第百四十七話 見ている

 都内で一人暮らしをしている、Oさんという男性から聞いた話だ。

 Oさんはかつて、ある動画投稿サイトで、ゲームの実況プレイ動画を配信していたことがある。

 顔出しはせず、ゲーム画面に自分の声のみを被せるスタイルで、マイナーなゲームを気ままにプレイするのが主だった。

 あいにく視聴者数はそれほど多くなかったが、月に何度か生配信もおこない、マイペースに楽しんでいたそうだ。


 ある夏の、週末のことである。

 その日は定例の生配信の日だった。

 プレイするゲームは、夏ということで、ホラーアドベンチャーにした。開始時刻は夜の十時からで、そのまま真夜中まで延々とプレイするつもりである。

 事前に窓を閉めて外の雑音を遮断し、エアコンを入れる。さらに気分を盛り上げるため……と言うよりは電気代節約のため、パソコンの周りを除き、部屋の照明はすべて落としてしまう。

 それから機材をチェックしているうちに、やがて十時になった。

「こんばんは、ようこそ、Oです。さあ始まりました、今回プレイするゲームは――」

 開幕はいつも、この挨拶からスタートする。何度も繰り返すうちに言い慣れてきた台詞だが、Oさんとしては、もう少しのある挨拶にしたかった、と思っていたそうだ。

 ともあれ、その日も生配信が始まった。

 プレイするゲームを軽く紹介しつつ、近くのタブレットに表示した動画サイトを横目で覗き、視聴者数を確認する。

 ざっと二桁――。だいたい、いつもこれぐらいだ。

 あまり深くは気にせず、リアルタイムで表示される視聴者のコメントに軽く答えながら、Oさんはさっそくプレイを開始した。

 古めのパソコン用ゲームである。これまで遊んだことはなく、今回が完全に初見だ。

 まず始めに、真っ黒なロード画面が長々と続く。モニターにうっすらと映り込む自分の姿を眺めながら、適当にトークで繋ぐうちに、ようやく読み込みが終わり、ゲームが始まった。

 荒いポリゴンで表現された、どことなくガサガサした廃墟の光景が、画面いっぱいに広がる。さっそくコントローラーをいじり、その薄暗い空間を探索していく。

 時折現れる幽霊の姿に、やや大袈裟に驚く素振りをしつつ、順調にシーンを進める。

 古いゲームとあってか、長いロード画面が頻繁に差し挟まれるのがわずらわしい。しかし視聴者の食いつきは良好で、コメントも程よく回っている。

 Oさん自身、楽しみながら、この実況を続けていた。


 ……それから、かなりの時間が経った頃だ。

 時刻は、すでに夜中の二時を回っていた。

 ずっとモニターの前に座りっぱなしで、ぼちぼち疲れが出てくる頃合いである。Oさんは頭の片隅で、どのタイミングで配信を切り上げようか、と考え始めた。

 ゲーム自体はセーブして、また来週にでも続きを配信すればいい。とにかく切りのいいところで、一度終わろう――。

 そう考えながら、ふと横目で視聴者数を確認する。

 そして、思わず目を見開いた。

 ……リアルタイムの視聴者数が、いつの間にか四桁に達している。

 Oさんは驚いて、もう一度数字を凝視した。何かの見間違いかと思った。

 しかしどう見ても、いつもに比べて、桁が二つ多い。

(……よし。これだけ大勢が見てくれているなら、もっと続けよう)

 せっかく視聴者が増えているのだ。ここで中断するのはもったいない。

「今夜はすごく人が来てますね。ありがとうございます。どうぞ遠慮なく、コメントくださいね」

 そう言いながら、投稿されたコメントの様子も確かめる。

 ……だがこちらは、いつもと変わらない。ほぼ固定のメンバーがたまに呟く程度で、到底四桁の人間が見ているとは思えない静けさだ。

 意外と盛り上がっていないのかな、と不安になる。

 この無言の数千人は、果たして楽しんでくれているのだろうか。

 気になりながら、Oさんはさらに実況を続ける。

 やがて画面が、またもロードの状態に切り替わった。

 黒一色となったモニターに、反射した自分の姿が、うっすらと映り込む。

 そこで――Oさんは思わず、「ん?」と妙な声を上げた。

 ……自分の後ろの景色が、

 本来ならそこには、Oさんのいる部屋の様子が、そのまま映るはずである。

 なのに、今は違う。

 まるでテレビの砂嵐にも似た、細かい粒子状のまだら模様が、Oさんの背後をびっしりと埋め尽くしている。

 ……一瞬、ゲーム内の演出か、と思った。

 だが、もしこの斑模様がゲーム内のものなら、その模様をさえぎって、自分の姿が映るはずがない。

 つまり――この斑模様は、実際に今、自分の背後に広がっている。

 それに気づき、Oさんは身を強張らせて、画面の中を凝視した。

 この模様は、いったい何なのか。

 正体を見極めようとした。その途端――。

 ……視線が合った。

 ……だった。

 それは、斑模様ではなかった。無数の「目」が、びっしりと連なってカーテンのようになり、Oさんを背後から、じっと見つめていた。

 Oさんは悲鳴を上げ、慌てて振り返った。

 ……だが、そこには何もない。

 いつもと同じ様子の部屋が、静かにるだけだ。

 急いでモニターの方に向き直る。すでにロード画面は終わり、ガサガサした廃墟の景色に切り替わっている。

 ……視聴者数は、再び二桁に戻っていた。

 突然のOさんの悲鳴に驚いたコメントが、いくつも投稿されている。

 Oさんは――適当に誤魔化して、その日の生配信を切り上げた。


 Oさんのもとに「目」が現れたのは、その一度きりだという。

 ……もしかしたら、その「目」は、Oさんのプレイを視聴していたのかもしれない。

 もっとも、Oさんが生配信の続きをおこなうことはなかった。

 以来すっかり怖気づいてしまったOさんは、動画投稿を辞め、ゲームもほとんど遊ばなくなったそうだ。

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