第三十六話 花火の夜に

 Tさんという男性が、まだ中学一年生だった時の話だ。

 都内某所で催される夏の花火大会に、家族で出かけることになった。

 年頃だけに、家族と一緒というのがどうにもパッとしなかったが、親戚も集まるからということで、仕方なく駆り出された。

 すでに現地に入っていた伯父が、河川敷の草の上にビニールシートを敷いて待っていた。みんなで持ち寄った弁当や飲み物を並べ、小宴が始まった。

 Tさんは、ひとりモソモソとおにぎりをかじりながら、大人達の会話は無視して、視線を周りに巡らせた。

 イベント柄、浴衣姿の若い女性がそこかしこにいる。そのあでやかな様子を、何となく意識しながら横目で眺めているうちに、やがて空の黒が濃く染まり、花火が上がり始めた。

 誰もが川の方に体を向けて、夜空を見上げた。Tさんもそうした。

 ドン、と心地よい響きが全身に渡り、次々と大輪の花が夜空に咲き出した。

 数発がまとめて上がり、立て続けに輝くと、歓声とともに、河川敷がまばゆく照らされた。

 その照らされた河川敷に――ふと気になる姿があることに、Tさんは気づいた。

 それは、一人の少女だった。

 歳はTさんと同じぐらいに見える。

 長い髪を垂らし、真っ白な浴衣を着て、人ごみの中にぽつんと佇んでいる。

 その子だけが、なぜか空を見上げていない。

 いや、それどころか、川に背を向けてさえいる。

 だから――ちょうどTさんの方から、顔が見えた。

 穏やかそうな、優しい顔立ちをしていた。

 なぜか、じっと目を閉じている。花火は見ないのかな、とTさんは不思議に思った。

 それに、ずいぶんと浴衣が地味に見える。

 辺りにいる他の女性達の浴衣とは、明らかに何かが違う。

 見比べて、気づいた。模様がないのだ。

 白一色である。帯まで真っ白で、太さもあまりない。

 それに――も少し変わっている。

 どういうことだろう、とTさんがその意味を考えていた時だ。

 夜空に、一際眩い大輪が花咲いた。

 大輪はいくつも開き、無数の光が一つ一つ、尾を引くように垂れ下がった。

 ――しだれ柳だ。

 親戚の一人が嬉しそうに言うのが、耳に入った。

 その言葉で、Tさんはようやく、「答え」に思い至った。

 ――あの子が着ているのは、浴衣じゃない。

 ――でも、普通の着物でもない。

 ――だから、なんだ。

 Tさんは瞬きするのも忘れ、少女を見つめ続けた。

 夏の夜空に輝く無数のしだれ柳を背に負い、少女は安らかに目を閉じ、佇んでいた。

 やがて光が消え、再び暗い闇が戻ってくる。次に花火が上がり出した時には、もう少女の姿は、どこにもなかった。

 ――自分とそう歳も変わらないのに、どうしてあの子は、先に逝ってしまったんだろう。

 そう思うと、何だか無性に切なくなった。


 これが、Tさんの初恋の記憶――だそうだ。

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