第百二話 モウサン、再び

 この話を、どのタイミングで投稿するか――ということでだいぶ悩んだのだが、やはり「事実上の百番目の話」として公開するのが相応しいと考え、ここでご紹介させていただくことにする。

 なおタイトルからお察しのとおり、この話は、第四十五話「モウサン」の後日談になっている。もしまだそちらをお読みでないかたは、先に一度、目を通しておいていただければ幸いである。

 ……それと、もう一つ。

 もし今回の話を読まれた後で、あなたの身に何か怪しいことが起きたとしても、僕の方では、一切の責任を取れない。

 ただし、一応の対処法は、きちんと話の中で明記してある。仮にあなたの前に、が現れたとしても、そちらを守っていただければ、どうにかなるはずだ。

 それでも、もし不安であれば――。

 今回の話は、お読みにならない方が賢明かもしれない。


 去年の八月、ここに「モウサン」という怪談を投稿して、その直後のことだ。

 ちょうど世間は夏休みで、各地で妖怪絡みのイベントがおこなわれている最中だった。

 その一つ――ある大きな博物館の企画展――に、僕が遊びにいった時である。

 人でごった返す会場内を歩いていると、ふと、見知った顔に出くわした。

 Fさんという、某大学で研究員をされているかただ。第五十一話「不可解な話」にも登場する、彼である。

 そのFさんが、僕とばったり会うや妙な顔つきになり、こう言った。

「さっき、知らないお爺さんに話しかけられました」

 あまりに唐突な台詞に、僕の方も妙な顔つきになる。Fさんは、さらにこう続けた。

「なんか、変なことを聞かれたんですよ」

「変なことって?」

「……、って」

 僕は――言葉に詰まった。

 Fさんが口にした言い回しには、覚えがある。かつて僕に、「モウサン」なる未知の妖怪についてメールで質問してきた人物が、そっくり同じ文章を書いていた。

 ただその人物は、今では消息不明である。僕自身、当時のメールアドレスはもう使っていないから、もはや互いに連絡を取る手段はないのだが――。

 ……僕が押し黙っていると、Fさんはさらに、こう続けた。

「モウサンって、さんが最近カクヨムに投稿した、アレでしょ?」

 こちゃさん、というのは、ごく一部の人が使っている、僕のニックネームである。

「そのお爺さんもアレを読んだのかなぁ、って一瞬思ったんです。でも……だからって、通りすがりの僕にモウサンのことを聞く理由が、まったく分からない。そう考えたら、何だか気味悪くなって……」

「それで……Fさんは、何て答えたんです?」

「知ってます、って答えちゃいました。とっさだったもので。そうしたら――」

 Fさんの言うには、その老人は、さらに質問を重ねてきたらしい。

「お爺さん、こう聞いてきたんです。『あなたは、Yさんですか?』って」

 その瞬間、僕はおののかずにはいられなかった。

 Y――と、ここではイニシャルで表記したが、その名前は紛れもなく、僕がかつて旧メールアドレスと一緒に使用していた、ホームページ運営用のハンドルネームだったからだ。

 過去にメールでモウサンの質問を受けた時も、この名前だった。僕がまだ作家になるよりも、だいぶ前のことである。

 ……ただ、Yというハンドルネームと、今の僕のペンネームを繋げられる人は、ごく一部しかいないはずだ。それこそFさんのように、昔からネット上で親しく交流のあった友人知人だけである。

 加えて言えば、彼らの間でもモウサンの話を知っている人は、ごくわずかしかいない。

 見知らぬ老人が、僕の昔のハンドルネームを持ち出して、モウサンのことを尋ねてくる――。そんなこと、到底あり得ないように思える。

 ……これは、いったい何を意味するのだろう。

 もしかしてその老人というのは、かつて僕にメールでモウサンのことを尋ねてきた、あの人物なのだろうか。でも――だからと言って、長年音信不通だった彼が、なぜこのタイミングで突然現れたのだろう。

 しかも、僕が実際にいる場所の近くに、ピンポイントで……。

「とりあえず、『違います』って答えたんですよ」

 黙りこくっている僕に、Fさんが真顔で言った。

「そうしたらそのお爺さん、何も言わずにフラフラっと、どこかへ消えちゃいました」

「……まだこの会場にいるかな」

「……さあ」

 僕はFさんと二人で顔を見合わせた。

 ちなみにその老人の容姿を確かめたところ、「八十歳ぐらいだったかなぁ」と、とんでもない答えが返ってきた。

 少なくとも、過去にメールでやり取りしていたあの人物とは、年齢が合わない。

 もちろんメールのみの交流だったから、先方の正確な年齢など分かり様もないが、文体などを見る限り、さすがにそこまで高齢な感じはしなかったように思う。

「ただ――なんか、すごく気持ち悪かったんです。あのお爺さん。まあ、何がどう気持ち悪いかと言われても、上手く説明できないんですけど……」

 Fさんはそう言って、真顔をクシャリと歪めた。


 ……ところがこの出来事は、あくまで「前振り」に過ぎなかった。

 同じ老人に会った――という声が、次第に僕の周辺で囁かれ始めたのである。

 周辺というのは、要するに「妖怪好き仲間」のことだ。彼らは東京以外にも住んでいるが、老人は都道府県を問わず、どこにでも現れた。

 ――モウサンという妖怪を知ってますか?

 ――あなたは、Yさんですか?

 老人は必ず、この二つを尋ねるという。

 一つ目の質問をどう答えるかに関係なく、二つ目の質問は、必ずされる。ただし二つ目で頷きさえしなければ、老人はすぐどこかへ立ち去るそうだ。

 もっとも、二つ目で頷いたという人は、一人もいなかったようだが――。

 とにかく、老人に会ったという知人達から、僕にメールや電話で、次々と問い合わせが来た。

 しかし、僕にできることなど、何もない。

「何か聞かれたら、とりあえず全部『知らない』『違う』で押し通してください」

 そうお願いするより他になかった。


 やがて、八月も後半に入った、ある日曜日のことである。

 本屋街で有名な都内某町で、同好の集まりがあった。僕も出席するべく、地下鉄でそちらへ向かっていたのだが、その途中、駅のエスカレーターに乗った時だ。

 手すりにつかまって、ホームから改札へと運ばれている最中――。

 ふと――背後から、気味の悪い、しわがれた声が囁いてきた。

「……モウサンという妖怪を知ってますか?」

「……」

 振り返ることは、できなかった。

 走って逃げることも、できなかった。

 逃げても、すぐに追いつかれそうな予感があったからだ。

 心臓が跳ね上がるのを感じながら、僕はゆっくりと、首を横に振った。

「……あなたは、Yさんですか?」

 そうだ――と頷くのが恐ろしかった。

 僕はやはり、首を横に振った。

 しかし、背後の老人は消えなかった。

「……Yさんに、メールを送ったんです」

 知らない台詞が始まった。

「……でも、返事が来ません」

 僕は黙ったまま、エスカレーターが着くのを待つ。

「……メールアドレスを書いたメモも、無くしてしまいました」

 ――何だ、その情報は。

 何かが僕の心の中で引っかかった。

「……あなたは、Yさんですか?」

 同じことを聞かれた。僕は、また首を横に振った。

「それでは……ですか?」

 ――え?

 思わず振り返りそうになった。

 だがその瞬間、エスカレーターの終着点が、僕の爪先を叩いた。

「違うっ――」

 慌ててそう口に出し、つまずきそうになりながら、僕はフロアに降り立った。

 それから急いで振り返ったが、僕の後ろにいたのは、赤ん坊を連れた若い夫婦だけだった。

 老人など、どこにもいない。

 僕は――背筋が寒くなるのを覚えて、足早に改札を抜け、地下を出た。


 その日会ったFさんにこの話をすると、Fさんは神妙な顔つきで、こう言った。

「……あのお爺さんが気持ち悪いと感じた理由、思い出しました」

「理由?」

「同じなんですよ。『』が」

 ――モウサンという妖怪を知ってますか?

 そう尋ねる老人の「モ」と、かつてFさんが山中で聞いた「モ」が――。

 そう、第五十一話「不可解な話」で、Fさんを怯えさせた、が――。

 に聞こえた、という。

 繋がっていた――というのだろうか。この二つの話は。

「思えば、僕が山の中で体験したあの出来事も、それまでにこちゃさんから聞いていた、と繋がっているような気がするんです。『糸玉』とか……」

 Fさんは泣きそうな顔で、そう続けた。


 それから僕はFさんと相談して、ある決め事をした。

 ……今後、特に障りのようなものが見られなければ、、というのである。

 この手の怪異は、不特定多数が共有することで、その効力が失われてしまう――というケースが多い。分かりやすく言えば、「ありきたりな怪談におとしめてしまう」わけだ。

 ただ、一気にすべてを公開して、さわりが押し寄せてきても困る。だから、あくまでにする――という前提である。

 もし途中で何か良くないことが起きたら、その時点で、モウサンに関連する話はすべて封印しようということで、話がまとまった。

 ……こうして僕は、他の怪談に紛れ込ませる形で、モウサン絡みの話を、少しずつここに投稿し始めた。

 ちなみに、その一番手が――意外に思われるかたもいらっしゃるかもしれないが、第九十二話「フェンス」である。Fさんの体験と似通った部分があったことに、お気づきいただけただろうか。

 第四十六話「糸玉」も、もちろん関連話の一つである。そして第五十一話「不可解な話」があって、今回の話に繋がる――というわけだ。


 ……さて、モウサンにまつわる一連の怪談は、今回をもってラストとなる。

 今現在、障りのようなものは、僕らの周りでは特に起きていない。

 ただ今回の投稿を受けて、これから先、が起きないとも限らない。

 そこで――念のため、ここまでの話にお付き合いいただいた皆さんに、お願いがある。

 もし今後、あなたの前に妙な老人が現れて、モウサン絡みの質問をしてきたとしても、すべて「いいえ」と答えていただきたいのだ。

 特に、「あなたは、××さんですか?」という質問に対しては、絶対に否定で返してほしい。

 ……もしあなたが頷いてしまったとしても、おそらく僕やFさんに害が及ぶことはないだろう。

 なぜなら、あなたが頷いた時点で、老人のターゲットは、はずだからだ。

 もしそうなってしまったとしても、先に述べたとおり、僕には一切の責任が取れない。

 もちろん、老人が現れさえしなければ、それに越したことはないのだが……。

 しかし、ある怪異かいいたんに触れた人物がその怪異の当事者になってしまう、という話は、決して珍しいものではない。

 果たして――今回は、どうなるだろうか。

 あなたの身に何事も起きないことを祈りつつ、筆を置く。

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