第七話 猫の視点

 動画投稿が趣味の、大学生のTさんの話だ。

 Tさんの住む町には野良猫が多い。最近は「地域猫」という制度もあるが、Tさんの周りにいるのはあくまで昔ながらの野良猫で、特に地域で管理しているものではない。一部の猫好きが餌をやっているおかげで、元気に走り回っているが、地元住民とのトラブルもしばしば起きている。

 もっともTさんにとってみれば、地域が抱えた問題などはどうでもよかった。何しろ猫というのは、動画の恰好の題材だ。猫の面白い動きを撮影した動画は、それなりにアクセス数を得られる。

 ただ、どうしても毎回似たり寄ったりの内容になってしまうのは避けられない。

 そこでTさんはあることを思いついた。猫に小型カメラを取りつけ、好き勝手に動き回らせて撮影するというものだ。要するに猫の視点を疑似体験するわけである。

 さっそく実行に移すことにした。カメラマン役に選んだ猫は、毎日決まった時間にTさんの家の庭で昼寝をしている、大きな茶トラだった。

 もうずっとこの界隈を縄張りにしていて、人間が近づいてもビクともしない、肝の据わった猫だ。Tさんにも懐いている。Tさんがカメラを仕込んだ首輪を着けてやると、微かに気にするような素振りを見せたものの、すぐにそのまま歩き去っていった。

 もちろんカメラを壊されたり、首輪ごと無くされたりする可能性もあった。しかし所詮はお遊びだ。だから失敗したとしても、特に気にするまい、と――Tさんはあらかじめ、自分にそう言い聞かせておいた。

 次の日の昼頃、茶トラがいつものように庭に戻ってきた。Tさんが首輪を外してやると、茶トラは「やれやれ」とでも言いたげに、大儀そうに木陰に寝そべって目を閉じた。

 Tさんは家の中に戻り、撮影できた動画をさっそくチェックしてみた。

 動画は思いのほか上手く撮れていた。路地裏や茂みの中、塀の上といった猫特有の移動ルートを、次々とカメラが突き進んでいく。まるで本当に自分が猫になったようだ。

 映像には、茶トラに構う人間の姿も映り込んでいた。

 近所の猫好きはもちろん、時おり通りすがりの女の子なども寄ってきて、茶トラを撫でていく。カメラの位置的に、スカートの中が映り込んでしまうこともあった。もっとも、編集でカットすれば大丈夫だろう――とTさんは軽く考えておいた。

 そんな中、興味を引く場面が一つあった。日が落ちて、画面が黒一色になり始めた頃、茶トラが一軒の家を訪ねたのだ。

 庭に入ってニャーニャー鳴く茶トラ。モニターには、家の縁側と、障子の開け放たれた和室が映っている。その煌々と明かりの点いた和室に、茶トラに呼ばれたかのように、一人のお婆さんが現れた。

 Tさんも見覚えがある。近所に住む、猫好きで名高いお婆さんだ。手に餌を持っている。茶トラがお婆さんのもとに寄ると、モニターにお婆さんのしわがれた手が大写しになった。

 ペチャペチャと、餌を食べる音がスピーカーから漏れた。どうやら茶トラは、いつもこのお婆さんから餌をもらっているようだ。

 バッテリーが切れたのか、動画はそこで終わっていた。


 その後、Tさんはこの動画を短く編集して、何回かに分けてネット上にアップした。

 概ね好意的な感想が寄せられたが、中には「盗撮では?」と指摘する意見もあった。Tさんも、多少こうなることは予想していた。もっとも、もちろん映っている人の顔や声は加工しておいたから、最低限の言い訳はできるだろう。

 Tさんはそう考えて、もう一度茶トラにカメラを着けることにした。第二弾というわけだ。

 撮影は翌日にスタートした。例によって、庭にいた茶トラに首輪を着けて放した。そして翌日戻ってきたところを捕まえて、カメラを回収した。

 ただ、この第二弾は、あまり面白いものではなかった。何しろ写っている内容が、前回とそれほど変わらないのだ。

 通る道も同じだし、構ってくる人も同じだ。最後にあのお婆さんの家で餌をもらうところまで、何も変わらない。

 Tさんは第二弾の使用を諦め、別のカメラ役の猫を探すことにした。

 しかし、あの茶トラほど図太い猫はそうそういない。どの猫も、Tさんが近づくとすぐに逃げてしまう。そうこうしているうちに、「続きはまだか」という声も上がってくる。

 Tさんは仕方なく、もう一度茶トラの力を借りることにした。すでに第一弾の撮影から一ヶ月が経っていた。茶トラの日課も多少は変わっているかもしれない。

 庭にいた茶トラに首輪を着け、翌日回収した。それからあまり期待はせずに、撮影された動画をチェックしてみた。

 そして――当たりだ、と思った。

 動画の中盤辺りで、今までにない光景が映っていたのだ。

 それは、近所に棲む野良猫の集団だった。

 場所は近所の公園だ。「猫の集会」というやつだろうか。特に何をするでもなく、茶トラも含めた猫達が集団で、じっとうずくまっている。猫まみれの景色を猫の視点で見るという、思いもよらない収穫に、Tさんはほくそ笑んだ。

 もっとも、あまり動きのある映像ではない。猫の集会は、やがて辺りが暗くなってくると、静かに解散した。

 茶トラが移動を始めた。あのお婆さんの家に向かうのだろうか。

 すでにモニターの色は黒ばかりになりつつある。Tさんは惰性で映像を追っていく。

 茶トラがやってきたのは、案の定、あの家だった。

 暗い庭の向こうに、煌々と明かりの点いた和室が見える。いつもならここで茶トラが鳴き、餌を持ったお婆さんが出てくるのだ。

 しかし――この日は様子が違った。

 お婆さんは、すでに和室にいた。

 仰向けに転がっていた。

 顔のところは障子の陰になってよく見えない。が、これはただごとではない。

 思わず焦る。だがその時、茶トラがいつものように、ニャーニャーと餌をねだる声を上げた。

 転がっていたお婆さんが、むくりと体を起こした。どうやら寝ていただけのようだ。

 Tさんは安堵した。身を起こしたお婆さんは立ち上がると、縁側に寄った茶トラの方に、フラフラと歩いてきた。

 糸で動くマリオネットのような、ぎこちない動作だった。

 一瞬だけモニターに顔が映った。目を剥いて舌をダラリと垂らした、異様な顔に見えた。

 お婆さんの手が、カメラに大写しになった。しわがれた――それに、いやに血の気のない手だった。

 カリ、カリ……。

 なぜかいつもと違う咀嚼音がした。動画はそこで終わっていた。

「何、今の……」

 Tさんは思わず呟いた。

 今モニターに映っていたのは、何だったのか。

 お婆さんの様子は、明らかに変だった。猫の咀嚼音も、明らかに変だった。

 でも、動画を見返す勇気は湧かなかった。

 窓から庭をそっと窺うと、茶トラはすでにいなくなっていた。


 お婆さんが亡くなったと近所の人から聞かされたのは、その数日後のことだった。

 発見したのは、市の福祉課の職員だった。高齢者の家を回っていたところ、冷たくなったお婆さんを発見したらしい。急な病に倒れ、通報してくれる家族もいなかったため、そのまま息を引き取った――というのが警察の見解だった。

 ただ……Tさんには気になることがあった。

 果たしてその死亡推定時刻は、何日の何時頃のことだったのか。そして、発見されたお婆さんの指は、どんな状態だったのか――。

 孤独死した人の死体がペットに食われるという事例は、結構あるらしい。しかしTさんは、詳しいことはやはり確認せず、ただ茶トラの視点映像を、ネットに上げた分も含めて、すべて削除したという。

 なお三度目の撮影以来、茶トラの姿を見ることは、なくなったそうだ。

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