第三十八話 実名検索
エゴサーチ――というものをやったことがあるかたは、どれぐらいいらっしゃるだろうか。
普段使用しているハンドルネームや、SNSに投稿した文章など、そういった「自分に関わるもの」を検索ワードにして調べてみる、という行為である。
もっとも、それで実際にどれだけヒット数があるのか、どんな内容のものが出てくるかは、人それぞれだろう。例えば、普段から特に世間に情報を発信せず、ごく普通に暮らしている人であれば、妙なものが引っかかることは、ほとんどない。
ただ――時として、例外はある。
この話は、そんな「例外」を引き当ててしまった、Sさんという大学生の話だ。
Sさんという人を
特に変わった活動をしているわけではない。親元で暮らしながら大学に通い、趣味に使うお金をアルバイトで稼いでいる。
暇な時間には、スマートホンでインターネットをしたり、ゲームに興じたりする。
それだけの――本当にそれだけの、ごく普通の人である。
そんな彼が、ある時興味本位で、自分の名前で検索してみたのだという。
……結果はほぼすべてが、自分と無関係なものばかりだった。
同姓同名の赤の他人。たまたま姓と同じ文字で表記する地名。無意味な漢字の羅列――。そんなものが大多数である。
ただ、その中に一件だけ――。
例外が、あったそうだ。
それは、どこかのブログの記事だったという。
真っ黒な背景の最上部に、白い大文字で、『罪状報告』というタイトルが記されている。もっともこれはブログ名のようで、記事のタイトルではない。
記事は、無題だった。
そこに――一本の動画が載っていた。
サムネイルだけでは内容が分からないが、その直前に本文として、撮影された日時と、それから、なぜかSさんの実名が添えられている。検索で引っかかったのは、どうやらこの実名部分のようだ。
さらに末尾には、「2時間」という文字も記されている。動画の長さだろうか。
他に文章はない。Sさんは気になって、動画を再生してみた。
……映っていたのは、近所の裏通りの景色だった。
時間は日中である。カメラは、道端に固定されているようだ。
そこに――ふと、自転車を走らせるSさんが映り込んだ。
ペダルを漕ぐ足が、道端に置いてあった民家の植木鉢にぶつかり、盛大に引っくり返した。
動画の中のSさんは舌打ちし、植木鉢を直すことなく、そのまま走り去っていった。
……動画はそこで終わっていた。二時間どころか一分もない。
映っている出来事は、確かにSさんの記憶にある内容だ。
あれは数箇月前のことだった。「敷地の外にこんなもん置くなよ」と思いながら、倒した植木鉢を無視して逃げたのを、覚えている。
しかし――なぜこんなものが撮影されているのだろう。
いったい誰が撮影したのだろう。
何より、何の意図があって、ここに上がっているのだろう。
……不気味に思いながら、Sさんはブログの中を見て回ることにした。
記事の件数は、数え切れないほどあった。
どれも無題で、カテゴリーによる分類もされていない。
記事内には必ず短い動画が載せられ、その撮影日時と、映っている人間の名前が記されている。
動画の内容はいずれも、ブログ名のとおり、誰かの犯罪行為を
例えば、自転車の二人乗りをしている高校生がいた。
例えば、ピンポンダッシュに興じる小学生がいた。
例えば、道路に
中には、台所でゴキブリを叩き殺している女性の姿もあった。これなどは、犯罪性は
……いや、むしろこの動画の方こそ、犯罪的なものではないのか。
どう見ても盗撮だし、肖像権の侵害だ。
それにもう一つ、気になるものがある。動画に添えられている時間だ。
Sさんが映っている動画は「2時間」だったが、この部分が、記事によってまったく異なっている。
二人乗りの高校生は「1時間」だった。ピンポンダッシュも「1時間」。痰は少し短めの「30分間」。
ただ、ゴキブリを殺した女性は、長めの「1日間」となっている。
――何か法則性があるのだろうか。
Sさんはさらに、他の動画も見てみた。
万引きをしている中学生がいた。時間は「4日間」。
乱闘している不良達がいた。時間は「五日間」。
中には、何やら金の取り引きをしている男達の姿もあった。時間は「13日間」となっている。
刑の重さ――なのだろうか。
ふと、Sさんはそう思った。
何となく、「
しかしそれにしては、ゴキブリを殺した女性の「1日間」というのは、いささか重すぎないか。
もしや、「命を奪ったから」とでも言うのか。だとしたら、このブログを作った人間は、どれほど偏狂的なのだろう。
Sさんは顔をしかめながら、もう一つ、別の記事を覗いてみた。
動画を再生すると、すぐに二人の男が映し出された。
一人が、手に何かを持っている。
包丁だ――と気づいた刹那、その男がもう一人の男に飛びかかった。
画面に
男は包丁で、何度も何度も、相手を突いた。
……その動画を、Sさんは強張った表情で、じっと見続けた。
あまりに突然だったため、目を背けることさえ忘れていた。
気がつくと、再生は終わっていた。
記事の末尾には、時間の代わりに、「執行済み」という文字が記されていた。
それからSさんはすぐに、動画に映っていた男の名前で検索してみたそうだ。
欲しかった情報は、簡単に見つかった。問題の男は、もう十数年も前に、殺人罪で逮捕された人物だった。
ただ、もうこの世にはいない……と分かった。
獄中で病死した、というニュース記事が見つかったからだ。
ブログにある「執行済み」とは、このことを指すのだろうか。
しかし、病死なら自然死のはずだ。なぜそれを「執行」と言えるのだろう。
そして――この動画は、いったい誰が、どのようにして撮影したのだろうか。
最後にSさんは、ブログ内にある検索エンジンで、もう一度自分の実名を調べてみた。
先ほどの植木鉢を倒した動画とは別に、何件かの記事がヒットした。
とりあえず、一番最初のものを開いた。
それは――Sさんがまだ園児だった頃の動画だった。
公園の片隅で、黙々と
こんなところを撮影された記憶は、ない。
そもそも当時のカメラで、ここまで鮮明な映像が撮れただろうか。
……記事の末尾には、「23日間」の文字が記されていた。
二十三匹殺したから――ということだろうか。
しかし、それで「23日間」何が起こるのだろう。まさか、懲役になるはずもないだろうが。
いや、あるいは――。
Sさんはここで、もう一つの解釈に思い至った。
先ほどの殺人犯は、病死によって「執行済み」とされた。
だとしたら、この「23日間」というのも、もしかしたら自分の「死」にかかわることではないのか。
例えば――。
……そう、例えば、「二十三日分、本来の寿命よりも死期が早まる」とか。
Sさんは、ここで閲覧をやめ、画面を消した。
これ以上このブログに関わってはいけない――。本能的に、そう感じたからだ。
……後日、この話を何人かにしてみたが、誰も「そんなブログは知らない」とのことだった。
Sさん自身も、それ以降、このブログを見かけたことはないという。
ただ、「実名検索だけは絶対にするな」――というのが、Sさんの鉄則になったのは、言うまでもない。
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