第百八十話 音楽堂の怪

 都内の某コンサートホールに、こんな噂がある。

 夜間にホール内を、奇妙な女が徘徊しているというのだ。

 女は喪服のような黒いドレスを着て、頭から黒のヴェールを被っている。

 そしてどこからともなく現れ、観客席の間やステージの上などを、ゆっくりとした足取りで歩き回る。

 何をするわけでもない。本当に、ただ歩き回るだけである。

 しかしその姿を目にした演奏者は、必ず次のステージでミスをするらしい。


 Bさんというピアニストが、この女を見たことがある。

 演奏会の前夜、リハーサルやピアノの調整も兼ねて、遅い時間までホールに残っていた時のことだ。

 ステージ上でピアノを触っていると、不意に、カツ、カツ……と、ヒールで床を刻む音が聞こえてきた。

 ハッとして観客席の方を振り向くと、真っ黒なドレスの女が、椅子の間を無言で歩いている。

 ゆっくりと、こちらに目を向けることもなく、女はドアのもとまで行き、すぅっと消えた。

 Bさんは慌てて警備員を呼んだが、すでに女の姿はどこにもなかった。

 その後、念のためピアノを検めてみたところ、きちんと仕上げたばかりの調律が、完全に狂っていた――ということだ。

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