっせいに、中のゴミ袋が、と動いた。

 Cさんは、ハッとして顔を上げた。

 ……

 並んだ大きなゴミ袋の、その一つ一つの中に。

 ギュゥッと口を縛られた半透明の内側に、しわだらけの老婆が二人ずつ、手足をグチャグチャに折り曲げて、無理やり詰まっていた。

 老婆達の真っ黒な瞳が、いっせいにCさんを睨んだ。

 そうして、もそり、もそり、と袋ごと迫ってきた。

 Cさんは思わず悲鳴を上げ、ゴミ袋を提げたまま、急いでその場から逃げ出した。

 ゴミは、後で別の区画のゴミ置き場に、こっそり捨てたそうだ。


 翌日管理人に聞いてみると、彼は「いたでしょ?」と、なぜか気の毒そうな顔を浮かべてみせた。

「あんな具合だから、誰も夜中にゴミを出さないんですよ」

 あの袋は、いつも朝には、すっかり無くなっているという。

 しかし夜中になると、必ず戻ってくるそうだ。

 ……Cさんがこのアパートに長く留まらなかったのは、言うまでもない。

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