第百二十話 気がある
Kさんという人から聞いた話だ。
Kさんの友人に、Sさんという男性がいた。
歳は四十代で、都内の賃貸マンションに一人暮らしをしていた。
そのSさんが、ある時Kさんに、こんな相談をしてきたという。
「……最近、好きな人が出来てさ」
まるで十代の若者のように、恥ずかしげに話を切り出したSさんに、Kさんも最初は好意的に耳を傾けていた。
……ところが、相手の女性がまだ二十代ぐらいだと聞いて、いささか雲行きが怪しくなってきた。
Kさん曰く――あくまでKさんの主観だが――Sさんはお世辞にも、容姿がいいとは言い難い。加えて財産家というわけでもなく、性格にもやや難がある。
それが二十代の女性にアタックするのは、さすがに厳しいのではないか、とKさんは思ったそうだ。
しかしSさんは、「結婚を前提にお付き合いするつもりだ」と、すっかりその気である。
Kさんは心配して、もう少し詳しく尋ねてみた。
「その相手の女性とは、どこで知り合ったの?」
「……近所の人だと思う」
「思う? よくは知らないってこと?」
「……うん。でも、向こうは俺に気があるみたいでさ」
「どうして分かるの?」
「……いつも、会うと笑顔を見せてくれるから」
――もしかしたらSは、その女性の愛想笑いを、「自分に気がある」と勘違いしているんじゃないか?
決してあり得ない話ではない。例えば、コンビニの女性店員が笑顔で接客していたら、それを勘違いした男性客に付きまとわれてしまった――というような事件は、しばしば聞く。
Sさんも、これと同じ可能性がある。友人をストーカーにしないためにも、Kさんはもう少し話を掘り下げてみた。
「べつに笑顔だからって、お前を好きかどうかは分からないだろ?」
「……いや、間違いなく俺に気があるよ、あの人は」
「どうして言い切れるんだよ」
「……だって、何て言うか、すごく誘ってる感じの笑顔だから」
これでは話にならない。というか、ヤバい。
Kさんは軽く溜め息をつき――そこでふと、疑問に思った。
「ところでその人、いつもどこで見かけるの?」
敢えて「会う」ではなく「見かける」という言葉を選んだのは、Sさんにそれとなく冷静さを取り戻させたい、という意味合いもあった。
しかしSさんは、緩んだ頬を少しも引き締めることなく、こう答えたそうだ。
「……俺んちの上」
「同じマンションなの?」
「……うん」
「上の階に住んでるってこと? エレベーターで一緒になるとか?」
「……上の階じゃなくて、屋上」
「は?」
「……俺がマンションの外を歩いてると、いつも屋上からこっち見て笑ってるの」
「お前んとこ、十五階建てだろ?」
「……うん」
「じゃあ普通、屋上にいるやつの顔なんか見えないだろ。何でその女性が笑顔だって分かるの?」
「……え、だってその人――」
――すごい大声で笑ってるから。
Sさんはそう言って、自分もニィッと笑った。
Sさんがマンションの屋上から飛び降りて亡くなった――という報せが入ったのは、それから一週間後のことだった。
ちなみに屋上への扉は、常に鍵がかかっていて、普段から誰も入れない状態だったという。
……Sさんは、いったいどうやって、屋上に上がれたのか。
……そもそも、その屋上でいつも笑っていたという女性は、何だったのか。
少なくともマンションの住人達は、誰もそんな女性のことなど、知らなかったそうだ。
もしかしたら――屋上の女性は本当に、Sさんに「気があった」のかもしれない。
ただし、恋愛とは、まったく違う意味で……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます