第三十九話 通り道

 中学で教鞭を執っているHさんが、学生時代に、M県の某河川沿いにあるキャンプ場へ行った時の話だ。

 夜、河原に張ったテントに、仲間と三人で寝ていた。

 他の二人はすでに寝息を立てていたが、Hさんだけはなぜか寝つけず、寝袋から半身を出したまま、目を開けてぼんやりとしていた。

 聞こえるのは、川の流れる音ばかりだ。

 ところがしばらくすると、その川の音に混じって、外から妙な笑い声が聞こえてくることに気づいた。

 ひぃひぃひぃ、というような、何とも不愉快な笑い方だ。

 しかも一人ではない。どうやら集団で笑い合っているようで、次第に川音よりもうるさくなってくる。

 他の利用客が酔っ払って騒いでいるのかもしれない。夜中なのに迷惑な話だ――とHさんが思っていると、その笑い声が、だんだんとテントの方に近づいてきた。

 ひぃひぃひぃ――。

 ひぃひぃひぃ――。

 とにかくやかましい。

 本当なら文句の一つも言いたいところだ。だが向こうは大勢である。喧嘩になれば、痛い目を見るのは自分の方だ。

 仕方なく横になったまま我慢するうちに、笑い声は、いよいよテントの前まで迫ってきた。

 ――まさか、俺達に絡みにきたんじゃないだろうな。

 危機感を覚えて体を起こす。それから他の二人も起こすべきか、と迷っていると、笑い声はついにテントの寸前まで来た。

 そして――立ち止まらなかった。

 ひぃひぃひぃ――。

 ひぃひぃひぃ――。

 けたたましく不快な笑い声は、そのままテントのと向かった。

 よじ登られたわけではない。それならテントがたわむはずだ。

 なのに笑い声は、まるで空を飛ぶかのように、テントの真上を通り過ぎていく。

 ――ああ、これは無視しないとまずいやつだ。

 Hさんはとっさにそう理解し、急いで寝袋に身を潜らせて、目を閉じた。

 テントの上を飛ぶ笑い声は、それから十分ほど続いた。他の二人が眠ったまま騒がずにいてくれたことは、ある意味で幸いだったかもしれない。


 その翌朝、Hさんがキャンプ場の職員にその話をすると、「また出ましたか」と言われた。

 何でも、微妙な「通り道」のようなものがあって、テントを張る位置が悪いと、こういうことが起きてしまうらしい。

「でも、お客さんは運がよかったですよ。

 上じゃなかったら、どこを通られたんだ――という質問は、Hさんは怖くてできなかったそうだ。

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