第百六十三話 八番目の不思議
Nさんという女性が語ってくれた話だ。
Nさんは小学生の頃、父親の仕事の都合で、頻繁に転校を繰り返していた。
折しも子供達の間で「学校の怪談ブーム」が起きていた時代でもあり、Nさんは行く先々の学校で、その手の噂を聞くことになった。
学校が変われば、語られる怪談も変わる。例えば同じ「トイレの花子さん」でも、学校によって細かな違いがあるのだ、と子供心に気づいた。
図らずも、民俗学のフィールドワークを実践する形になっていたのだろう。
そんなNさんが、S県の某校に転校した時のことだ。
その学校には、「七不思議」が存在していた。
もっとも、Nさんの経験上、真に七つの不思議を抱えている学校というのは、あまりない。大抵は一つや二つが限度で、あとは無理やり七つに水増しするために、ありきたりな怪談を適当に寄せ集めただけのケースが多い。
今回の転校先でも、それは同じだった。
……図工室に片隅に、手首の形をした
Nさんは実際に、その手首に触れてみたことがある。確かに一瞬だけ抜けなくなったのだが、それは握り締められたからというよりも、単に指の角度の絶妙さから来る現象のようだった。
いずれにしても――独自の「不思議」は、これ一つだけだった。
あとは花子さんだの人体模型だの、どこの学校でも聞く平凡な話ばかりだった。だからNさんは、この学校の七不思議にこれ以上興味を抱くことは、なかった。
ところが、ある日のことだ。
Nさんは、ここの校舎裏に、奇妙なものが建っていることに気づいた。
……この時Nさんが、どうして校舎裏を覗いたのかは、記憶が定かでない。裏手の道路とはフェンス一枚で仕切られた、雑草だらけの狭い空間に、特別何か用があったとも思えないからだ。
おそらく、転校先を探検気分で徘徊していた時に、ふと訪れたのだろう。
ともあれ――そこでNさんは、奇妙なものを見た。
柱だった。
木製の太い柱が、何を支えるでもなく、何もない地面にまっすぐ突き立っている。
柱の表面は、なぜか真っ黒に焦げていた。
しかも、途中からポッキリと焼け折れだのだろう。太さこそあるものの、高さの方は、子供の背丈ほどしか残されていない。
いったい何だろう――と思って、後で他の生徒に聞いてみると、旧校舎の柱だと教えてくれた。
この場所には、かつて旧校舎が建っていたが、何十年も前に火事で焼け落ちたらしい。その時一本だけ焼け残った柱が、新校舎を建てた際にもなぜか取り除かれず、そのままになっているのだ――という。
言われてみれば、今建っている新校舎の形も、少し妙だ。
一見長方形だが、ちょうど校舎裏に面した外壁の一部だけが、まるで例の柱を
……不思議だった。
手首の石膏像や、他のありきたりな怪談以上に、その柱の存在は不思議に思えた。
しかし――その柱にまつわる怪談が、ない。
七不思議の中には、組み込まれていないのだ。
試しにいろいろな子に聞いたが、誰も、あの柱にまつわる怪談など知らなかった。
――火事で焼け落ちた旧校舎の、柱。
――なぜか大事に残されている、柱。
――
これだけの曰くがありながら、まったく怪談を生むことがない。
やはり――不思議だった。
Nさんは、これを「八番目の不思議」と、名づけることにした。
ただ、この話を他の子達に披露しようとしたところ、なぜか先生が飛んできて、こっ酷く注意された。
おかげで、例の柱の不思議さは特に広まることもなく、Nさんの胸の内に留まるだけになった。
それから半年後のことだ。
ちょうど年度の替わり目だった。それはNさんが、またよその学校へ転校する時期でもあった。
必要な手続きのため、放課後に母親が学校へ来て、先生と書類を交わした。
その日は大雨だった。Nさんは手続きが終わった後、母親が乗ってきた車で、一緒に帰ることにした。
走り出した車は、学校の裏の道路へと入った。
ちょうど校舎裏の前を通る道だ。
フェンス越しに、例の柱が見えた。
その途端――。
「……あ」
Nさんの口から、そんな驚きの声が、微かに漏れた。
……柱が、燃えていた。
大雨の中、赤々と炎をまとわせ、黒い煙を噴き上げている。
まるで、かつての火事を再現するかのように……。
――何で、雨なのに?
そう思った時だ。
炎が、ふわっと膨れ上がった。
その炎に包まれ、何か黒いものが柱の陰から、ぬっ、と顔を出した。
それが何だったのかは、よく分からない。
ただ――子供の形をしていたように思う。
真っ黒に焼け焦げた、子供のようなその「何か」は、Nさんの乗った車を、じっと見つめる素振りをしていた。
母親は、柱の異変には気づかなかった。もしかしたら、Nさんにだけ見えていたのかもしれない。
これが――Nさんがこの学校で体験した、最後の思い出となった。
あの奇妙な柱が、なぜ七不思議の中に入っていなかったのかは、分からない。
しかし――後になって思えば、心当たりはある。
Nさんが他の子達に柱の話をしようとした時、先生が飛んできて、こっ酷く注意されたことがあった。
もしかしたら、あの柱にまつわる怪談は、これまでも広がろうとするたびに、ああして先生達に阻止されてきたのではないか。
……世の中には、決して面白半分で
つまりは、そういうことだったのかもしれない――。
Nさんは、あの一件を思い出すたびに、そう考えている。
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